楽して稼ごう、労力を少なくして大きな成果を得ようと、あらゆる人が努力を重ねた結果、世界的に過剰生産と価格下落が止まらず、ものがあふれるようになってしまいました。自動車にせよテレビにせよ、世界的にはまだまだ需要は伸びるし、それに合わせて生産も拡大しないといけないのですが、利益率はどんどん低下し、しかも競争のストレス、特許や欠陥商品など訴訟リスクなどにさらされ、製造業は割に合わない商売になりつつあります。
何より、かつては人海戦術でものづくりをしていたのが、生産の効率化が進み、どんどん雇う人数が減っており、工場は“無人化”(さすがにこれは極端なのですが)する方向に進んでいます。モノが動けば雇用が生まれ、さらにそれがモノに対する需要を呼ぶという、波及効果があると考えられているのですが、今では、かつてほどの大きな効果は見込めなくなっています。
製造業だけでなく、農業もそうで、「農地不足」だの「農業用水の枯渇」だの「人口爆発」などがクローズアップされ、飢餓の時代が来るみたいなことが叫ばれる割には、まだ深刻な事態には至っていません。もちろん地域によっては文字通り「手から口へ」のような深刻な状況にあることは事実ですが、少なくとも、先進国や中国を含め成長著しい新興国で、貧富や格差問題はあるにしても、全体を見渡して食料が極端に足りないという事態は起きていないし、むしろ飽食が続いています。
警戒すべきは、自分たちの存在を暗に誇示するためにするために、やたらと食料不足、不安をあおりたてる輩がいることですね。金融資本への従属化や遺伝子操作で、農業をどんどん陳腐化させている連中です。味覚音痴で、食に対するセンスのない連中が世界の食料需給を握り、歪んだ状況をつくりだしているので、食料に対して過度に楽観することは禁物でしょう。
ただ、全体的に農業、畜産についても、驚くべきスピードで効率化されており、そしてさらにその余地はありますし、水産業も日本が得意な分野ですが、養殖技術なんかは目を見張るものがあります。
人間、持てるものは限られているし、まだまだ空腹を抱える人は多いですが、胃袋の容量にも限界があります。今はまだ人口が急速に増えている状況ですが、急速な経済発展により、ある時点でブレーキがかかることも考えられます。
まだまだ中国、インドが高い経済成長を維持し、さらに中南米やアフリカも続こうかという状況で、世界的に右肩上がりの時代は今後10年、20年と続くことになりそうですが、単に工場を増やしたり、食料生産を増やしたりすることだけでは、生活水準を上げることにはなるでしょうが、広い範囲で豊かさを向上させたり、維持することにつなげるのは難しくなっています。
単に工場を誘致するとか、土木工事で農地を整備し、農業生産を支援するという、従来の発想では立ちいかなくなりつつあります。
大量生産、大量消費に応えることや、グローバル展開が、経済発展につながると考えられていましたが、必ずしも、それだけでは十分でないことがはっきりしつつあります。利益の出る事業には多くの企業が参入し、群がるので、すぐに利幅が薄くなってしまいます。しかもその薄い利幅を金融資本や、一部の企業エリートが吸い上げてしまうのですから、下々へ回るお金は減ってしまいます。何より企業や事業の寿命がどんどん短くなっています。
どうしてもグローバル展開する企業とか、ハイテク企業に脚光が当たり、そうした企業に投資が集中したり、そうした企業を誘致することにばかり目線が行ってしまうのですが、考え直すべき時でしょうね。どんな立派な企業だって一瞬先は闇かもしれないのです。
地味だけれども、根強いニーズがある分野とか、ユニークな技術、サービスで他の追随を許さないとか、丹念に追っていくと、意外な発見があります。大量生産、大量消費はいずれ飽和点に達するだろうし、そうなると、地域や個々人のきめ細かなニーズに合わせた経済活動、ビジネスが重要になってくるでしょう。
日本をはじめ先進国はすでにその段階に達しているにもかかわらず、相変らず、利幅が薄くなる一方、リスクも大きくなりつつある「グローバル」にこだわりますが、もっと小さな範囲でのこだわりを大切にした方がいいでしょうね。
ミクロのレベルで付加価値を探したり、あるいは高めたりして、売り出す方法を考えるのが、これからの時代の経済にマッチしているのではないでしょうか。