祈りの日



  お盆ということで、お墓参りに行けないということもあって、先人の労苦をしのび、敬意を表するために靖国神社に参拝してきました。8月15日は終戦記念日であるとともに、1971年のニクソンショックから40年を迎える日でもあります。
  今年は、東日本大震災、東京電力福島第1原子力発電所の事故が起き、そして、現下の緊迫した金融状況に見舞われるという特別な年であり、ぜひ参拝しなければならないと思っていました。


  昨年も8月15日に靖国を参拝したのですが、今年は平日ということもあり、東京メトロ・九段下駅の改札を出るとすぐに行列ができていた昨年と比べると、人出はかなり少ないようでした。とはいえ、毎年この日は靖国周辺は特別な雰囲気に包まれます。


  神社の本殿に向かう参道には、例年のように「戦没者追悼中央国民集会」のテントが設営され、愛国を鼓舞する集会が開かれていました。
  私が通りがかったのは11時半すぎでしたが、ひげの隊長こと佐藤正久・参院議員(自民)が演壇に立ち、一席ぶっていました。昭和天皇の玉音放送を引用し、「国民が団結して震災後の苦難を乗り越えていかなければならない」と呼びかけていましたが、わかりやすくいいメッセージだったと思います。大きな拍手が起きていました。


  人ごみの中、ようやく本殿にたどりつきましたが、参拝するには長い列に並ばないといけないので、横っちょの方でそっと手を合わせました。


  日本武道館の政府主催の追悼式と連動して、午前11時53分に君が代斉唱、菅直人総理大臣の式辞と続き、正午の時報の後に、1分間の黙とうがささげられ、天皇陛下のお言葉へと続きました。
  靖国の杜全体が祈りに包まれたのですが、遠くからかすかにアホ右翼の「天皇陛下、万歳!」が響き渡り、静寂が破られた感じ。目つきの悪いチンピラがたばこのポイ捨てするのもしっかり目撃し、神聖な日に何をするんだと怒りがこみ上げました。





  これも例年の光景なのですが、神社周辺には、法輪功の人たちや台湾独立派、尖閣、竹島を守れと叫ぶ人々、菅総理の北朝鮮関連団体献金を糾弾する署名・・・などなど、面倒くさい人たちがたむろしていました。
  こういうの、いい加減やめませんか? それそろ成熟してもいい頃だと思います。敵の敵は味方という発想があるのでしょうけど、何が大切か見極めるべきでしょう。
  今も昔も日本の敵はまず米国です。戦前は米国の罠にまんまとはまり、内通者が国を売ったことで、しなくてもいい戦争に引き込まれ、悲劇を味わったのです。日本に情状酌量の余地はあるにしても、やはり国策として間違った戦争だった。
  そして、今、再び金融詐欺国家、米国にだまされて、奈落の底に落ちようとしているのです。もちろん米国が世界帝国としてのプレゼンスを失えば、日本は自分の力で、尖閣や竹島、北方領土など、周辺国との間で、やっかいな問題を解決しなければなりませんが、目下、集中すべきなのは、どうやって米国と決別するかです。
  ただ、野田佳彦次期総理大臣就任が濃厚となる中、日本は堕ちるところまで堕ちるんだろうなと、私は半分あきらめています。繰り返しの為替介入や米国債購入で、どん底まで行ってしまうでしょう。
  戦前も今も、日本の指導者層やインテリがアホであることに変わりありません。靖国神社は過去の過ちと向き合い、国体を護持するためにどうすればいいか考える場でもあると思うのですが、まあ、また痛い目に遭わないと何も学ばないのでしょうね。
  なでしこジャパンの勝利は、胸のすく出来事でしたが、あれは実力ではなく、“神風”です。今の米国の凋落ぶりを表したものだったからこそ、ああいう不思議な勝ちが舞い込んできたのです。普通に考えると、日本の負け試合でした。その事実を忘れてはならない。
  いっときの幸運に浮かれ、結局、はしごを踏み外してしまう。これこそ、戦前戦後、私たち日本人が何度となく繰り返してきた過ちだと思うのですが。
  来年の8月15日はどういう状況で迎えることになるのでしょうか? 「靖国で会おう」。胸が苦しくなるほど、この国を愛し、散って行った戦没者の皆さんには今の日本はどのように映っているのでしょうか? こんな今の日本ですが、厳しく、温かく見守ってほしいと願います。