イタリアで起きた大型客船座礁事故。まさにタイタニック号をほうふつとさせられました。実際にタイタニック乗客の親族も乗っていたようですし、事故当時、たまたまらしいですけど、映画「タイタニック」の主題歌でセリーヌ・ディオンさんの「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」が流れていたらしいです。話としてはどちらも出来過ぎだと思いますが、ニュースに見入ってしまいました。
何よりも印象的だったのは、今回座礁事故を起こした船長が乗客よりも先に救命ボートに乗り込み、逃げ出してしまったことですかね。思わずイタリアでは船長の生存権が尊重されるのかとも思ってしまいましたが、さすがにあの国でも船長(おそらくパイロットや運転士なんかも)は速やかに事態を的確に把握し、乗客を避難、誘導させる義務があるようで、刑事責任を問うべく、軟禁状況にあるようです。
日本人の感覚からしたら、船長は命を投げ出してでも、乗客を救命するのが当然だし、もし、本当に死んでしまったらならば美談に仕立て上げられるでしょう。
海外ではどういう反応があるのかと思っていたら、結構、船長に対する非難があるみたいですね。ただ、気を付けなければならないのは、欧米の場合は特に、船長が乗客を守るべく最大限努力するということは、あくまでも、「法律に基づいた契約あるいは義務」にすぎないということです。根底には契約違反というのがあって、そこからブーイングを浴びているという側面を軽視してはいけません。
日本人なんかは、船長に限らず、「緊急時に人が人を助けるのは当然」みたいな風潮があるので、「人道的観点」から論じられることが多いですね。ここが日本人と欧米(あるいは日本以外のすべての国)との感覚の違いだと認識しておいた方がいいと思います。
日本では、道徳心や義侠心が強く働くのに対して、欧米では法律や契約で縛られているから人助けをしなければならないという程度なのです。日本人がグローバルな世界でなかなか溶け込みにくいのは、その辺にも大きな原因があるでしょうね。
よく、日本では列車事故やなんかの遺族が「真相の究明を」みたいなことを訴えて、刑事裁判や民事裁判を起こしますが、裁判というのは欧米式の法律や契約にのっとって、人をさばく場であるから、必ずしも遺族が求めるような結果にはなりません。遺族の感情や思いを尊重して、判決を下すようにはなっていないから当たり前のことです。
法律や契約に違反するということが立証されてはじめて、有罪なり、多額の賠償を命じることになりますが、法廷で明らかになるのは法律違反や契約違反の事実関係であって、事故が起きた背景とか、組織風土については全く触れられないか、触れられても裁判の本筋にかかわることではないので、ごくあっさりしたものにならざるを得ず、遺族が求める「真相究明」からは程遠いものにならざるを得ません。
それが近代社会なんですよね。安易に人の善意とか道徳心に期待してはいけない、トライな世界なのです。近年、日本らしさが失われたというか、多くの人が権利をやたらと主張しだしたのも、人間同士の結びつきが、従来の地縁、血縁を中心に道徳心とか感情を中心に展開されていたのが、そういったものが希薄になり、法律上の権利、義務関係に頼らざるを得なくなっている面が大きいでしょうね。
東京電力の幹部がいまだに偉そうにしていられるのも法律に守られているからです。昔の考え方ならば、いさぎよく切腹していたでしょう。勝俣さんとか清水さんとかは福島第1原発では、まさにA級戦犯ですが、事故を起こしたことを自分の不名誉とか恥なんて感じておらず、のうのうと生きています。JR北海道の社長は事故を起こして自殺しましたが、東電の連中は自殺する心意気もないのです。こういうことを言うと、命の尊厳とか、人権とかいうやつが必ずいるし、それこそまさに東電の連中が持ち合わせている権利でもありますね。だから手出しできません。
ただ、合理的な考え方が、それが果たしてベストなのかどうか。あらためて考える必要があるし、これからもずっと葛藤し続けなければならないでしょうね。特にまだまだ旧来の考え方が根強く残っている日本人は合理的に割り切れないものを抱えています。
日本人が経済で欧米に追いつき、凌駕するに至った背景には、合理的な考え方ではなく、日本的なシステムが大きく作用した面があります。欧米人は仕事で契約以上のことをしませんが、日本人はほぼただ働きで長時間の残業をしたり、団結を強めるため仕事外でも取引先や上司と付き合ったり、必要ならば縦割りを排して自分の守備範囲外の仕事に手を出したりと、個人個人が自分の立場を越えて、プラスアルファの努力をすることで、世界有数の経済大国に上り詰めたのです。
この事実は重いと思います。契約に縛られ、限られた仕事しかしないから欧米は限界に達したのです。逆に日本人は顧客のために会社のために何でもかんでも自分でこなしてしまうところが強みで、そこが製品のきめ細かさとか、独特のサービス精神の原点ですね。
ただ、欧米人からはこのスタイルは理解されなかった。だから「エコノミック・アニマル」などと揶揄されました。ダメ人間どもからそんなことを言われて委縮する必要は全くないのですけれどもね。
イタリア人船長が乗客より先に逃げ出したニュースを見て、思ったのは、欧州の債務問題のことです。あれだって、「借金なんて返せないに決まっている」「どうせなら踏み倒してやろう」と思っているに違いないのです。史上最悪の借金国家米国も同様です。
契約上は、デフォルトを起こしたら最後、その後、私たちに誠意を見せる義務は全くないですから。むしろ、自分たちが生き延びるためにはどんなことでもしてやろう、日本を踏み台にして搾り取れるものは何でも搾り取ってやろうとすら考えるでしょうね。
そうなるともはや法律とか契約すらも超越してしまい、単なる力関係だけが支配する野蛮な世界です。でも、欧米は切羽つまっているから、なりふりかまわずなんでもやってきます。リビアから油田を奪い取り、新たにイランで戦争を起こし、戦利品を獲ようとする、最低の連中です。
私たち日本人は、この辺は本当に冷静に世界情勢を見た方がいいと思います。日本人の人のよさは武器になっている部分もあるし、契約だけがモノをいう世界では、逆に作用することもある。さらに身勝手な論理を振り回す連中に対してどう対処するか。きれいごとだけでは済まないのです。