蜜の味?

  私自身は優秀な人からどうしようもない人までいろいろ外国人と接してきた経験から、欧米人は総じて一見、賢そうに見えて頭が弱いと思っています。
  欧米人って基本的には何をやるにしてもオーバー・アクション(リアクション)ですよね。まあ、欧米人の身振り、しぐさが単純に絵になるというか、嫌味にならないというのもあるんでしょうけど、日本人やアジア人は恥ずかしくてはにかんでしまうようなことも、彼らは平気でやってのける。それは単に連中は頭が弱いからということに尽きると思っています。
  頭の回転が速いから、格好悪いことをしたくない、みっともないことをしたくない、恥ずかしいことをしたくないと即座に計算、判断し、感情を素直に表すことができない。逆にそれが欧米人から見ると、日本人やアジア人をつかみどころのないエイリアンのような印象を植え付けているのでしょう。
  空気を読むというのもそうですよね。以心伝心、相手の考えや行動をおもんぱかるという、高度な作業を脳内で行えるからこそ、空気が読めるわけです。欧米人は頭が悪いから、そんな高度な技ができません。それが逆に「空気をつくる」という日本人には到底できない行動に結びつくことも、また事実なのですが、馬鹿だから空気をぶち壊しにしたり、微妙な感覚が分からないから、精密で洗練されたものやサービスを生み出すことができません。
  米国で買い物なんかすると、お釣りを出すときに商品の価格に釣銭を足しながら計算しますよね。たとえば75ドルの商品を買って100ドルを出して、5ドルと10ドル2枚を釣銭として返す場合、商品の75ドルにまずは5ドルを足して「エイティー(80)」、さらに10ドルずつ足して「ナインティー」「ハンドレッド」と足し算をしていきます。
  日本人だと引き算が当たり前なので、即座に25ドルが返ってきます。さすがに米国でも引き算で考える人は多いし、何も考えずともレジに表示された額の釣銭を出せばいいだけのことなので、こういう風景はかつてよりは減ったと思いますが、それでもそういう釣銭の返し方をよく見かけます。
  そんな、頭が弱い連中ですが、必ずしも頭が弱いから成功しない、豊かになれないというわけでもないんですよね。私が彼らの行動で、もっともリスペクトするのは、「とにかく何でも行動してみる」というポジティブな思考です。
  日本人は頭がいいから、何かをやる前に、いろいろと考え込んでしまい、結局、行動しないみたいなことが良くあります。それが日本社会全体が委縮してしまっている原因でもあります。(まあ、逆にサブプライム問題みたいな筋の悪い話にのめり込まなかった良い点でもあるのですが・・・)
  やる前から明らかに失敗するとわかっていることでも、トライしていると学ぶことは何かしらあるんですよね。サントリーの創業者の「やってみなはれ」、松下幸之助氏の「転んだら立ち上がりなはれ」みたいな精神の奥底にはそういう発想があると思います。
  「失敗=悪」と決めつけないところはとてもいいと思います。むしろ、それをいい経験、キャリアととらえることには、大賛成ですね。
  日本だと経歴に「バツ」がつくと、それだけですべてを否定されてしまいますが、何も行動しない奴は当たり前のことですが、きれいな経歴ですが、何も学んだことのない奴なのです。何かにぶつかって、何かを学んだ、知った奴の方が尊い。欧米流のそういう考え方は非常に共感しますし、日本に欠けていて、それが一番嫌な部分ですね。
  頭が弱いからこそ、素直に考えて、何事にも物おじせずにぶつかっていけるという側面は大きく、うじうじ考え込んで、何もしないよりは、やった方が、どうせ一度きりの人生いいんじゃないかと思います。ただし、常に負け続けだと、徐々に信頼を失っていくことも事実で、それを跳ね返すにはハンパない努力が必要であることは付言しておきます
  「他人の失敗は蜜の味」と言いますが、他人の失敗をネタに盛り上がるのは、日本も欧米も一緒です。ゴシップとか人事の話が興味を引くのは万国共通です。ただ、日本は成功した人を素直に評価できない傾向が強いですね。やっかみ、嫉妬、出る杭は打つ考えの方が強く働きます。中国で暮らしている人に聞くと、中国では日本以上にそういう傾向が強い地方、部分があるそうです。
  他人の失敗を喜んだり、成功をねたんだりしても何も生まないし、始まらないですよね。他人が成功したということは、自分にだって何らかのチャンスがあるわけだし、道筋をつけてくれたにほかなりません。他人の失敗は自分が失敗せずにすむ好材料を提供してくれます。
  単純に成功した人に取り入って、成功のノウハウを学んだり、良い運気をおすそ分けしてもらった方がいいじゃないですか。持ち上げて、飯でもおごってもらったり、深い知り合いになった方がいいじゃないですか。
  だから、むしろ「他人の成功は蜜の味」と考えた方がいいです。たとえ、それが憎きライバルであっても、それは、自分に能力がなかった、運がなかったということを気づかせてくれる、いいきっかけではないでしょうか。そもそも同じ土俵で戦うには無理があったのかもしれません。じゃあ、別の道で成功を目指せばいい。
  本当に情けないと思ったのは、韓流ポップが、米国進出をもくろんだものの、苦戦しているというニュースに、歓喜の声を上げる日本人が少なくなかったこと。日本は「クールジャパン」だのなんだの言って、韓国に大きく後れを取っているわけですよ。そんな奴らが韓国の失敗を笑ったところで、みじめなだけな話です。
  むしろ、この苦戦、失敗を他山の石にして、我々は同じ失敗をせずに、どうやったら売り込めるか考えるのが建設的というものでしょう。
  これからの時代、先端技術や先進的なビジネス、文化なんかは、もっともっと、ボーダレスに世界中を行き来する時代になります。そういう時代に、深く考え込んだり、うじうじとして何も行動しないと、どんどん沈んでいくことになります。
  他人が成功したなら、じゃあ私たちもというくらいの気概がほしいものです。