常識を破れ、限界を超えろ

  なんとなくまだ、正月の余韻が残りますが、1月もあとのこりわずか。幸いというべきなのでしょうが、私自身、昨年までの残務整理(大掃除や身辺の整理、リストラ、ダイエット)があったので、装いを新たに新年をスタートするという態勢にはなっておらず、1月中旬まで金融市場も大して動かなかったので、余裕をもって(本当はもっと緊張感を持って日々を過ごすべきなのでですが)、身の回りのことに専念していました。
  残務整理とはいっても、ただ単に昨年中にたまったゴミの大掃除ではなく、リーマン・ショック後、この約3年間の総括と垢落としと、これから3年先、5年先を見据えて、身軽にしておこうという意図もあります。だから、後ろ向きなものではなく、前進するための準備だと位置付けています。
  世の中は1980年代に行政改革に大ナタを振るった、財界人、土光敏夫氏のブームということで、本なんかもよく売れているようです。
  土光氏は鈴木政権のもと、のちに首相になる中曽根康弘氏(当時は行政管理庁長官)と二人三脚で、国鉄や専売公社(たばこ、製塩事業)、電電公社の民営化に尽力するわけですが、中曽根氏がからむということで、米国の影がちらつくことはさておいて、年間2兆円の赤字を垂れ流すまでに、モンスター化した国鉄を解体した実績は、正当に評価すべきでしょう。
  国労という労働組合の名を借りた、ごろつき集団と徹底的に対話をすることで、荒廃の極みにあった鉄道事業を立て直した功績は、現在、JRが利益を上げ、納税することで国の財政に寄与し、しかも私たちが快適にJRを利用できていることを考えると、言葉では言い尽くせないものがありますね。
  こうした目に見える実績もさることながら、私が土光氏について注目しているのは、「清貧」であったことです。正直、あまり「清貧」「清貧」言われると、胡散臭いし、経済発展の原動力は今の中国を見てもわかるとおり、「豊かな生活をしたい」「裕福になりたい」という、「欲」による部分は大きいと思います。
  ただ、欧米や日本のように、豊かになりすぎると、モチベーションが低下したり、想像力が欠如してしまい、豊かさを維持するどころか、金融ばくちや不動産ころがしに走るという、破滅的な状況に陥っています。
  「清貧」であることが目的ではなく、モチベーションを持続するための知恵ですよね。常にある程度、お腹が空いた状況であれば、「あれを食べたい」「これを食べたい」「こうしたらおいしく食べれるのに」と、食に対するモチベーションを維持でき、いろいろと想像力も働かせることもでき、伸びシロを残すことができます。
  「常に身を最低辺に置いておけば、何にも動じることはない」という、土光氏の姿勢は、一番学ぶべき部分が多いと思います。失うものがなければ、別に何が起きても怖くありません。米国から何を要求されようと、中国や北朝鮮が襲ってくると脅されようと、いざというときは腹をくくれますよね。
  「めざしの土光さん」と呼ばれたように、食生活をはじめ、企業トップになってからも電車通勤をするなど、質素な生活で知られる土光氏ですが、必要最低限の生活で済ますことに慣れていれば、大恐慌、不況だろうが怖くありません。
  これは自分自身への反省と自戒もあるのですが、豊かさに慣れ過ぎると、弊害が大きすぎます。豊かさを捨てきれずに、何も行動ができなくなりますからね。国際線に乗ると、エネルギーをいたずらに浪費し、飽食の限りを尽くしぶくぶくと太った欧米人の醜さが目立ちますが、他人ながら心配してしまいます。
  私はもともと、金をかけるところには金をかけ、必要のないところは節約するタイプなので、質素な生活にはそれほど違和感はありません。
  ラーメンだ、北海道グルメだ、このブログでもいろいろと紹介していますが、普段はご飯(炊飯器には金をかけていますが)と、納豆と、味噌汁で十分です。洋風ならパスタとサラダ。
  トレードがブームになった時も、3面ディスプレーのパソコンとか流行りましたが、私は、ノートパソコン1台で十分でした。しかもデルの格安、ハイスペックモデルです。FXも先物もブログの執筆もすべて、パソコン1台です。
  身の回りをコンパクトにして、いざとなれば必要なものだけ持ち出して、後は捨てれるくらいの状態にするのが理想ですね。まだまだ精進が足りませんが、一歩一歩前進したいと思います。
  いろいろなものを捨てて、スリムにしたことで、既成概念にとらわれないようになりましたね。「何が本当に大切なのか」ということが少しずつ見えてきました。そして、次に何が来るのかもうっすらと見えるようになりました。
  今までは欧米国家破綻、金融恐慌の影におびえていましたが、その先には、新しい時代が来るということに視点がいくようになりましたね。最近、やたらと「中国」「中国」と言い立てているのはそのためです。
  もちろん中国と言っても、上海とか深センとか大連とか北京とか、沿岸部やこれまで発展してきた大都市に目が行ってしまうのですが、これからはもっと内陸部にスポットが当たるし、世界の重心が移ることにもなるでしょう。
  時代の動きを的確にとらえ、わずかでも先に行くことができれば、「勝ち組」になれるし、そのチャンスは少なからずあります。日本にいることのメリットは、自分たちの過去の経験から未来予測できることです。
  一番馬鹿なのは、ぐだぐだと言い訳や、偉そうなことばかり並べ立てて、何もしないで終わることです。陰謀論者や他人の批評しかできない引きこもりは最悪です。欧米の陰謀によって世界がどん底に突き落とされるとして、その人たちはどうやって生きていくのでしょうか? 陰謀論を知っていてそれが的中したからといって偉いのでしょうか? 何の役に立つのでしょうか? 政治家をはじめ、他人の批評をするのは簡単ですが、それが何になるというのでしょうか? 自分自身は立派に行動できるのでしょうか?
  時機を的確にとらえ行動するならば、チャンスが多い時代といえるでしょう。だからこそ、既成概念や常識にとらわれず、行動すべき時には、行動するべきだと思います。
  世の中が全体的にリセットされるわけですから、うまくすれば、引きこもりだって、社会の役に立つ、あるいはリードする立場になれるかもしれないのです。
  失うものがなければ楽に身軽に新しいことをできるではないですか。常識やこれまで限界とされてきたことを突破して、新しい時代に向かって進みたいですね。