晴耕雨読

  薄々はこうなるだろうなぁとは、かねてより予想していましたが、懸念していたことが現実化しています。それにしても、ここまで食えなくなる相場つきになるとは、しかも中途半端な形で行き詰ってしまうとは思いもよりませんでした。
  漠然と考えていたのは、相場が乱高下して、結局、欧米の金融経済情勢をストレートに反映して、クラッシュした末に、金融市場が機能しなくなるのかなぁというシナリオでしたが、米国株が世界の中でも突出して、不自然な形で高止まりして、その他の株式市場や、ドル・円が中途半端な水準で停滞してしまうというのは、何とも腑に落ちないですが、現実は現実として受け止めないといけないでしょう。
  誰がどう考えてもおかしいのですが、強引に現在の均衡を維持しており、これが崩れると、困る人たちがいるため、微妙なバランスを崩したくない、腫れ物には触りたくない、というのが大きいのでしょう。根本的な疑問は放置されたまま、このいびつな状態は、現在のところ、広く受け入れられているようです。
  ただ、誰も決して今の状況が本来あるべき、適正な形であるとは考えていません。しかも、人為的に(政治的思惑によって)形成された相場なので、何か思わぬ突発事態が起きれば、あっさりと崩れてしまう恐れがあり、そうなった場合の衝撃は想像を絶するものがあるでしょう。
  マーケットは、現実の政治、経済、社会の実態を反映するべきだ、というごく素朴な考えにもとづいて、相場と対峙してきた者にとっては、納得できない部分は多分にあるのですが、自分たちの力ではどうなるものでもなく、「これもまた相場」と達観する以外にありません。
  普段から言っているように、よほど確信がある場面以外では、相場とかかわらないのがベストなのです。上がるにせよ、下がるにせよ、相場が本格的に動き出す場面では、エネルギーが感じられるので、動き出してから乗っても遅くはないのです。
  だから、動くまで待てばいい。いや、相場で利益を得ようとするならば、ひたすら待たねばならないということです。そのための忍耐力、精神力があるかどうかです。
  ついこの間までは、雇用統計など注目度の高い経済指標の発表や、金融政策決定会合など、大きなイベントがあれば、それをきっかけに相場の流れが形作られるケースがほとんどでしたが、最近は必ずしもそうは言えなくなっています。
  だから、見極めが難しくなりつつあるのはたしかなのですが、ワンテンポおけば、トレンドを形成しようとしているのか、一時的な動きなのか分かります。トレンドが明確になったところで乗っても遅くはないのです。
  それに、トレンドを形成する際には、直前に何らかのヒントが相場から得られることが多いです。2月の金融緩和の発表の前には、ありえない場面、タイミングで、日経先物が1000枚のオーダーで買われていました。相場が動き出す前触れがあるはずです。
  そもそも、こういうほとんどが訳の分からない動きが続いているときは、トレードに適さず、まともに相場を相手にすべきではありません。相場を単に見ているだけでも、マイナスのオーラに襲われ、こちらの良い気を吸い取られてしまいます。こういう相場はまさに“魔物”ですね。
  雨が降るときには、畑を耕すのをやめ、読書にいそしむ。相場にかかわるのはやめて、別のことに専念したり、こういうときこそ、それこそ、「晴耕雨読」の文字通り、勉強をし、相場が動いた時に備えておくのがよいかもしれません。
  自分が相場を動かせるならまだしも、どれだけ不平不満を並べたところで、相場の動きに乗せてもらわなければ、何も始まらないし、1円も稼げないのです。乗りにくいところであえて乗ろうとするのは愚行だし、乗せてもらえるところをうまく見極めて、上手に稼がせてもらう。生き残るすべはそれしかありません。