今、世界では、長らく欧米が中心になって政治、経済、社会を動かしてきたのが、富、権力が一部の人たちに偏り、このいびつな仕組みに対して、多くの人が疑問を持ち、また、経済的に実力を付けてきた「新興国」と呼ばれる国々が一大勢力を形成し、資源の分配や国際ルールづくりに発言力を高め、変革が起こりつつあります。
世界最大の人口を抱える中国に近接し、そのドラスティックな変化を目の当たりにしている、日本はその勢いに圧倒され、大変な脅威を感じていますが、欧米人も遅まきながら、大変な事態が起きていることに気付き始めたようです。
ただ、いくら中国脅威論を煽ってみたところでどうなるものではなく、むしろ、あれだけの大国が数世紀にわたって、国際社会では不当に低い地位に押し込まれていたわけですから、その反動が起きるのは当然で、中国やその他の新興国がしかるべき国力を付ける過程である程度、支配する立場にあった国々や周辺国と摩擦が起きるのはやむを得ないでしょう。
もし、本気で中国をはじめ新興国を押さえ込めると思うのならば、勘違いもはなはだしく、歴史の流れや、自然の法則を無視した暴挙であるといわざるを得ません。
今になってようやく、かつての日本の“悲願”であった、欧米支配からの解放が達成されつつあるのですから、原点に立ち上り、この流れに乗っかるべきでしょう。そして、大して能力もない、立派でもない一部の人間が搾取し、富を独占するシステムではなく、平和に共存できる世界体制づくりに積極的に関与すべきでしょう。
もともと日本は、欧米にチャレンジする立場でした。明治維新は「尊王攘夷」を掲げたものの、天皇を中心にすえた国家体制は築きましたが、攘夷は当時の日本の国力や欧米列強の勢いから断念せざるを得ませんでした。
ただ、明治維新の精神的支柱、原動力となった西郷隆盛は「欧米の文明が強い者が弱い者をいじめることで成り立っている」ことを看破していました。開国はしたものの、欧米から外交上の不平等条約、人種差別意識から不利な条件を押しつけられたこともあって、日本人の間に攘夷のマインドは残っていたのです。
日本にとって太平洋戦争は、欧米支配に対する挑戦でもありました。欧米に追いつき追い越せとばかり、すすめてきた富国強兵、殖産興業(もちろん欧州の金融資本の手中で踊らされていた側面は大きいのですが)は、成果を収め、欧州に対しては国力でほぼ互角か上回るようになりました。残るは、日本と並ぶ当時の新興国だった米国のみとなったのです。
67年前の時点で、日本が世界を主導することを欧米が許すわけもなく、日本は物量で圧倒的に上回り、シンプルでかつよく組織された米国相手に善戦したものの、主要都市は焼け尽くされ、さらに2発の原爆の投下を受けて、完膚なきまでにたたきのめされるのです。
かつて日本を抑え込んだ欧米が没落した今、日本はもう一度過去の戦争を顧みるべきでしょうね。あの時点で少なくとも欧州には負けない国力はつけていたものの、世界支配の一環として、日本の明治維新を見つめ、陰で動かしてきた英米は、日本の行動などお見通しで、都合の良い人物を育成し、見えない形(まさにステルス)で、コントロールしていたのです。
英米への内通者がいた上に、そもそも日本一国で世界秩序を覆すなんて無謀ですよね。世界の政治、経済をがっちり握っている連中と対峙し、自らが主導権を取るには、説得力のビジョンに欠けていたと言わざるを得ないし、政治力、経済力、軍事力いずれにおいても未熟でした。
米国がさっさと日本を叩いて、英国に代わって世界のリーダーになろうという思惑で、日本に戦争を仕向けさせたという、絵を描いていたことを見抜けなかったし、軍部の一部が米国と内通し、好戦的な世論をあおろうとしたり、過去のいくつかの戦争で連勝したことから実力を過大評価して増長し、中国大陸での暴走につながり、本来の“アジア解放”の目的から大きく逸脱。それがまさに侵略戦争へと転化し、無用に反日感情をあおり立てたことも日本が挫折した原因です。
今、新興国からは若くて優秀な人材が欧米に留学し、自国へ戻って、国づくりに邁進していますが、かつての日本人同様、欧米の野蛮さ、限界を見抜き、新しい発想で国づくりや、国際関係について考える人が若い世代を中心に急増しています。もちろん、お金が大好きで、投資銀行など欧米の手下になってしまう人も少なくないのですが。
とにかく、67年前とは情勢が変わっているのです。欧米はもはや経済では新興国に太刀打ちできず、力づくで抑え込むことも、一部武力行使が好きな野蛮な国はありますが、ままならなくなっています。
欧米主導の世界秩序がひっくり返ったからといって、即座に、望ましい状況ができるとは思いませんが、かつての日本人が思い描いた、利他的で寛容な価値観が優勢な世界をつくれる可能性はあるということです。