働けど働けど

  20日付の日本経済新聞で、ドル・円相場で、円が史上最高値をつけたことについての、大企業トップの反応がまとめられていました。
  その中で、スズキの鈴木修会長の「働けど働けど、一向に報われない心境だ」という、コメントが目を引きました。さすがに円高もこの水準になると、輸出企業はかなりの苦境だと思います。
  ただ、1ドル=70円台は単なる通過点にすぎません。ドルの実質的な価値は、ゼロに等しい。世界最強の軍事力を持つので、ゼロは言いすぎだとしても、政府、民間部門合わせて、人類史上最悪の赤字を抱えていることを考えると、20~30円くらいでしょうか。まあ、今なお基軸通貨として通用するので、色を付けて40~50円くらいですかね。
  だから、まだまだ円高は続きます。企業トップは、もうそろそろ泣き言ばかり並べたてるのはやめて、腹をくくってほしい。今までの円高とはまったく意味合いが違うのです。
  これから未曽有の大恐慌に陥るのですから、中途半端な円高対策なんて、大海の一滴、焼け石に水でしかないし、国内の富を簡単に吹っ飛ばしてしまうことになるのです。
  まだ、非常時という意識がないから、平時の対策を求めるのでしょうね。むしろ、ドルを暴落させるだけさせた方が、分かりやすいのではないでしょうか。そうした方が、企業を延命させるための非常手段もとりやすい。
  さすがに、米国が国家破綻すると、国内の金融機関も、ちょっと傾きかけの事業会社も、あおりを食らって、経営危機に陥るところが続出すると思います。そういうところは、期限付きで救済すればいい。米国がAIGやシティ・グループ、GMを救済したように、日本が、エルピーダ・メモリや日本航空に公的資金を投入したようになりふりかまわずやればいい。
  おそらく、世界中で同じようなことが起きるでしょう。一時的に、企業を国家管理することによる、統制経済のような様相になるのではないでしょうか。これは嵐から身を守るためにやむを得ないと思います。
  元はといえば、破産状態の米国を延命させてきたからこういうことになるんですよね。資本主義の最大の利点は、経営が立ちいかなくなった企業を倒産させるところにあります。そうすることで、健全な企業が生き残り、また、新しい企業が生まれ、新陳代謝ができる。
  ところが、40年前にすでに破産していた米国がしつこく操業を続けたことで、病気を抱え込むことになってしまった。延命措置の一つとして、日本による為替介入や米国債が行われたわけです。
  そして、それはむなしい努力だった。結局、抱え込んだドルや米国債はどんどん価値が下がり、結局は紙切れに帰してしまったのです。
  それが日本にとってはデフレ圧力となり、まさに「失われた20年」となった。米国をさっさと見捨てていれば、一時的に苦難はあったものの、今よりまともな状況になっていたはずです。「働けど働けど」楽にならなかったこの20年。そろそろ、この構図に気づくべきですね。
  昨日はフジテレビ前で、かなり大規模なデモがあったようですけど、誰か霞が関や虎ノ門の米国大使館前で「米国債を売ろうよデモ」をやらないですかね。ぜひ駆けつけるのですが。