日本人は周りの空気(ニューマ)によって行動が支配されている、というのが、有名な山本七平さん(故人)の名著「空気の研究」の論旨です。今さら取り立てて言う必要はないと思いますが、「KY」なんて言葉に象徴されるように日本人は本当に「空気」ばかり読んでいます。
空気を読む国民というのは、世界的にもめずらしい存在でしょうね。世界中を歩き回れば、日本人と同じような人たちに出会えるかもしれませんが、世界の主要国でこれほど空気を気にする国民は希有の存在です。
なんだかんだ言っても、日本人は個人プレーより、集団プレーの時に能力を発揮しますから、チームの和を保のに空気を読む能力は大切なんだと思います。空気を読めるからこそ、見える物があり、それが優れた製品、サービスを生み出す原動力になっている面は大きいでしょう。
ただ、怖いのは、空気を読むことばかりに気が向いてしまい、危機を察知することがおろそかになってしまうことです。誰か一人が「危ない」「やばい」と気付いても、全体の空気がゆるんでいれば、たとえ警鐘を鳴らしても「何言ってるのあの人」みたいな白い目で見られることが多いです。
それでいて、いざ不意を突かれると一気に警戒心一色になってしまい、あつものに懲りてなますを吹くというか、異常に神経質になってしまいます。
原発をめぐる状況がまさにそうですよね。東京電力福島第1原発事故前までは、「原発が危ない」と言っても、だれも相手にしなかったし、そう主張する人たちはちょっと頭がおかしいのではないかと思われていました。私自身もそう思っていましたし。
ところが、事故が起きると一気に世論は原発が危険だという流れに傾いてしまい、「だから私はあの時原発は危ないんだと言ったのに」みたいな被害者意識だけを丸出しにした、無責任な意見がまかり通るようになってしまいました。自分たちが原発で得たエネルギーでどれだけ恩恵を受けたのかはまったく顧みることなしに。
これは日本人の持つ本当にいやらしく、醜い一面ですよね。そして最大の弱点でもあります。大きな力が働くたびに、萎縮してしまいその力になびいてしまい、客観的に物事を考えられなくなるという。
日本が67年前に敗戦したときに、なぜ、国が崩壊の寸前まで至ってしまう事態に陥ったのか、日本人自らが反省し、総括しなかったのがやはり大きいでしょうね。
どんどん日本人の考える力が衰えているので、何も考えずに空気に従って、あるいは現状に疑問を持たずに、意思を形成するのが当たり前になりつつあります。そういう人たちを出し抜けば、いろいろとチャンスは多いのですが、日本全体としては怖いことですね。
私たちは日々、マーケットと対峙していますが、マーケットとうまく付き合う方法は、「空気を読む」ことです。欧米は金融恐慌への道まっしぐらという感じですが、暴落せずに下げ渋り、しかも小反発するような局面では、利益を得たり、ロスを防ぐには、中長期では間違っていることではあっても、流れに従って、買うしかないのです。すくなくとも売るにしても、伸びきって買い疲れるまで待つしかありません。
大局観でものを考えつつも、目先の空気を読まなければならないという、複雑な作業を要求されます。動きが一致していればいいのですが、ちぐはぐなことが多いのでストレスがたまります。
いつも指摘しているとおり、諸悪の根源は米国にあるのですが、従属国日本の力ではあらがえません。大きな力、強いものの前では、あからさまに思い切った行動や手を打てないというのも、残念ながら事実です。だからこそ、空気を読もうとする力が余計に強くなったということも言えることができます。
どんなに「米国がやばい」「国家破綻するよ」と言い続けても、広がらないのは致し方ないところもあるのです。長年、強い国に従属させられ、しかも平和で安定していたがために何の疑いを抱くこともなくなってしまった。政治家、官僚はおろか、本来、臆病で敏感で慎重であるはずの経済人や金融マンでさえも異変に気付かないのですからね。
空気の壁を破るのは難しいのです。まずは理解できる人だけ理解して、とにかく生き残ることだけを考えましょう。明らかに有事なわけですから、空気を読んでいては、激動には対処できないのです。空気を超えた先にはいろいろとチャンスもあるでしょうから。