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4月2日のポイント

  ドル・円をやっている人はかなり週末踏みあげられた人がいるようですが、金曜日の夕方までは私も正直、どっちもありだと思いましたね。25日線より沈んで、直近高値、安値の38.2%押しまでいけば、2月中旬以来の上昇相場にピリオドを打ってもおかしくありませんでしたが、持ちこたえました。というよりは、崩れると見せかけての茶番劇だとは思いますが、本気で売り込む場面もあり、緊迫感がありました。何とか安値圏でポジションを仕込めましたけどね。
  ただ、日経先物がドル・円のゆるゆる加減とは対照的に強含みだったので、正気を保てました。日経先物をやる人はドル・円、ドル・円をやる人は日経先物をクロスチェックするといいですね。かなり有効です。
  早いもので、4月相場入り、ドル・円の動きから、ここから本気で上昇する局面を期待したいものです。いままでは、節目節目でじれったい動きばかりでした。気合を入れれば、こんなものじゃないだろうよと。

レンジ・トゥ・レンジ

  日経先物、ドル・円ともに堅調だと思いますが、イケイケになるのかと思いきや、どうも動きがすっきりしません。材料が出る、あるいは材料を出すタイミングに合わせて、時間調整、小規模な値幅調整をしながらの上昇なので、レンジで推移する時間がどうしても長くなってしまいます。あるレンジから次の(別の)レンジへ移るという動きを常に繰り返しているにすぎないということです。
  月末で月足をどういう形に仕上げるか、月始で下値確認をどうするか、イベントにからめてどううごかすかなど、ところどころで重要なターニングポイントがあるので、レンジでの推移に振り回されないようにしたいものです。
  基本的には、重要なポイントでは、誤解を招かないようにはっきりした動きを見せます。先物だと上を目指すならば高値を更新する動きに出るでしょうし、逆に上昇に終止符を打って、下落に転じるならば、値幅を伴った長い陰線を引くでしょう。
  2月末の攻防が象徴的でしたね。先物もドル・円も月末をにらんで直近高値を更新してきて、いったんそれなりの値幅を伴って下落しました。先物は1万円あるいは200週線をにらんだ動きで、もし、相場が反転するなら、ズドンと下に落としてくる可能性が高かったのですが、底割れかと思った瞬間に猛烈な勢いで買い上げられ、再び高値を更新してきました。
  これが2月28日の動きで、翌29日はさらに高値を更新した後、調整に入りました。これは値幅とともに3月の月足をどう描くかということもからんで、時間調整を入れる意味合いもありました。さらに翌週には月に1度のビッグ・イベントである米雇用統計発表も控えており、あまり先走った動きもできない状況でした。
  だから、レンジで動いているときは、そんなに慌ててポジションを取る必要もなく、乗れるのならば乗せてもらうというスタンスでいいと思います。かなり力関係がはっきりした動きになるので、ある程度動いたところで飛び乗っても十分利幅は稼げますし、何より安全確実です。
  2月中旬の追加金融緩和決定の前後にもターニングポイントがありましたね。日経平均が9000円に乗せるか、ドル・円が昨年8月の為替介入ポイントである1ドル=77.10を抜けきれるかどうかに注目が集まり、どちらに抜けるかレンジで推移。2月14日の追加緩和発表で棒上げしました。
  とにかく上値が重く、9000円ではね返す動きが強かったので、市場参加者の目線はやや下向きでしたが、見事に裏をかいて、(値幅は伴わないものの最近にしては力強く)爆上げしました。
  そういうときに限って、みんな不安になるんでしょうね。「ショートを仕込んで放置しました」とか「プットを買いました」みたいな頭の悪いコメントを寄せてくれるので、じっと我慢して耐えていた私は、気が散って仕方がありませんでした。当時も強調しましたが、ああいう場面で決め打ちは大変危険です。
  はまればいいですが、大抵、思惑と逆に動くケースが多いです。仮に成功したとしても、決め打ちで仕込むのと、動いてから乗るのとでは、それほど値幅は変わりません。ほんの50円、100円多く獲れるぐらいのはなしです。だったら、保険と思って、気長に待った方がいいと私は考えます。
  レンジで推移して決着がつけば、ミツバチが花から花へと移動するのと同様、上なり下なり次のレンジで推移して、さらに別のレンジに移動するという状態が繰り返されます。上に行くか下に行くか判断がつきにくいところでは、むやみに勝負に出るより、静観していた方が賢明なのはこういう理由です。
  上(下)のレンジから上(下)のレンジ、さらに上(下)のレンジへと順調に進めばいいですが、上のレンジへ乗せた後、下のレンジに行ったり、下のレンジの後に上に行くということも往々にしてあります。全体として値の行き場がなく調整モードの時に起こりがちですが、そういうケースもあるので、できる限り、動くまで待つというスタンスが無難なのです。

風見鶏

  世の中で一番、言っている事が常にころころ変わるのは間違いなく、金融市場にかかわっている人たちでしょう。それは普段、安全地帯から上から目線で、偉そうなことを言っている私のような人間も同様です。値動きに合わせて行動をたださないといけないので、相場が軟調あるいは動きがにぶいときは不満たらたらだし、堅調だったり動きがよければ、上機嫌という、まさに風見鶏、気分屋、こうもりですね。
  個人レベルなら、「まあ勝手にやってなさいよ」程度で済むのですが、それなりに名の通った金融機関とかシンクタンクなんかも、その辺の個人投資家と同じようなことを言ったり、やったりしているのですから、世話はありません。
  特に相場の転換点での右往左往ぶりは目を覆うばかりで、安値圏では、まさにVIX指数マックスで「底割れか」みたいな不安感をやたらとあおるマーケットコメントが目立ちますし、逆に高値圏ではバラ色一色ですね。そしてそこから相場の反転が始まるのですが、今までのことがなかったかのように、しれっと、真逆のコメントが出てくるわけです。それは人間の弱さなので、弱音を吐いたり、根拠もない自信をふりまく人を攻めても仕方がないです。
  「信は万物の基をなす」とか「信なくば立たず」と言われるように、信念とか大局観みたいなのは、大切だと思いますし、自分自身も信じる方向性はあるわけですが、世の中なかなか思い通りにいくものではないし、そもそも自分の考えていることが間違っていることさえある。
  先物取引、ブログを再開して、6月で1周年になるわけですが、これまで振り返ってみて、自分でも言っていることが揺れているなと感じる部分は少なからずあって、みっともないし、恥ずかしいことこの上ないです。
  2012年は早いもので3カ月が過ぎました。第1クオーターが終了したということで、私自身の言動を総括しておく必要があると思いますが、年初の「今年はどん底に落ちる」という悲観的な予想とは裏腹に、金融市場は至って堅調に推移しています。これは残念ですが、(現時点では)予想が外れているということを率直に認めないといけません。
  特に、私は欧州問題が各国の国債償還、借り換えが集中する3月にどうにも行き詰ってしまい、そこから大崩れするのかと予想していましたが、2月14日バレンタインデーを境に、相場の様相は一変しました。ずっとこの間の発言をご覧になっておられる方は、お分かりだと思いますが、暴落に対して身構えていたのですが、肩透かしを食らい。慌ててロングに転じたというお粗末さでした。
  大局的な動きとして、いずれ欧米が没落するのに合わせ、金融市場も危機的な状況に陥るという見立て自体は、何ら変わっていません。現在の状況は最後の悪あがきで、絶好のショートポイントに向かって上昇しているんだと思っています。
  ただ、目先について、リーマン・ショック前から続く、下落トレンドにいったん終止符が打たれ、今までの相場の様相とは明らかに変わっていることに注意しなければなりません。5日線、25日線、75日線という身近なレンジの移動平均線をクリアし、さらに200日線、52週線を確実に抜けようかという局面です。これは実に4年ぶり、5年ぶりのことなのです。
  これだけ長い時間軸で続いてきたトレンドがひっくり返されると、通常は、最低でも半年以上は相場が反転し続けると考えるのが自然ですね。2~3年くらい続くかもしれません。だから、2008年秋以降、今年1月まで続いてきた相場の地合いを基にした、相場観は改める必要があります。
  基本的には、欧米の金融、財政事情は何一つ改善しておらず、金融緩和で見せかけの好転を演出しているだけだと私は思っているので、いつ、相場の状況が急変してもおかしくはなく、常にそのリスクは頭に置いておかなければならないとは思っています。
  ただ、いつも言っているように、万年最下位のチームだって、ときには3連勝、4連勝くらいはするし、調子のいいときは10連勝ぐらいして、ちょっと上位チームを脅かすことだってあるのです。
  私たちの“仕事”は連勝の波に乗せてもらったり、連敗を見越して売り込むことにあるので、連勝が続くのであれば、その波に乗らない手はありません。そこはしたたかに行動しなければなりません。
  しかし、それにしても、年初の見立てと正反対の状況になったことについては、本当に驚いています。米国が没落することで日本が(否応なく)自立できると期待していたので、それを考えると憂鬱な部分もあるのですが、相場が動けば、それなりに稼げるので、うれしいサプライズでもあります。
  2012年が世界が大転換する“Xデー”とみる向きは多いですし、私自身それに沿って、いろんな計画を立てていたのですが、現状を見る限り、そして金融市場をテクニカル的に分析すると、壊滅的な出来事はちょっと考えづらくなりつつあります。
  第2クオーターで急変すればまた、それはそれで元の見立てに戻らざるを得ないのですが、根拠はテクニカルしかないのですが、「ちょっと考えづらいな」というのが率直な感想です。
  ただ、その反面、ドル・円も、日経先物もいわくありげな上昇のし方をしており、相場が上昇し、堅調を続けるにつけ、負のエネルギーがたまり、キャリーオーバー状態になっているということも指摘しておきます。いずれ、ツケを払うことになるのだと思います。今は、下落過程の正のエネルギーを使っているにすぎないとみることもできますね。
  世の中の変化が激しいので、相場にうまく乗れるのなら、風見鶏でいいのではないかと思います。3か月後、6か月後、一体、何を語っているのか、ちょっと怖いし、ちょっと楽しみでもあります。

国柄の喪失

  ほんの10年くらい前の日本人は、景気が悪く、少子高齢化の進行で先行き不安はあるものの、まだ、高度成長期やバブル経済の余韻なんかも手伝って、おおらかな雰囲気が残っていました。
  よその人から見ると、「豊かさボケ」「平和ボケ」だったし、中にいても、何か物足りない人、穏やかな日常の繰り返しに退屈を感じる人、緩さに不満を持つ人は、「こんなんじゃいけない」と思うような状況でしたが、あれこそが「理想郷」だったのではないかと今にして思います。
  私自身、何かにせき立てられるように、「今の日本はダメだ」「何かを変えなきゃ」みたいな強迫観念に取りつかれていた時期があります。だから、小泉政権ができた時は、単純に「日本は大きく変わるのでは」と期待しましたし、その直後に米国で9・11テロが起きたときは、「それ見たことか」「平和ボケしてるとなめられるんだよ」みたいな、勝ち誇ったような気がしました。
  完全に“奴ら”の思うつぼで、忠実で優良なお客さん(カモ)だったことがよく分かりますね。21世紀に入ってからの10年間は、私だけでなく、日本全体が方向性、価値観を見失い、踊らされた時期ではなかったでしょうか。同時に日本人が持っていたおおらかさや、懐の深さなど、古き良き国柄がかなり失われてしまいました。
  何かにせき立てられて、行動するときは、よくよく考えて動かないと後で痛い目を見ますよね。日本人は何事に落ちても決定が遅いというのが弱点とされていて、ビジネスなんかでは韓国、台湾勢なんかに出遅れてしまう原因でもあるのですが、迅速に決断を下したり、スピード感が求められるシーンというのは災害とか人命にかかわる緊急時なんかを除いてそれほどないはずです。
  むしろ、軽々に判断して、後々、ツケを払う羽目になったり、後悔したりするというケースも少なくないということも頭に入れておく必要があります。
  日本人はやればできます。元々、細かいところにこだわり、ばか正直で、せっかちなので、仕事は精密だし、約束はきちんと守る。これは世界では十分通用する資質だし、他の国民はまねができないので、これさえ徹底していれば、どんなことがあっても生きていくことはできるでしょう。
  だから、締めるところさえ締めていれば、普段は緩くていい。というか、適度なゆとりがなければ、さすがに息苦しくて仕方がありません。
  自分自身を振り返ってもそうですが、能力のない奴とか、他人に対して威張りたい、偉そうにしたい連中に限って、恐怖感をあおったり、畏怖を植え付けたりして、優位に立とうとします。金融ユダヤ人とか、欧米白人なんかはそうやって世界を支配してきたわけです。
  彼らが世界で、政治、経済、科学、文化などの分野で果たしてきた一定の役割は認めますが、世界の人々を幸せにしたり、ともに豊かになろうという発想はありません。中には利他的な人もいるものの、全体的に自分の立場の誇示や、エゴイズムが優先するので、他人を下敷きにしたり、搾取したりすることによって成り立っているのです。
  今の世界、時代に必死になって取り組まなければならないことってそんなにあるでしょうかね? イランの核疑惑なんて、まさに欧米がでっち上げたものだし、その前のイラク、リビアなんかもそうでした。そもそも9・11テロからして茶番でしたからね。
  北朝鮮のミサイルやなんかも、さまざまな外交交渉とか食料援助の中で、米国が手なづけ、地位を約束した一部の北朝鮮内部の一派がそそのかされてやったことでしょう。絶妙なタイミングだし、ミサイルの軌道も韓国、日本、台湾、フィリピンと、うまく計算されており、それぞれの国・地域の頭の弱い連中に恐怖を与えるにはうってつけでした。
  北朝鮮で何かが起きれば、それこそ普段から中国と連絡を密に取り合い、対処すればいいだけの話です。日本の場合は、周囲を海で囲まれているアドバンテージがあるので、大挙して難民が押し寄せるようなことがあれば、非常事態なので銃撃したり、撃沈すればいいのです。ただそれだけのこと。ミサイル防衛なんかは、費用対効果を考えて、米国にぼったくられない範囲で必要な範囲だけやっておく程度でいいでしょうね。
  とにかく、世の中、ありもしない恐怖をあおり立てる人たちがいるので、困ったものです。テキトーにあしらっておけばよい。
  経済もそうですね。一方的に搾取するだけでは、全体が疲弊していきます。欧米のエリート層を見ても、お金も地位もあるはずなのに、それを守るのに汲々としていて、一様に貧乏神にとりつかれたようで、うらやましいとも何とも思えません。
  セキュリティーを気にして柵や鉄条網で囲ったエリアで暮らしているようですが、刑務所で暮らしているのと何が違うのか? そんな中で暮らしていて違和感を持てないのか? 狡猾だし、妙なところだけ頭の回転はいいんでしょうけど、本質的に頭が悪いんでしょうね。
  世の中、やりくりすれば、お金もモノもちゃんと回るはずだし、足りなければ足りないなりに知恵を働かせればいい。それがうまいのが日本人です。
  他人を貧困や苦境に追いやった上で、自分の富や地位、名誉が成り立っているにもかかわらず、そのことを無視、あるいは正当化する人たちはどう考えてもまともではありません。そこのところを反省せず、むしろ野蛮な考えを広めようとしているのが今の世界が閉塞感に陥っている元凶でしょうね。
  この辺が、21世紀になっても金融ユダヤ人が誰からもリスペクトされない所以でもあります。自分たちが前面に出られないから、頭は悪いけど血筋は良い(とされる)白人や、努力して成功した(とされる)黒人を利用して、米国や世界を支配しているという構図になっているのです。
  日本人は、ずっと豊かだったので、野蛮な欧米の価値観とは一線を画してきたのですが、この10年、20年間で急速に富が搾取され、欧米による支配が強まり、徐々に人々の考え方が他者を顧みずに自己優先で貧しくなり、国柄も変質しつつあります。
  誤った価値観が世界中にまん延する中、日本人が日本人らしくふるまい、おおらかで寛容さを失わずにいられるにはどうすべきか。そこに全精力を傾けるべきでしょうね。今すぐにやらなければいけないことといえばそのくらいしか見当たりません。

何がしたいか? 何になりたいか?

  インターネットが普及し、情報のやり取りが容易になったことで、普通に暮らしていれば見えなかったこと、分からなかったこと、知ることができなかったことが瞬時に把握できるようになり、世の中の真実、楽屋裏、実態は簡単にわかるようになりました。だから“その気にさえあれば”何だってできるんですよね。
  医者になりたければ医学部で勉強すればなれるし(もちろん医大や医学部の入試に合格するとか、高額の学費をどうやって賄うかとか、超えるべきハードルはたくさんあるのですけど)、弁護士になりたければ司法試験を突破すればなれるのと同様、基本的にはどんな職業でも選択できるようになりました。
  にわかに信じられないかもしれませんが、よーく考えてみてください。例えば女子アナ。もちろんキー局や地方局なんかは、ミスコンで1位になれるぐらいの要旨とそれなりの要領の良さが必要なわけですが、UHF局やケーブルテレビなんかだと、かなりハードルは下がるし、それでもなれなければ、自分でインターネット放送やなんかを始めて、“女子アナ”と称すればいいわけです。たとえ男性であっても女装するなり性転換すればいいだけの話です。
  社長とか個人事業主なんてもっと簡単ですよね。例えば、会社を設立してネットで何か商売を始めればいい。どこかで物を仕入れて、それを売り出すとか、サービスを提供すれば、それだけで立派な経営者です。
  以前に書評で「中国モノマネ工場」(日経BP社)という本を紹介しましたが、中小企業や個人が電子部品を仕入れて、テレビやスマートフォンを作って売り出すことも可能だし、自動車だって生産、販売できるでしょう。おそらく航空機機だって。ネットで調べればあらゆる部品、部材に関する情報は入手できるだろうし、交渉すれば売ってもらえるでしょう。
  代表的な例を挙げてみましたが、世の中のありとあらゆる職業は、よほど特殊でハードルの高い条件がない限り、なりたいものにはなれると思います。条件が厳しい職業だって、それになりたいという強い思いや、やる意思がありさえすれば、困難は克服できると思います。
  要は、なんだって、本人のやる気次第なんですよね。何がしたいか? 何になりたいか? 強い思いがあれば、実現します。なりたい、やりたい職業があるのに、「そんなものにはなれない」「そんなことはできない」と思うのは、勝手に自分でそう思い込んでいたり、社会が勝手に規制や制限をかけているだけの話で、本当になりたい、やりたいという気持ちがあれば、それを貫き通せばいいのです。
  私たちは、こんなに恵まれた時代に生きているのですよ。自分自身や社会が課した、枠や足かせなど取り払って、本当にやりたいこと、なりたいものを実現するために、突き進めばいい。職業選択の自由は、憲法でも保障されていて、世界標準になりつつあります。
  北朝鮮やイランなんかが異常なのは、そういうところですよね。これだって国を脱出すればいいわけで(かなり難しいのは事実ですが)、そもそもこういう“ならずもの国家”だって、米国が世界システム勝手につくり上げたにすぎず、時間はかかるでしょうが、いずれはたちゆかなくなって世界標準に近づくことでしょう。
  もう一度強調しますが、今の時代、なりたいものになれるし、やりたいことは何だってできます。ただ、一番の問題は、なりたいものになって、やりたいことをやって、それで経済的に回るかというところでしょうね。そこは最大のネックでしょう。
  さすがにどうやって、なりたいものになって、やりたいことをやって飯を食べていくか、誰もが直面する課題ですが、そこで挫折するようなら、所詮は、その程度のものだったということです。野球の独立リーグの人たちのようにアルバイトなりパートをしつつ、好きなことを追求するとか、不本意でも会社勤めをしつつ、寸暇を惜しんで没頭するとか、やり方はあるはずです。
  試行錯誤していくうちに自分の才能や才覚の限界を知ることもあり、当初思っていたなりたいもの、やりたいこととは違うことに気付くこともあるでしょうし、ほかになりたいもの、やりたいことが見つかって、別の道に進んだり、思わぬ才能、才覚に気付いて自然とそれを生かすような進路に進むということもあるかもしれません。
  人それぞれ性格もあるでしょうから、その道一筋に打ち込む人や、熱しやすく冷めやすい人もいるでしょう。最初になりたいと思っていたもの、やりたかったことだって、いつまでもそう感じるかどうか分かりません。そうなればまた、別の方向に進めばいい。だって、その気があれば何にだってなれるのですから。
  さすがに財務省の役人になりたい、トヨタ自動車に就職したい、フジテレビで働きたいみたいなことはいくら熱意があっても容易にかなわないですが、財務省とかトヨタ自動車とかフジテレビでやっているような仕事は、その気になればできると思います。
  例えば、国家予算を組む仕事だって、自分で勉強して組んでみればいい。ネットで調べれば毎年度の国家予算に関する資料は簡単に引っ張れるし、細かい費目については、それぞれの当該部署に問い合わせればいい。それぐらいの熱意、頑張りがあればできるし、素晴らしい予算が組めたのなら、財務省に直接売り込むとか、政党に提言すればいい。あるいは自ら選挙に立候補するという手もある。
  で、間違いなく、最初は世間からは見向きもされないでしょうけど、本気で通したいならば、それなりの努力の方法があるでしょう。世の中簡単にはいきませんが、一生懸命頑張っている人、優れた商品、サービス、アイデアに対しては、思い通りの形ではないにしても、しかるべき評価はされるはずです。
  トヨタ自動車やフジテレビにしても同様。トヨタ自動車やフジテレビに直接就職できなくても、一緒に仕事をする方法はたくさんあるはずです。振り向いてもらえる努力をすればいい。ただ、そこまでしてこれらの会社に就職したいか? 単にブランドにだまされているだけではないか? 大企業に飼われるのがそんなに幸せか? などなどの疑問も生じますし、そこまでできる人なら、別の道にたくさん活路はあるはずです。
  今の時代、やる気、意欲さえあれば、何だってできます。だから妙な自己規制をかけたり、既成概念にとらわれたり、偏見を持たない方がいいと思います。なりたいものになれる、やりたいことができる、素晴らしい時代に生きているのですから。