日本は科学技術立国、モノづくり大国を国策として目指しているようです。その割には理科系の学生や技術者を養成する教育課程は不十分なような気がしますが、ひと昔前と比べると、そういう機運が高まっているし、国の予算もそれなりに配分されるようになり、少しずつレベル・アップしていくのでしょう。
ただ、日本だけでなく、世界を見渡してみても、経済に占める製造業の割合なんて2割とか3割程度で、現在は“世界の工場”である中国が2009年の統計で4割を超え、突出していますが、経済が成長、成熟するにつれ、その割合は低下すると予想されます。
世界中の富を生み出す源泉となっているのは、間違いなく製造業です。いくら「モノではなく心の時代だ」などと言ってみたところで、周りから、モノがなくなると、私たちの生活はたちまち困窮に陥ることでしょう。例えば洗濯機がなくなったとして、「じゃあ手洗いでやれば電気を使わなくてもいいし、一石二鳥じゃん」みたいなことを言われるかもしれませんが、1日、2日ならそれでもいいかもしれませんが、年がら年中となると時間と労力がかかって大変ですし、特に水が冷たい冬場などは耐えられないでしょう。
冷蔵庫や掃除機など他の家電製品にしても同様。ましてや電車やバス、自動車に至っては、なくなってしまうと、生活が一変してしまうでしょう。大きなものから、100円ショップで買えるような身近な小さなものまで、たくさんのモノが私たちの生活を支えており、もはやそれらをなくしては生活は成り立たなくなっています。
日本の場合、製造業がGDPに占める割合は2割ほどで、農林水産業、鉱業、建設業といった“生産的”な産業と合わせて3割程度。残りの7割は、これらの産業の人たちのおかげで食べさせてもらっているといっていいでしょう。もちろんサービス業の中には、製造業にとっては欠かせないソフトウェアなど潤滑油となるものもあるし、電力、ガスなどエネルギー供給なども重要ですが、こうした産業でもモノがなければ成り立たないわけで、モノづくりをしている人たちがやはり一番経済に貢献しているわけです。
そう考えると、理科系の研究者やエンジニア、技師がもっと幅を利かせてもいいし、リーダーになるべきなのではないかとも思ってしまうのですが、そうはならない。おそらくこれからも。なぜか?
確かに中国の現在の指導者である胡錦濤国家主席は水利系の技術者だし、鳩山由紀夫元首相、菅直人前首相も理工系ですが、こうした人たちがリーダーシップをとるのは世界的に、歴史的にあまり例がありません。圧倒的に法律や財政、金融、経済を学んだ人が指導者層を形成しているケースが多いのです。
なぜそうなるのかというと、モノは使われないと意味がないからです。言い換えれば、モノづくりというのは、あくまでも下請けであって、決してユーザーよりも先にモノづくりがあるわけではないのです。
たまに、こういうモノをつくってみたら、大受けして爆発的に売れたみたいなことがありますが、それだって使う人、買う人があったからそういう現象が起きたわけで、見向きされなければ、たとえモノを作ったとしても、その存在は認められないわけです。
なぜ米国が世界で覇権を確立できたかもその辺に読み解く鍵がありそうです。米国の指導者層やシンクタンクはその辺を間違いなく見抜いているでしょう。モノづくりをしている人たちより、それを買って使う方が立場は上だし、さらにモノを使いこなせることこそが、力に結び付くということを。
米国のGDPの7割を個人消費をしめることも端的にそれを表していますね。米国はユーザーがモノづくりをリードするということを利用して、世界経済をリードし、米国人の消費動向が今現在も、世界経済の動向に大きな影響を与えているわけです。
旧ソビエト連邦は、とりわけ航空宇宙工学の分野など、米国よりもはるかに高い技術を有していました。米国のスペース・シャトルが結局、失敗作だったというのとは対照的に、有人宇宙船「ソユーズ」、補給機、宇宙ステーションなど圧倒的にリードしています。
でも技術力はあっても、広く人々の生活を豊かにし、役に立つもの、ほしいと思うものを作らないと意味はないわけです。夢のないことを言ってしまうのですが、宇宙に目を向けても、今のところは何のメリットも生み出さないわけで(もちろん軍事的に優位に立つことにはなるのだが)、適当に見切りをつけた米国の方が偉い。
米国はモノづくりに欠かせない資源を抑えるためにサウジアラビアやオーストラリアをしっかり押さえ、技術力、商品開発力に優れた日本や韓国、台湾を従えることで、帝国を維持してきました。
今でも、モノの使いこなし方がうまい米国が世界をリードしていますね。IT機器や関連のソフトウェアでは、他国の追随を許しません。アマゾンはいまや世界中にサプライ・チェーンをつくっているし、ペイパルのような課金システムもネットビジネスでは不可欠です。アップルは音楽や映像を簡単にダウンロードできる世界標準だし、ユーチューブは様々な動画を世界中に発信し、手軽に閲覧することを可能にしました。さらにツイッターやフェイスブックは、知識や情報を共有を後押しし、人と人をつなぐ役割も果たしています。
米国の国家破綻は目前ですが、では覇権が中国に移ったとして、米国のようにモノを使いこなせる能力があるかというと、力不足ですね。もちろん、米国が得意とする分野でも急速に力をつけることは間違いないとは思いますが、英国から覇権を奪ってから100年近くにわたって、こうした能力が培われたわけで、時間の壁は厚いと思います。
ひるがえって日本。私たちはどこが覇権をとろうと、“属国”の立場であることに変わりはなく、そういう意味ではモノづくりに徹することは実に賢明なことだと思います。モノを使うのはあくまでも帝国なわけですから。
日本では、理科系がノーベル賞受賞者を輩出するなど、世界レベルの分野をいくつか抱えているのに対して、理科系やモノを使いこなすべき立場の文化系が箸にも棒にもかからないというのは、日本の置かれている状況を実によく反映していると思います。世界的には文化系が理科系を支配する立場にあるのですが、日本はモノづくりの国なので、理科系の方が頭がいいし、偉いのです。
モノづくりは富の源泉であるので、それを大事にするのは現実的だし、理にかなったことでもあるのです。米国は自分でモノづくりができないために、帝国を維持するのが難しくなっているし、いずれ中国も同じような悩みを抱えることになるでしょう。その辺は属国の方がしたたかかつしぶといです。
それに日本の場合、モノの使い方は、帝国のものまねにすぎないですが、それを洗練する能力は極めて高いですね。米国で売られている自動車やパソコンは非常に雑なつくりですが、日本人の感性が入ると、非常に繊細に作り込まれて品質が高まります。
食べ物にせよ、ファッションにせよ、米国人がモノをふんだんに使っている割にダサい生活をしているのに比べると、日本人のライフスタイルはつつましやかですが、ソフィスティケートされています。
私も米国で生活をしたことがありますが、広々としていて住環境はいいし、上述の通りモノの使いこなし方は日本より進んでいると思います。でも、どこか田舎臭いんですよね。すみずみまで心が行き届いている日本の方が多方面にわたってセンスは格段にいいと思います。
この期に及んで、米国は日本への支配力を強めようとしている様子がうかがえますが、日本人は日本人らしく、原点を忘れない限り、うまく生き残っていけるのではないでしょうか。