民主党が政権交代した直後に、米国の操り人形の一人(官房長官)が「自衛隊は暴力装置」と言って物議を醸しましたが、この発言は何が問題なのでしょうかね? 権力の中枢にいる人がこういう発言を軽々にするのはたしかに問題ですが、内容自体は全く持って正しいし、正直ですよね。
私たちが生きていくにあたって、この“暴力”とどう付き合うかということを真剣に考える必要があります。私たちの社会というのは、わざわざ引用するのもおこがましいですが、英国の思想家、トマス・ホッブスがいみじくも指摘した通り、「万人の万人に対する闘争状態」であるということをまず認識しておく必要があります。
暴力には至らないまでも、何らかの法律や規制、社会規範、道徳が確立していないと、社会の秩序は確立できないということです。最近、「モンスター~」みたいな、勘違いした人々の存在がことさらに取り上げられますが、世の中、きれいごとばかりがまかり通るようになって、暴力の存在が見えにくくなっているというのが背景にはあるでしょうね。
妙に権利意識が強く、無茶が簡単に通ると思っている人たちが増えている(まあ、メディアがやたらと大きく取り上げるので、本当はそれほどでもないのでしょうけど)のは、日本の戦後教育の行き着いた先なんでしょうね。
ちょっと前までだと、たとえばお店に入って、しつこく理不尽な要求を通そうものなら、バックヤードに通されて、ちょっとこわもての人が対応し、事を丸く収めるみたいなことがあったのでしょうけど、最近はコミュニケーションが下手になっていて客あしらいが下手な上に、イメージとか風評とかを気にするから、モンスターの言いなりになるケースも多そうですね。モンスターが取りざたされる背景にはそういう事情があるのでしょう。もちろん「大人の」対応ができるところも少なくないとは思いますが。
平たく言えば、昔は変な奴がいたら、まずは周りの人がなだめて、排除する形で動くし、それでもだめならヤクザが「もめ事を解決するため」に乗り出してきたわけです。それが暴力団を排除する法律やなんかができ、そうなると警察の役割になるわけですが、サービス精神がないというか、「民事不介入」とやらで、腰が引けるというか、ややこしいことにはかかわろうとせず、余計におかしなことになってしまいます。
昨年の年末でしたかね。長崎でストーカーが付け狙っていた女性の実家にまで押しかけて、家族を惨殺するという事件がありましたが、警察はどうでもいいところで暴力を行使するくせに、本当に必要とする人のために暴力を使わないから、こういう悲劇が起きるのです。国家機関はわざわざ暴力団を排除するのだから、もっと自分たちの暴力の使い方を考えた方がいい。
日本人はストーカーとかカツアゲにでも遭わない限り、身近に暴力を感じることがないので、平和ボケしていますが、世界には暴力が満ち溢れていて、微妙なパワーバランスの上で秩序が保たれています。
私たちからみて分かりやすい例は中国でしょうかね。あの国は経済的には豊かになりつつありますが、下手に人権拡大要求などしようものならひどい目に遭います。でも、一人一人が権利を言い始めたらどうなるか? 人権弾圧は残念なことですが、あれはあれで理由がないわけではないのです。まさに国家は秩序を守るための暴力装置として機能していますよね。だから、「自衛隊は暴力装置」というのは、非常にまっとうで、正直な発言なのです。
暴力と言ってもいろんな形がありますね。自衛隊や警察は物理的な力を行使するので分かりやすいですが、政府や自治体なんかもそうですね。納税という義務をすべての人に課すのは、暴力以外の何物でもありません。目に見えない暴力ですが、拒めば実際に司法(検察)、警察権力を使って物理的に拘束されます。納税だけでなくいろいろと義務があるので、あらゆるところに暴力が隠れています。
こうして暴力を使って、秩序が保たれているわけですが、国際社会でもそうですね。強い国が弱い国を従えて、現在の世界があるわけです。日本人の「国際友好親善大使」的な国際感覚ではとても理解できませんが、厳然たる事実です。
米国という世界でも最も狂悪な暴力に支配されているにもかかわらず、政治家や官僚によって巧妙に覆い隠されています。日本人はおめでたいというか、それはそれでいいのかもしれませんが、そのことに目を向けようとはしません。米国に過度に支配されることでどういう目に遭っているかということは、皆さんお分かりだと思いますので、あえては触れません。
とにかく、好むと好まざるとにかかわらず、私たちが暴力に支配されるのは宿命なのです。そのことをよく考えておく必要があります。ただ、支配されるにしても、過剰な介入は許されないし、その場合は、しっかりと声を上げていくべきです。そして声を上げることで暴力に対して牽制し、すこしでもましな形に変えることは可能でしょう(と信じます)。
私たちはこういう世界に生きているのです。