日本は温暖な気候と、豊かな森林、恵みをもたらしてくれる海に囲まれ、人が住みやすい環境がそろっており、おおらかな国民性をはぐくんできました。新しい歴史教科書をつくる会の「国民の歴史」を要約するとこういう感じでしょうかね。
たしかに、日本より北側にあり、寒冷で土地もかならずしも肥沃とはいえず持てる者と持たざる者の格差が厳しい韓半島(これは現在でも南北を問わず続いている)や、人口が多過ぎる上にしかも異民族による侵入が繰り返され、薪をとるために山々の木がすべて伐採されるといったことに象徴されるように悲惨な略奪の歴史をたどってきた大陸中国とは、決定的に異なる点ですね。
日本でも歴史的に何度も飢饉が起き、そのたびに悲劇があったわけですが、中国で動乱期に数千万人の人口が一気に数百万人レベルまで激減するような極端な事態には至らず、多少の怠け者や、はみ出し者でも食わせていける余裕はありました。
中国、韓国がコネを持つかどうか、家柄がどうか、生まれながらの運に恵まれているかどうかも含めて、本当に実力社会であったのに対し、日本はそれほど食うには困らないので、誰でもそれなりに恩恵を受けることができました。もちろん、それでも貧富とか才覚、家柄、身分による格差はあったでしょうが。
そうした歴史的な経緯もあって、日本は他者に対して寛容で(ただし実際に外部の人間が日本で、ある社会の一員になろうとするとハードルは高いのですが、それは世界中どこでも程度の差こそあれ存在する障壁です。欧米人なんかが問題にするのはどうすれば日本社会に受け入れてもらえるかルールが見えないことでしょうね)、平等という独特の社会を形成してきました。
高度成長の時代なんかは、製造業からサービス業まで、あらゆる現場で、人の力が必要とされたので、教育水準が平均して高く、均質な日本人の長所が発揮され、力強く、しかも息の長い経済発展を実現しました。平等でしかも平均的な所得レベルが高いので、マーケットとしても魅力的で、日本市場で鍛えられたメーカーが高品質で、ほかにはない機能を引き下げて、海外市場で席巻しました。
元号が昭和から平成に変わったあたりまではバブル経済絶頂で、ついには日本中の誰もが金回りがよく、「一億総中流」とまで言われ、日本がGDPで米国と実質的に逆転した時期でもあります。現在の中国の指導部も、このころの日本の経済状況をつぶさに研究しています。
日本には、どちらかというと突出した能力や個人プレーを尊んだりする文化はなく(全くないわけでもないのですが一般的に)、出る杭は打たれるので、とんがった個性を持った人にとっては息苦しさを感じることも事実ですが、チームプレーを重んじ、「個人だと無能だが、チームだととてつもない能力を発揮する」と言われるように、集団で目標に向かうと、強さが際立ちます。
バブル絶頂期までは 素晴らしいサクセスストーリーが続いたわけですが、その後の「日本転落」の成り行きは、ご存じの通りで、くどくどと説明するまでもありません。
旧ソ連との冷戦で、よれよれの状態になった米国は、ニクソンショック、プラザ合意と実質的に国家破綻し、一方で、世界中を買いあさる勢いとなった、日本をのさばらせると自分たちの存立も危うくなるということで、本気になって日本をバッシングし始めるようになりました。それまで挫折を知らなかった日本経済は変調を来し始めます。
膨張するジャパンマネーを背景に、世界一の資産規模を誇った、日本の金融機関が徹底的にいじめ抜かれ、次に日本の電子部品抜きでは、米国は戦争を戦えなくなったとまでいわれた電機産業も、韓国勢、台湾勢をけしかける形で牙を抜かれ、自動車もでたらめな品質問題をでっち上げられ、勢いを失いつつあります。
さらには、必要もないのに米国債を買わされ、不当な円高攻撃も受け、かつての日本の勢い、バイタリティー、経済成長のダイナミズムは、完全に消沈して今いました。現在は小康状態ですが、今後、米国の衰退がより顕著になれば、道連れにされようとしています。
貧すれば鈍するといいますが、鉄の結束で、世界標準の視点でも、押しも押されもせぬ「経済大国」の地位に上り詰めた日本人の意識にも変化が現れます。政治、軍事はまったく諸外国に歯が立たなくても、ビジネスでは無敵だったわけですが、経済的にも袋小路に追い詰められ、金の切れ目が縁の切れ目ともいわれるように、限られたパイをめぐって醜態をさらすようになります。
強いものが富み、弱いものは隅に追いやられるという、これこそまさにグローバルスタンダードですが、徐々に弱肉強食のルールが浸透するようになりました。
貧しい人は徐々に自信をすっかり喪失し、卑屈な態度を取ったり、根が卑しくなったり、目的意識を見失ったり、生きる力をうしなったりする(もちろんすべての人がそうではありませんが)一方で、強者とされる側も、所詮は米国の片棒担ぎにすぎず、陰に陽に弱いものいじめや、傲慢な態度や、他人に対する共感、いたわりが薄れるようになりました。富める人(本当の意味で富んでいるのかは疑問ですが)も、貧しい人も何かに追われているようで、幸せな顔をする人がいなくなってしまいましたね。
諸外国と比べると、現在の日本の格差問題なんて、相対的に小さく、取るに足らないものかもしれず、現時点ではまだその弊害は表だって出ていませんが、平均的なレベルが高いことによって、強さを発揮してきた日本の魅力は著しく落ちるでしょうね。人心が荒廃し、犯罪が増えたり、国としての一体感が薄れる原因にもなりかねません。
現在のところ、若年層がモノを買わなくなったのが一番目に見える日本衰退の兆候であり、我々の想像を上回るスピードで進んでいるので、これはどうにかしないといけないですね。若者が消費をけん引しなければ、新しいもの、元気のあるものは生み出されません。効果が怪しい、わけのわからないヒアルロン酸とか、グルコサミンとか、介護用品、年寄り向けの旅行商品が売れたって、日本全体に活力が生み出されるでしょうかね。
弱肉強食は自然の法則なので、日本にもいよいよそれが浸透するようになったと言ってしまえばそれまでですが、狭くて人口が密集する日本で、互いがいたわりながら、落ちこぼれを許さない姿勢できたことが、活力につながったわけで、こちらの方が世界に広がるべき、価値、スタンダードではないかと思いますがね。
人間にはそれぞれ生まれついて持っている資質、才覚、運があるので、どうしても格差が生じるのは仕方がないと思います。また、人と違った生活がしたい、人より豊かになりたい、あるいは自分らしく生きたいという気持ちがお金もうけをしようという原動力の一つで、経済のダイナミズムになっていることは間違いないでしょう。能力のある人はもっともっと新しい商品、サービス、人々をびっくりさせる仕掛けを考えて、豊かになればいい。
ただ、一部の人が富を独占し、大多数が貧しいというのは、結局、みんなにとって、デメリットの部分が大きいと思います。金持ちの人たちは、鉄柵で覆ったゲート・コミュニティー(逆強制収容所)に押し込まれて、仲間内で集まって暮らすのがいいのでしょうかね?
とにかく、小難しい事よりも、誰も一人では生きられないのです。多くの人の働きによって、社会は成り立っているわけであり、謙虚さも大切だということです。