金融市場のエネルギーは日々どんどん失われていっていますが、それでもまだ「上昇」に期待する向きは多いですね。“幻覚”に惑わされないようにしなければなりません。
金融相場と対峙している日本人にとって、やはり大きな出来事は2月14日の日銀、当局が発表した金融緩和でしょう。その10日ほど前にロイター通信が金融緩和観測を報じていたので、私は織り込み済みなのかなと思っていましたが、とても素直に反応し、日経平均も(対円で)ドルもユーロも上昇しました。
25日線をはじめ、75日線とか200日線とかテクニカル的に意識されるラインを順調にこなし、2007~08年以降、一貫して下落基調だったので、そろそろいったん上昇トレンドを形成して、ためをつくり、次の金融恐慌までの「時間稼ぎ」をするのかなと(私自身にとってはそのように)思われました。
「1ドル=150円説」を唱えたり、「1ドル=70円なら全力買いする」と喧伝していた輩の「それ見たことか」というドヤ顔、離れた場所から対中国での対立をけしかけ、消費税増税やらTPPをごり押ししようとする米国のことを考えると、不愉快極まりないのですが、それでも分かり易いトレンドが形成されれば、投資家としてはこのチャンスをみすみす見逃すわけにもいかないので、それに乗っかり、それなりにいい思いもしました。
さすがにこの勢いに私自身も呑まれたし、私が信頼する、かなり厳しめの見方をするエコノミスト、実務家も、「今度こそ本物かもしれない」みたいな雰囲気になりました。完全に幻覚に惑わされましたね。
2月中旬から3月にかけての私の発言を振り返ると、浮かれつつも、基本的には欧米は没落するというスタンスは堅持してはいます。ただ、この上昇局面がどのくらい続くか、全然読めなかった(読めない)ですね。
常々指摘している通り、本当は欧米ともに、経済はどうにもならない袋小路に追い詰められていて、価値のないドルやユーロを刷り散らかして(ユーロに関してはドイツ経済という裏付けはあるのですが)、金融市場に投入することで、見せかけの景気回復あるいは、破たん回避を演出しているだけです。
だから、自然の法則としては、地球上にいる限り、重力から逃れられないのと同様、いずれは高く飛んだものは地面に落ちるのです。スマートに離陸し、空中に滞空する飛行機だって、燃料が切れたら、地上に戻るか、墜落するしかありえません。
米国株を見る限り、地面からあまりにも高く飛び立ってしまったので、「ソフトランディング」というのはあり得るのかどうか、疑問視せざるを得ませんね。せめてダウの上昇を1万ドル前後にとどめていれば、まだましだったかもしれませんが、強欲に一部の人たちが利益を追求し、、指数の上昇だけを追い求めた結果、再び“バブル”の域にまで達してしまいました。
だから、いつまで上昇局面(あるいは少なくとも崩壊の回避)が続くかどうかは、ドル、ユーロあるいは追随して円を刷り散らかし続けることができるか、あるいは、不自然な政策介入を続ける欧米の国家群に対する、世界の信認(我慢)がいつまで堪えられるかということに尽きます。
金融市場が上昇し、マインドが緩むと、どうしても浮かれてしまうので、予想を狂わされてしまいます。リーマン・ショック前の、2008年4~6月ごろの状況がまさにそうでした。リーマン・ショックの時はテクニカル的にやばいかなということは感じられましたけどね。
現在の状況は、ファンダメンタルでもテクニカルでも説明がつかなくなっています。ときどき政策介入という“麻薬”を投入して、幻覚を植えつけ、だましだまし崩壊を回避する、あるいは崩壊するにしても、都合の良いタイミングを見計らっているということにほかならないのではないかと考えています。
テクニカルに関して言えば、素直に下げるところまで下げればいいんですよ。いくら欧米のダメ人間どもでも、生きていかなければならないでしょうから、堕ちれば、実力ある人、意志のある人は這いあがろうとします。
1ドル=30円までいったん落ちて、50円まで戻す。それでいいいのではないですかね。ダウが3000ドルまで下げて、いったん底打ち、または景気循環に合わせて4500ドルまで50%上昇する。それが自然ですよね。
そうなると困るのは、欧米の金融機関、ひいていえば、お金をコントロールすることで、覇権と利権を握ってきた人たち、いわゆる金融ユダヤ人(すべてがユダヤ人だけとは限りませんが)ですね。米国債や米国の地方債をしこたま買わされた日本も大打撃を受けることでしょう。
しかし、人々の労働や努力、役に立つこと、創造性など、本当に価値のあるものを無視して、紙切れだけで、すべてが決められてきたシステムはおかしいし、そんなものが長続きするはずはありません。もし続けようとするならば、断固として反対しなければなりません。
今の世界経済は実体経済を無視し、一見華やかなように見えて、あっけなく崩れてしまう砂上の楼閣、まさに幻覚を見せられているにすぎないのです。幻覚と現実を区別すべき時に来ていますね。