イランをめぐる情勢とか、朝鮮半島の動向とか、日本のメディアの報道を見ていると、緊迫感がまったく感じられませんが(ワイドショーのゴシップ感覚の北朝鮮報道は多いですが)、かなりヤバい状況であるということはきちんと認識しておいた方がいいでしょう。
そして、何が起きるか、あるいは起きそうであるか、ということは欧米の歴史から読み解いていく必要があります。欧米というのは、戦争経済で成り立ってきた歴史があるということをあらためて肝に銘じておきましょう。
欧州は文化がどうのこうの言って偉そうにいばりくさっていますが、つい最近まで、いや現在に至ってもなお、野蛮人の集まりであることに変わりありません。
昨年何が起きたかをよく考えましょう。「アラブの春」という、市民の民主化要求デモに乗じて、それをあおって、資源を奪取したのはどこの国でしょうか? リビアのカダフィ政権を倒す動きに乗じて、米、英、仏が結託して反カダフィ派に軍事支援を送り、ちゃっかり油田をのっとったのは誰でしょうか? 産油国のスーダンを南北に分割したのは、石油利権が目的ではないと言えるのでしょうか?
欧州は第2次世界大戦の惨禍を経験し、もう戦争はしないと決意して、共同体を結成、さらに経済統合を進めて現在に至るわけですが、要は欧州人同士では争わないということだけであって、欧州以外の世界では、米国ほど露骨ではないにしても、混乱に乗じて利権をむさぼってきたのです。
福島原発をめぐる悪意に満ちた欧州メディアの報道なんかを見るにつけても、私は欧州に本当に失望しました。そして、彼らほど危険な人たちもいないということです。
戦争のない世界が実現することは、人類の理想ですが、なかなかそうはいきません。欧州では第2次世界大戦以前は、10年あるいは20年おきぐらいに戦争があり、それが技術革新や経済活性化につながっていました。第2次大戦後は米国がその役割を担っていますね。
残念ながら、戦乱がない状態で、安定的で持続的な経済状況を維持するすべや知恵を人類は持ち合わせていません。普通に農作物や食品をつくり、衣料品をつくり、日用品をつくり、家電製品をつくり、自動車をつくるだけでは、多くの人を食べさせていくだけの需要はつくり出せません。
だから、定期的に戦争を発生させ、兵員を食べさせ、衣服を与え、兵器、燃料を無駄遣いさせ、街を破壊することで、新たな需要を生み出すことで、経済を維持するわけです。
当然、この状況を冷静に見つめ、ビジネスチャンスをつかもうとする人たちもいますね。欧米の金融機関や軍事産業がまさにそれです。連中を“死の商人”と言わずして、何と呼びますかね。国家に寄生し、戦争を煽って、ぼろ儲けをもくろむ、人間のクズです。
一応、「平和国家」である日本も、まったく無縁とはいえませんね。朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本経済はどれほど潤ったか。ただ、戦争経済への依存度は欧米ほどではなく、国民を食べさせるための手段としては主に公共事業(土木工事)に頼っています。
だから、公共事業=悪とは単純にはいえないんですよね。海外で街を破壊し、人殺しをするよりどれだけましか。しかも、日本は貿易黒字国であり、所得再分配をする上でも、必要悪といえるでしょう。もちろん、無駄な公共事業については見直すべきですが、安易なばらまき批判には警戒すべきでしょう。公共事業をカットして浮いたお金は米国に貢がされるだけのことです。
中国脅威論がいわれますが、中国は今までの歴史で、戦争経済を志向したことはありません。むしろ、日本型の公共事業主導の経済構造です。中国に対するバブル懸念や批判も、一部は当たっている部分があることは認めますが、あまり真に受けとめるべきではないでしょうね。
何より、中国は欧米の歴史をよく分析しています。特に国家的屈辱を受けた「アヘン戦争」は忘れないでしょうね。貿易赤字を解消するためにアヘンを売りつけるという、欧米が行った蛮行でも1、2を争うものでしょう。中国が麻薬犯罪に厳しいのはこういう背景があるからです。時々、日本人やフィリピン人なんかが死刑を言い渡されるケースがありますが、中国側のメッセージとして受け止めるべきでしょう。
一国が他国を長期間侵略するほどの軍事力を持つのは、もはや難しい時代だし、イランを攻めたところで、一時しのぎにすぎず、いずれ財政、金融上の問題に直面するでしょう。欧米の世界支配が終わったところで、持続可能な経済システムをつくるのは難しいと思いますが、自分が生き延びるために他国を犠牲にするこれまでのやり方は改める必要があります。