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重要局面

  一見、何気ない調整局面、配当落ち後、あるいは期末の攻防のように見えますが、とても重要な攻防を行っています。とともに、相場が欧米の金融機関によって意図的に操作されていることが良くわかる局面です。この人たちがのさばる限り、世界は何一つ良くなりません。
  ドル・円は82.30~82.45あたりが重要な価格帯。沈み込んだら、25日線や、フィボナッチ的な節目が意識され、はっきり言ってややこしい局面になります。これをどうするか。
  併せて日経先物は大雑把にいって1万円台とか、25日線の攻防をやると、面倒です。やりそうでやらないのか、やってしまい、時間稼ぎをするのか?
  中国の景気減速、北朝鮮ミサイル、イラン情勢など口実はたくさんあります。いつもながら、アジア時間に嫌がらせしてきますね。恨みを買わないためにも、ほどほどにしておいた方がいいと思いますけどね。そのうち、欧米なんて中国の植民地。白人なんて頭悪くて使い物にならないから、ショービジネス、あるいはセックス産業ぐらいしか雇用はないでしょうから。

3月29日のポイント

  配当落ちを埋めるのか、埋めないのか、例年もうちょっと分かりやすい動きをしていたと思いますが、もうすでに方向性を決めているに決まっているのに、しつこくレンジにとどまろうとしています。相場を支配し、嫌がらせすることぐらいしか、欧米人って存在意義はなくなっているんですよね。まあ、それも今年、来年ぐらいまでか?
  何を考えているのか知りませんが、こんなところで、全力でショートをかけるのだけはバカだということです。

ただほど高いものはない

  あまり金にこだわりすぎると、欧米のように一般の人間関係がとことんビジネスライクになってしまいますが、“金の切れ目が縁の切れ目”というように、人同士のつながりはお金で結びついている部分は、多分にあります。だから、ぼったくった、ぼったくられた、だました、だまされたという非常に極端な例は論外としても、適度にお金が回らないと、社会はうまく構築できません。
  格差社会なっていうのも、そういう側面がありますよね。今までは地縁、血縁を中心とする、伝統的な社会とか、よほどの曲がり屋でない限りは誰でもその辺の会社に就職してそこそこの生活ができた社会では、能力の差はあまり問題にされず、誰もがそこそこハッピーに暮らしていけました。
  バブル絶頂期前後は、「1億総中流」なんていわれた時代もあって、社会全体が金回りが良く、少子高齢化みたいな漠然とした不安はありつつも、「景気がいい時も悪い時もあるさ」みたいな、ある意味、達観できていて、前を向いて生きていけた時代でした。
  日本が経済的に独り勝ちを許されなくなり、生産体制をはじめ世の中全体の効率化が進み、新興国の台頭で競争が激しくなると、日本人の所得はじりじりと下がり、徐々に金回りが悪くなり、限られた利益をめぐり、争奪戦が起こるようになりました。
  そうなると、まずは地方にお金が回らなくなり、高齢化社会の進行とともに、過疎化が進んで活力を失い、さらに都市部でも「正社員」「終身雇用」で成り立ってきた、生産活動にも変化が現れ、正社員と契約社員あるいはパート、正社員の中でも能力主義が取り入れられ、持てる者、持たざる者の線引きがはっきりするようになりました。
  世界的、歴史的にみると、以前の日本のように誰もがそこそこ豊かで、格差が小さいというのは珍しく、力のない者、才覚、才能のない者、努力しない者、要領が悪い者は淘汰されるか、隅に追いやられてしまうというのが当たり前で、それが自然の成り行きでもあります。
  このまま、いわゆるグローバル・スタンダードに染まってしまっていいのか、それとも、かつての日本を意識しつつ、新しい時代に合せた所得分配のあり方を考えるべきなのか、永遠に議論が続くでしょうね。
  トレードの世界は実力の世界なので、生き残るには誰かを蹴落とさなければなりません。だから、まさに他人の失敗は蜜の味。私も容赦なくダメ人間のことを嗤いますが、相場の動きに対応できなくなったり、相場自体がクラッシュしなくなってしまったら、明日は我が身かもしれません。その辺は厳然たるルール、自然法則に支配され、参加者は好むと好まざるにかかわらずそれを理解することを求められているので、誰もが粛々と受け入れなければなりません。
  ただ、一般の社会では、必要以上に実力主義を追求しすぎると、いろんな面で歪みが生じます。衣食住あらゆる場面で、多くの人の力によって成り立っています。人は一人では生きることはできません。なかなか顔が見えませんが、お互いの労働によって支え合って、高度で複雑な社会が形成されているのです。
  例が適切かどうか分かりませんが、2005年のJR尼崎線の脱線事故では、過密ダイヤで定時運行に対するプレッシャーを強く感じた運転士が、おそらく最後はやけっぱちになってしまったのでしょう。速度を出してはいけないところを猛スピードで突っ走ってしまい大惨事を起こしてしまいました。
  仕事に過度に追われている人、希望を見いだせない人、奴隷状態に置かれていると感じて不満をためている人、自分だけが生き延びることに必死な人が増えたら、あらゆる場面で、JR事故のようなことが起きるのではないでしょうか。そこまでいかなくても働く人のモラルが低下したら、社会はどうなるでしょうか。
  日本人はお金に必要以上に執着することに対して、今でも罪悪感、嫌悪感が強いですが(だから株、先物、FX取引はかなり普及しましたが、一般的には嫌われます)、裏を返せば、お金を意識しなくてもそれなりに暮らしてこれたからであり、お金が社会の潤滑油として、回っていたからにほかならないでしょう。
  それが豊かさボケ、平和ボケを生み出してきた側面は否めないし、ゆとり教育、学力低下の背景なんかも、その辺の要因が大きいでしょうね。
  ただ、全体としては、世界はどんどん豊かになっているのです。社会の隅々までその恩恵を行きわたらせようという発想があってもおかしくはないと思います。ある程度、努力をすれば、しっかりした商品、サービスを提供すれば、それなりの対価が支払われるというのは、あってしかるべきだと思います。
  だから必要以上に、値切る、安く買いたたくという風潮は、是正されるべきでしょうね。一部の人が豊かになる分、割を食う人がいるわけで、社会全体の不安定化につながりかねません。
  2、3年前に「フリー」なんて本が出て話題になりましたが、労働に対する対価がタダなんてことはありえないし、あってはならないのです。金持ちと奴隷だけの世界になってしまいます。そんな社会でいいのか?
  欧米なんかはずっとそうだし、日本でもそうなりつつありますが、裕福な人とそうでない人の交流が少なくなり、人と人との間の「壁」が存在するようになっています。
  以前にもこのブログで書きましたが、小学校(公立)の同窓会なんか開こうとしたら、私の通っていた学校は都市部だったので、所得や成功した人とそうでない人の格差が激しく、誰も集まりませんでした。だから能力の差はあってもそれぞれが生きる道を見いだせるという「金八先生」のような社会ではもうないのです。
  ちょっと前までは、大工や土建屋さんの方が、公務員やサラリーマンより金回りが良かったみたいな時代がありましたが、現在では必ずしもそうではなりつつあり、さらに生きる世界、階層が固定化しつつあります。
  そうなれば、貧しい人は自分の失敗を他人のせいにして、欧米のように「移民が悪い」「輸出でぼろ儲けする中国が悪い、日本が悪い」みたいな偏狭なナショナリズムに陥る危険性が高く、その一方で富裕層は、世界の富裕層同士でビジネスや留学先の同窓生で結びつくみたいに二極化し、国や地域としての一体感も薄れることになりますね。
  それはそれでやむを得ない面もあるのでしょうが、どんな高級車に乗っていても、高級住宅に住んでいても、道路を走ったり、電気、ガス、水道を使ったり、ケータリングをしてくれたり、荷物を運んでくれたりするのは、地域の人の地道な労働があるわけで、そこにほころびが生じると、金持ちの人にとっても暮らしにくくなってしまいます。外で食事をして中国みたいに高級料理店でも、素材に化学物質や毒性のある物質、食中毒菌が混入している恐怖におびえなければならない、信用できない社会ってどうでしょうね。
  だから、働く人、努力する人に対してはそれなりの対価を支払い、インフラ、サービスの質が維持される方がいいのではないでしょうか。国じゅうにスラムができ、立ち寄れない場所が増えるより、よほど安上がりだと思うのですが。

忘れた頃に

  昨年秋以降のギリシャ支援をめぐる動きを見ていると、「どう考えても無理筋だろう」「ユーロ崩壊か?(ギリシャのような小さな国が離脱したとしてもユーロ自体がなくなることはあり得ないですが)」と身構える局面でも、多少は崩れることはあっても、決定打とはならず、破滅的な暴落を回避してきました。
  3月中旬に一応、当面のギリシャ支援の方向性が固まったことで、各国の金融緩和政策も後押しして、市場はリスク回避の動きから、リスクテイクへとかじを切りましたが、問題は先送りされたにすぎず、むしろ潜在的なリスクが高まったとすら言えるでしょう。
  基本的には、衆人環視の状況下では、暴落というのは起きにくいもののようです。暴落の際には口火を切る人がいるわけですが、もし、その売りがきっかけになって投げ売りが始まったならば、世界中からとてつもない非難を浴びるわけで、さすがにいくらがめつく、卑しい連中といえどもそういう暴挙にはなかなか出られないということです。
  ただ、例外もあって、リーマン・ショックの時は、金融市場全体が非常事態にあるということを織り込んでいなかったことで、リーマン・ブラザーズが破綻した瞬間、大暴落しました。
  あの時は、暴落前にいろんな情報が錯綜して、ちょっとしたきっかけで値が上下しました。「韓国の金融機関がリーマン救済に資金を出す」みたいな怪しげなニュースがそれなりの報道機関から流れ、小反発しましたが、デマでした。この辺も誰がどういうソースから情報を入手して流したのか、誰が売買したのか(売り抜けたのか?)、きちんと検証すべきだと思うのですが、ほっかむりしたままですね。
  本当に緊急事態の時には、目の前で暴落ショーが繰り広げられるし、金融機関も何でもありの汚い手を半ば公然に使ってくるということも、リーマンの教訓として頭に入れておいた方がいいでしょう。暴落前の値動きとしては、直近(昨年後半から今年2月中旬くらいまで)の日経平均先物やドル・円の底値付近での動きに似ていました。レンジで方向感なく推移した後、ちょっと上昇して、いきなりずどんと落ちました。2度同じ動きをするかは分かりませんが。
  ここ4、5年の状況を見る限りは、誰もが「暴落するかもしれない」と身構えるような状況よりも、パターンとしては、誰もが予期しなかったようなところで、ある日突然、ずどんと暴落するケースが圧倒的に多いような気がします。
  チャイナ・ショックだの、ドバイ・ショックだの、ギリシャショックだのと、かなりの値幅を伴った大暴落がいろいろとありましたが、大抵は、抜き打ち的に起きましたよね。日経平均先物の取引時間が今よりうんと短かったので、そう感じるだけかもしれませんが。
  でも、全く予期できなかったかというと、必ずしもそうではなく、上昇が一段落した局面であることが多く、数日くらい前から何となくきな臭さがただようというのはあります。高値警戒感みたいなのはあって、いつ崩れるかなとびくびく(あるいはショートを仕込んでわくわく)するような状況です。
  ただ、相場全体を揺るがすような大暴落に向かい、一瞬にして暗転するとまでは、誰もが予想できず、高値圏でだらだらとロングを引っ張ったり、それまでの上昇に乗り切れず、未練がましく買い持ちしていた人たちは地獄を見ることになります。
  上昇局面が長らく続くと、どうしても市場全体のマインドが緩くなってしまいますからね。買えば上がるというおいしい状況に油断していると、リスク管理の甘さを見事に突かれてしまいます。
  往々にして、そういう場面では、どんなに注意深く接していても、上目線が抜けきらないので、なかなか、ショートに転じにくいですしね。「そろそろショートだろう」と思っても、しつこく買われるので疑心暗鬼にもなってしまいます。
  唯一の救いは、上昇途中とか下落途中の中途半端で達成感が感じられない局面では、暴落しないことです。これに関しては、いつまでも通用するかどうかは分からないので、あまり安易に信じることはおすすめできませんが。
  そういう意味でも、予期しなかったようなところで、暴落はある日、突然やってくるということです。株価が上昇しようと、通貨が買われようと、欧米が衰退し、世界支配が終焉に向かいつつあることは間違いありません。金融緩和で市場をお金でジャブジャブにして、偽りの金融市場の活況を演出し、時間稼ぎをしているにすぎないのです。
  トレーダーとして、常に怠ってはならないのは、微妙な値動きに敏感であるべきということと、警戒心を忘れないようにすること。要はそれに尽きます。