日本の生きる道 その1 メンタリティー

  今週の株式市場、為替相場の動きをウォッチしていて、やはり米国は崩壊に向かいつつあり、そしてその余波で世界恐慌は不可避なのだなということを確信しました。ドルは70円台が定着しつつあります。中長期では60円台、50円台、あるいは交換停止で実質ゼロになるということもあるでしょう。
  そのような中で、感じたのは、「日本の底力」でした。もちろん、円が対ドル、ユーロで強含んでいるので、輸出企業の業績懸念から、すっきりしない動きが続いているのですが、東日本大震災で、復興特需が期待できることや、全般に日本企業の体質が業務面、財務面で強化されているので、かなり底堅い印象があります。ひそかに欧米に見切りをつけ、「日本買い」を進めている向きも少なくないのではないでしょうか。
  大震災後に分かったことは、やはりサプライ・チェーンの寸断で、日本の製造業の高い技術力ですよね。台湾、韓国などが代替品で日本のシェアを奪おうとしましたが、どうもうまくいかないようです。モノづくりで妥協をゆるさないという姿勢は、日本人の精神性を強く反映しているので、米国式にかぶれてしまった韓国、台湾には限界があると思います。
  弱い自分を強く見せようとして、プレゼンテーション能力を高めたところで、所詮はそれはメッキにすぎない。韓国は冬季五輪の招致レースに見事に成功しました。キム・ヨナ選手のスピーチもすごかった。でも、何か無理をしていますよね。
  最近のサムスン電子や現代自動車の世界市場での活躍は目覚ましいものがある。でも、それはビジネス・スクール的なスキルを徹底したことや、為替が円と比べ、ウォンが安いことを生かしたことが大きな要因であることにほかならない。「韓国らしさ」って何もないんですよね。
  日本人って、良くも悪くも無理しないじゃないですか。だから無理にプレゼンテーションで、誇張したり、背伸びしようとしたりするのは、ややためらいがあるし、すごく苦手な分野だと思います。逆に自信のある分野では決して妥協しない。
  外部の人には分かりにくいかもしれないけれども、それはそれでいいのではないでしょうか。人間それぞれ個性があり、得意分野とそうでない分野がある。よく、日本人は画一的みたいなことを言われますが、実はみんなが同じ方向に向かって進むのを非常に嫌がる民族なんですよね。
    私は日教組とか、権利意識が強く、偽善的なことをする人たちが大嫌いですが、国旗、国歌を強制されることはあまりいいことではないと思います。野球場などで国旗掲揚、国歌斉唱が行われるときは、自発的にそれを尊重しますが、上からの指示でやらされるというのは、非常にいやです。
  一部の反日的な勢力を除き、日本人は基本的には、日本のことが好きだし、ある程度ゆるくても、それなりにやって行けて、安全で食べ物がおいしく、素直で誠実な人が多い、この国で暮らしていくのが快適だと感じているのではないでしょうか。
  無理にグローバル・スタンダードに従う必要はないし、韓国のように無理に合わせて、背伸びをするようなことはしたくない。欧米の価値観はすでに崩壊に向かっていて、おそらく、中国やロシアといったユーラシア大陸内陸部に富や人が集中することになるとともに、ローカルな価値観が重視される時代になると思います。
  ゆとり教育とからめて、いろいろと批判もありますが、SMAPの「世界に一つだけの花」は名曲だと思います。一人一人が違う個性を持つわけで、何とかして自分だけの花を咲かせたい。そのメンタリティーを私たちは非常に尊ぶし、大切なことだと思っています。たとえ花を咲かせられなくても、希望を持って努力を続けることは重要ではないでしょうか。そうでないと生きる意味を見失ってしまう。(続く)