落語家の立川談志さんが死去したというニュース。昨日からニュースやワイドショーは談志さんの破天荒なエピソードなどを取り上げ、追悼で一色ですが、江戸っ子特有のきっぷのよさに加え、歯切れのいいしゃべりが、多くの人をひきつけ、毒舌で辛辣にもかかわらず、痛快で一種の清涼感があり、人との摩擦を恐れ、草食系が好まれる昨今、稀有の存在だったことが分かります。
私は、物心ついた時分にはもう、談志さんがブレイクしたピークは過ぎていたので、リアルタイムでの武勇伝はよく知らないのですが、過去のVTRを見ると、生きざまがカッコよく、あこがれますが、談志さんのようになれる力量やセンスはないと思います。
インタビューを受けた、桂歌丸師匠が「すごい芸だが、あれは我々にマネができるものではない」とおっしゃっていましたが、その通りですよね。
ただ、少し前までは、どんな組織でも、ちょっと皮肉が効いていて、それでいて嫌味がない、さっぱりした批判を加えることができる人が、必ず一人はいたと思います。そういう人がいることで、ガス抜きとなり、ちょっとした逃げ場を与えてくれる安全弁になっていましたが、最近は社会全体に余裕がなくなってしまい、そういう人は少なくなってしまいました。
また、自分自身も含めて、しょうもない大人が増えましたよね。自分の実力に自信がないから、談志さんのようにふるまおうとしても、野暮ったく、恥や醜さをさらすだけの話です。毒を吐きながらも、後腐れなく、逆に爽快感を与えるようなそんな存在は、高貴ですよね。だから、つまらない人間がまねしようとしても、とても届くような存在ではないのです。
ただ、そんな常人をはるかに超越したレベルには到達できないにしても、少し前の日本人は、物事にそれほど執着しない潔さがありましたよね。談志さんの話ぶりを聴くと、「古き良き日本人」のようなものを感じます。
カネだとか、地位だとか、体裁だとかにあまり執着せずに、社会に貢献することや、家族のために一心に働くといった自己犠牲の精神が、日本を支えた部分は大きいと思います。だからこそ、一時的ではありますが、経済大国として、世界が一目を置く国になれたわけで、アジアの各国も、日本の成功にあこがれたわけです。
中国は間違いなく、21世紀の超大国の地位に上り詰めると思いますが、あまりリスペクトされないというのは、そういう部分でしょうね。中国の経済発展のモデルなんて、別に目新しいものではないし、ある程度、豊かになっても、中国人の振る舞いは田舎臭く、しかも品がありません。
まあ、これも米国流の金融資本主義の毒が完全に回ってしまったということでしょうね。貧乏でも気にせず、心豊かに生きていけるというのが、セーフティーネットになっていましたが、つまらない目先だけの成果主義、実力主義が幅を利かせるようになり、日本人の美徳は失われてしまいました。
いまさらになって、大切な人を失ってしまったんだなぁと痛感させられますが、談志さんのようになれないにしても、体制や偏狭な組織の論理に流されず、自分なりに、潔く、美しい生き方を追求する努力は怠らないようにしたいものです。
心よりご冥福をお祈りします。