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あきらめの悪い人たち・・・

  買ってる連中は馬鹿じゃないのかね。金融緩和で噴き上げを期待しているんでしょうけど、ここで買うのはギャンブルでしょう。こんなところで仮に、ギャンブルで勝っても全然ほめられたものではありません。
  ギャンブルで勝ち続ける自信のある人なら別ですが、自己管理できないなら、勝っても負けても破滅への一歩です。

4月24日のポイント

  自然の法則に従って下げてくれたらいいと願いますが、どうするんでしょうかね。普通の政策介入では、どうにもならないような気がしますが。
  日中、ドルも先物もしつこく買われましたね。買ったら何かいいことがあるのでしょうか? 夢をもう一度という感じなんでしょうが、そううまくいくでしょうかね。とにかくイベントを終え、いろんな材料をこなしてみないと分かりません。上下どっちもです。
  米国は北朝鮮をけしかけて、朝鮮半島で何かやらかすつもりなのでしょうか? もういいかげんやめてほしいのですがね。

長期休暇モード

  ドルが崩れ気味に推移しています。ドル・円が不穏な動きをしているというのは、先週金曜日あたりから指摘してきたとおりです。ピンと来ていなかった方が多いでしょうね。こういうところでわずかな兆候に気付けなければ、1円ですら勝ち逃げできないでしょうね。センスないといっていいと思います。
  政策介入相場であることは常々指摘していますが、政局がらみのニュースには反応しやすいのです。だから「サルコジ」「サルコジ」と指摘してきたとおりです。これもみなさん鈍感でしたね。微妙な時期に小沢判決もありますね。
  日本のニュースでは緊迫感が伝わりませんが、欧州は再び、金融問題の火が手が付けられない水準まで燃え上がっています。
  分かりやすいところでは、金融市場はこの1、2年巧妙に危機を回避してきましたが、5月6日の「Xデー」をどう回避するか。フランス大統領選、ギリシャ国民議会選の「ダブル選挙」です。
  両国ともに財政緊縮策に反発して、反対勢力が勢力を伸ばす、あるいは現政権がまさに転覆する可能性が高まっています。フランス大統領選の第1回投票結果に刺激されて、ギリシャでも財政緊縮に反発する機運が高まるかもしれません。まさに相乗効果ですね。
  欧米主導の金融資本主義の限界と矛盾が露呈し、人々が気づき始めているということです。この辺は米国の傀儡で建国され、米国のマシーンとしてしか機能できなくなった韓国とは違うところです。
  連休中は素直に休んだ方がいいと思います。分かり易い場面がくれば、全力投球すればいい。ただそれだけです。
  この数週間の動きから、何も感じ取れなかった人は、トレードの道はあきらめた方がいいでしょうね。

フロンティア?

  数年前、植物工場について研究したことがあります。工場で農作物を栽培するなんて、手塚治虫のマンガのようにSFチックで、夢があると期待して、いろいろと調べたのですが、結論から言うと、密閉された工場でLEDなどのライトを当てて栽培する方法のものは現時点では、はっきり言って見込みがありません。もし、今でも「夢の植物工場」云々言う輩がいるならば、詐欺の可能性があります。
  東京電力福島第1発電所事故の余波で、原子力発電所が相次いで閉鎖し、節電が叫ばれ、しかも電気料金の値上げが取りざたされている時に、電気を消費してまでわざわざ栽培することに経済性や意味はあまりないですね。
  現在、植物工場で栽培されているのは、サニーレタスのような葉物野菜がほとんどで、所詮は電気の明かりの力でしかないので、トマトのような大きな実のなる野菜や、イチゴとか糖分の多い果物、さらに米、麦のような穀物なんかは、やろうと思えばできなくはないのでしょうが、大量の電力を必要とするため、コストに見合わず、実質的に不可能とみていいでしょうね。
  工場で管理されているので、安全だというのが売りのようですが、人によっては、工場で作られた農作物にはなんとなく後ろ暗いイメージを持つでしょうし、さんさんと輝く太陽の下でのびのびと育った農作物の方が健全だし、電気の弱っちい力と比べ、あらためて太陽光というのは私たちに大きな恵みをもたらし、偉大であるということが分かります。
  一部太陽光を取り入れて、ビニールハウスとのハイブリッドのような形態なら、将来性があると思います。ただ、その場合にしても、燃料費がかかるでしょうから、コストに見合う作物があるのか、工場で作るのにふさわしい作物があるのかについて、よくよく考える必要があります。かなり限定されるでしょうね。
  知り合いの調査会社の人に聞いたら、屋内で栽培するのに最も適している作物は「大麻」なのだそうです。わずかな光で良く育つし、野菜なんか比べものにならない破格の価格で取引されています。もちろん冗談ですがね。要は植物工場というものはかなり割に合わないのです。
  植物工場に限らず、夢の技術、未来を切り開く産業みたいにもてはやされる分野がどれだけ、将来性のあるものなのか、まゆつばなものは少なくないのではないのでしょうか。
  医療やバイオ技術あたりも、期待されている割には、ものになるものはめったにないのではないでしょうか。21世紀に入って久しいのに、いまだに髪の毛1本まともに生やせないんですよ。幹細胞の応用なんて、一部では進んでいる部分もあるんでしょうけど、まだまだ道遠しという感じですよね。
  みんな漠然と科学技術が切り開く明るい未来みたいなものを想像していますが、実は、人間の力なんて、そのうち限界に達するのではないか、そんな気がしています。
  また、インターネットのような革新的なブレークスルーが起きたとしても、それは経済のパイを拡大する方向ではなくて、むしろ効率性が高まり、無駄の排除、今あるもののリストラへと向かってしまうのではないかという気もします。
  電気製品なんか、どんどん小型化し、使い勝手もよくなりますが、部品、部材が少なくてすむので、経済への波及効果は小さくなる一方だし、なにより、製品価格も猛烈な勢いで下がっていくので、大手メーカーが巨額の投資をして生産ラインをつくっても、採算ベースに乗らなくなってしまっています。
  実は、世界から夢がどんどんなくなりつつあるのかもしれないということも頭に入れておかなければなりません。そうなると、大切なのは、人生をどのように豊かなものにしてくか、ソフト的なものや、ちょっとした工夫、アイデアですよね。
  地道に道を究めたり、努力をして何かを成し遂げることこそが一番価値があるのだということに多くの人が気が付く日が来るのは、そう遠くないのかもしれません。

しつけ

  政治主導、地方分権の実現の2点において、私は橋下徹大阪市長を支持していますが、労働組合と戦ったり、教育現場に介入したりとなかなか、本題に入ってくれそうにありません。やるとしたらやはり順序が逆なのではないかと思いますが、本当の意味で必要な改革が実現する前に体力、気力を使い果たさないことを祈ります。
  労働組合に対する圧力は、中央官庁の官僚の“独裁”や横暴ぶりとも重なり、改革を進める上で、障害となる者を排除する上で必要な部分があるので、やむを得ない部分はあるとして、教育現場に対するさまざまなアクションは、注目度が高く、世間も敏感に反応するので、あえて敵をつくるのはどうかと思います。もう少し要領よく、冷徹かつ粛々とやってもいいのではないでしょうか。
  とはいえ、軟弱で情けない大人の姿を反映して、今の子供は基礎的なことが身についていないので、もし、日本という国をこれまで通り、「日本人」が治め、歴史を受け継いでいく気概があるのであれば、きちんと「しつけ」ることが必要だと思います。
  日本人は、元来、恵まれた環境で育っているので、大らかさとか寛容さとか、いい意味での「緩さ」をもっているんですよね。それがこれからの時代、国際社会で強力な武器になることは間違いないと思います。
  ただ、緩さがある一方で、締めるところは締める。メリハリがあるからこそ、緩さが生きてくるわけであって、けじめもなく、緩い状態を続けるだけでは、それは緩いを通り越して堕落につながります。
  日本人はどちらかというとガチでの争いを好まず、他人と正面からぶつかり合うのを回避する傾向にあるので、子供に対しても、しっかり向き合うのが苦手という傾向があります。それが悪い意味での緩さ、やさしさにつながり、英語でいうところのスポイル(spoil)になってしまっていますね。
  それに拍車をかけるのが過度な権利意識、人権思想ですね。「子供は社会の宝」「特別な存在」「無限のポテンシャルがある」みたいな、気色の悪い言葉にころっとだまされて、自由放任のまま、子供を好き放題にさせ、結局、その子の素質をつぶしてしまうという。
  どんなに潜在能力があっても、それを引き出すように厳しい訓練をしないと、才能は開花しないのです。スポーツの世界なんかはまさにそうですね。もちろん天才がいて努力せずともものすごい結果を出す人もいるのですが、長続きしないだろうし、有頂天になって何も現実社会のことを知らないまま、突然精神を病んだり、転落してしまうこともあります。
  橋下市長のやろうとしていることが、果たして効果があるのかどうかは、かなり疑問のある部分はありますが、何とかしないと、困った子供たち(本人も成人してから困ることになるでしょう)が量産されることになるでしょう。そして、そういう若い世代が増殖することで本当に困るのは、彼らに支えてもらうことになる上の世代なんですよね。そういう現実的な問題もあります。
  私の周りの教育関係者によると、口々に言うのは、やはり家庭でのしつけがなっていないということ。教育うんぬん以前の問題ですよね。「授業中じっとしていられない」「人の話を聞けない」「会話ができない」「問題を指摘されるとささいなことでもいじけてしまう」・・・などなど。
  どんな社会でも最低限のマナー、規範を守らなければならないわけで、もしそれが間違っているというのならば、そのマナー、規範を徹底的に研究し、実践し尽くした上で、問題点をあぶりだし、変えるべく発言、行動しなければならない。当然のことです。
  また、世の中、人生は、理不尽で不条理なことだらけです。私たちの世代でもすでにそうでしたが、日本で教育を受けると、きれいごとに覆い隠されてしまい、本当に大切なことをなかなか学べないですね。
  単に年齢が上であるとか、力が強いとか、たくさん金を持っているとか、立場が違うということだけで、不当な要求をしたり、弱いものに対しては徹底的に付けこんでくる奴なんてゴロゴロいるのです。残念なことではあるのですが、それが人間、社会の嫌な一面です。それをうまくはね返したり、器用にやりすごすのも、生きていく上では悲しいし、みじめなことなのですが、必要なことです。
  必要なのはしつけというよりは、むしろ、現実の厳しさを知る機会でしょうかね。バブルが大昔に崩壊し、経済的にはしみったれた状況でしか育っていないはずなのですが、最低限のものは満たされていないので、緩やかな環境に慣れきってしまっているのでしょう。
  これは子供ではなく、大人の問題なのです、もっともっと厳しい現実を直視し、どうやって生き残っていくか、残すべきものを残していくか、しっかり考えていないし、ただ流れにまかせ、強い奴にやられ放題やられ、どうすれば一矢報いられるか、逆転できるか、という発想を自分自身が持ち合わせていないので、子供にも大切なことを伝えられません。
  誰かがいみじくも言っていましたが、文化大革命みたいなやり方になるのであれば、橋下流改革はまったく賛同できませんが、私たち上の世代の行動、気構えのあり方を含めて、しつけをどうするか議論が進むことは良い事ではないかと思います。