ストーリー、神話

  3年前、サントリーとキリンが経営統合に向けた交渉に入ることが明らかになった時、「なんだそれ?」と違和感を感じた方も多かったのではないでしょうか? 両社ともあまりにも社風が違い過ぎ、素人目に見てもうまくいかいだろうなぁと思われましたが、案の定、半年後ぐらいにあっさりと破談になってしまいました。
  経営統合の目的は、少子高齢化で国内市場の成長が見込めないことから、両社一体となって海外展開し、成長戦略を打ち出していくというものでした。こうした動きは、新日本製鉄と住友金属工業の企業同士の統合であったり、日立製作所とNECの半導体部門を統合したエルピーダメモリ、三菱電機を加えたルネサスエレクトロニクスのような事業部門の統合であったり、トヨタ自動車と富士重工業の資本、業務提携であったりと、さまざまな形態がありますが、この10年くらいで活発化しています。
  背景には、人や情報、お金の流れが活発になり、企業の海外展開がしやすくなったことや、そのことが競争を促し、国内市場だけに固執していると、世界の流れに取り残されてしまうという事情があります。また、金融機関やそれに付随するコンサルタント企業、会計、法律事務所にとって非常にうまみのあるビジネスであり、必要以上に促進されたという側面もあります。
  日本だと、個別の事業会社は非常に保守的ですが、外資系の金融機関や、その腰巾着である国内金融機関にそそのかされて、経営統合やM&Aに乗り出すというケースも少なくないと思います。当事者同士がその気はないのに、金融機関がマスコミにリークして、経済産業省なんかも巻き込んで既成事実化し、業界再編に結び付けていくという、一つのパターンとなっていますね。
  ただ、日本では、まだまだ企業の経営統合に対するアレルギーは強く、業界でどんなに劣勢にある企業であっても、経営トップ、社員とも独立を維持したいという意識が残っていますね。鶏口牛後ということわざもある通り、自分の意思で動ける方がやりがいがあるというのは大きいでしょう。
  また、これは歴史、文化、気風の違いが大きいと思いますが、法律とか契約のみに縛られ、所詮は紙切れ一枚だけの関係である欧米と比べると、日本企業は家族とか仲間とか連帯意識が強いです。同じようなものをつくっている企業間でも、社風がずいぶん違います。
  冒頭に取り上げたキリン、サントリーの例だと、キリンはシェア至上主義で、消費者に迎合する商品を大量生産することで現在の地位を築き上げる一方、サントリーは株式を上場しておらず、シェアは低くても、文化とかブランドイメージを前面に押し出すことで、存在感を示してきました。キリンのビールと、サントリーのビールを目の前に置かれたら、全く同じ商品であっても、サントリーを選ぶ人は多いでしょう。
  キリンの製品は積極的に選ばれるというよりは、きめ細かく、かつ強力な販売網で、強引に買わせているという感じです。だから、サントリーとは対極にあり、水と油のような関係です。
  サントリーは、かつては“サントリー文化人”なる、インテリ層(中身は薄っぺらいことこの上ないのですが)を育成し、ライフスタイルにこだわりを持つ層のマーケットを開拓し、最近では小雪さんとか菅野美穂さんなんかをCMに起用して、ちょっと大人で、おしゃれなイメージを打ち出して、テーマパークのようなイメージ戦略を取っています。
  キリンもサントリーも同じような商品をつくっているわけですが、サントリーの「ストーリー」にだまされてきた人たち(私もです)にとっては、キリンとの経営統合の話が出た時、「裏切られた」という感じがしたわけです。さすがに当事者たちも違和感を払しょくできなかったでしょうね。破談はなるべくしてなったと思います。
  企業の持つ固有の社風、文化というのは無視できないものがあります。長い間、平和で豊かで、それでいて厳しい消費者の目線を受けて、育てられた、日本企業は特にその傾向が顕著です。だから、ハゲタカファンドが考えるように簡単には企業同士をくっつけるのは難しいことなのです。
  トヨタ自動車の国内シェアは50%を超え、「トヨタ一門でなければ人にあらず」みたいな状況になっていますが、それでも、「マツダのロータリーエンジンがいい(撤退の方向ですが)」「スバルのスポーティーな走りは捨てがたい」「技術はやっぱり三菱」といったこだわりが残っているし、つくり手も意識しています。生き残りを考えれば、マツダ、三菱、富士重工業はくっつけてしまえば、企業規模もそれなりの大きさになるし、スケールメリットも見込めるでしょうが、そんなに簡単な話ではありません。
  これからも、いろんな分野で、品質、アイデア優れた製品、生産が効率的でコストパフォーマンスが高い製品をつくる企業を中心にグローバル化が進むと思いますが、市場はおどろくべき勢いで成長しており、成熟化も早いと思います。そうなると、大量生産でどこででも入手できる企業の製品よりも、ちょっとした違いやこだわりを打ち出せる企業に関心が集まる流れもできるのではないでしょうか。
  トヨタでなくマツダ、キリンでなくサントリーといった、ほんのささいな違いでしかなくても、消費者のこだわりや自尊心をくすぐる何かが重要になる時代が来るはずです。
  だから、単にシェア至上、成長市場ではなく、企業の歴史、文化、社風といった、それぞれのストーリーを大事にするべきではないでしょうかね。トヨタやフォルクスワーゲン、現代自動車が世界を席巻してもマツダや三菱、スバルは残っていてほしいし、韓国サムスン電子、LG電子が巨大になろうとも、日立製作所、東芝、パナソニック、さらには三菱電機、富士通、シャープ、NECなんかは残ってほしい。
  くだらないこだわりなんですけれどもね。それでも、特に日本人は、細々としたストーリーを大切にします。こうしたこだわりが生きがい、やる気につながっている部分は大きいです。
  単に生きるだけなら、トヨタの車に乗り、デルのパソコンを使い、マクドナルドや吉野家で外食し、イトーヨーカドーやローソンで買い物し、圧倒的なシェアを誇る企業の大量生産やサプライチェーン体制を、ただただ受け入れるだけでいいのですから。
  私たちが暮らしている自治体や地域、国もそうですね。ここからさらにグローバル化が進めば、ますます人の転居も容易になり、障壁は低くなると思います。でもよりよい環境をつくり、維持していくには人と人とのつながりは大切だし、そのベースになるのは歴史とか文化ですよね。
  戦前、日本の優秀さを宣伝するために「日本民族」なる、おかしな概念がつくりだされましたが、日本はもともと、土着民がいて、そこに先進的な文化を持った中国人がやってきて都市国家をつくり、やがてそれが広がって日本という国ができました。朝鮮半島から来た人や南方系、モンゴル系などさまざまなエスニック・グループも加わって、今の日本人がいるのです。
  そこで日本が一体感を持つには、重要になるのは、建国の神話とか、ストーリーですよね。これは日本だけでなく、どこの国でも国民国家を築く上で、不可欠のものです。
  だから、一時期、「自虐史観」をただす目的で、保守派の「新しい歴史教科書」をつくる運動が盛り上がりましたが、あれはある意味、自然なことだと思います。
  韓国みたいな、敗北と服従という悲惨で屈辱的な歴史のオンパレードの国でも、国としてまとまるには、きれいなストーリーをつくる必要があるのです。
  ただ、日本の場合は、神話、ストーリーの裏返しにある、歴史の真実というか、汚い面、情けない面もしっかり認識しておく必要があります。それがあってこその日本神話、ストーリーだと思います。国際社会ではきれいごとだけではなく、残酷な事実に対して免疫をつけ、それを乗り越えないと、しっかりとした自己主張をできないでしょうから。
  グローバル化が進み、自分を見失ってしまいがちですが、守るべき範囲をきちんと設定し、神話、ストーリーを確立することで、自分らしさを打ち出すことも大切です。