円高の加速が止まらない。日本時間17日早朝の外国為替市場で、円の対ドル相場は一時1ドル=76円25銭近辺と、前日の東京市場の終値に比4円以上も急騰。1995年4月19日に付けた79円75銭の過去最高値を16年ぶりに更新した。
東日本巨大地震の影響で国内企業が海外資産を売却して円に換金するとの思惑や、津波の被害を受けた福島第一原子力発電所の放射線漏洩問題が深刻化する過程で、「投資家のリスク回避=円買い」との過去の経験則を強く意識した投機的な円買いも誘発したためだ。
急激な円高を受け、東京株式市場では輸出関連銘柄を中心に売りが殺到。日経平均株価は取引時間中に一時8600円台まで下げ幅を広げる場面があった。
(前編から)
いま日本が明治維新以降140年以上かけて進めてきた軽工業から重工業に到る近代工業化を、中国は僅かこの20年の間に日本の技術や資本を活用しつつ、華僑ネットワークを使い溢れる世界の資本を上手に引き寄せ活用しながら、各分野同時並行的に猛烈なスピードで進めて来たといえます。かつて1800年代から1900年代にかけて、押し寄せる帝国主義諸国に良いように食い物にされた経験を、反面教師として充分に活用したのでしょう。
明治維新からの日本近代産業史を手繰ると、それまでの伝統的技術の上に西欧から導入された技術が上乗せされた流れがあります。
最も初期から発展して行ったのは、鉱業からの流れです。
今回は少々趣を変えて、留学についてお話をしよう。留学については、この日経ビジネスオンラインでも多数回取り上げられているが、著者の多くはもともと英語への適性を持った方々であったり、極めて若い時から英語を話す機会に恵まれたりする人のお話が多いような気がする。
私は英語に適性があったわけでもなく、20代も終わりの頃に、しかもあまり日本で英会話を勉強する環境もなかった1965年に米国に留学した。そして、何度か、“もう日本へ帰れ”と言われたりしたにもかかわらず、32年間米国に在住した。その間、大学で教え、幸運に恵まれた結果、米国では1986年から1997年の間に150回以上色々な会議やセミナーで講演した。
そこにいるのは、テレビの画面越しでいつも見ている格好いいナカタではなかった。大地震と大津波そして原子力発電所の事故と、次々と新しい危機が押し寄せている日本の窮状を訴える1人の人間だった。中田英寿氏は3月15日の午後2時(日本時間の午後3時)から2時間余り、中国メディアからのインタビューを受け続けた。
中田氏が中国の人々に何を話したのかを書く前に、彼がなぜ今、北京で、中国のメディアに登場したのか。その経緯を説明する。
テレビでも新聞でもなくネットで
大地震が発生した3月11日の金曜日、中田氏は香港でチャリティー機関が主催したイベントに出席していた。日本で地震が起きたことを知りすぐに帰国しようとしたが、日本への飛行機が飛ばない。
国内2輪車市場の縮小が止まらない。その中で最大手のホンダが海外生産車の輸入を加速。空洞化が進む中、市場を反転させることができるか。
「CBR250R」の生産が始まったホンダのタイの現地工場
生産ライン上で精緻にバイクが組み立てられていく——。
2輪車世界最大手のホンダが18日に国内で発売する「CBR250R」は、車体こそ大きくないが、レース車を彷彿させる本格的なスポーツバイクだ。軽量ながら高強度の車体フレームを使い、世界最高水準の日本の排ガス規制にも対応。2輪車としては先進技術である、横滑り防止用のABSも搭載する。
1つだけ、これまでのホンダのスポーツバイクとは異なる、大きな特徴がある。