今、クローズ・アップされている、ソブリン・リスクのまさに核心中の核心だと思いますが、2008年のリーマン・ショック以降、経済を下支えするため(効果はあるかどうかは別にして、単にその名目の下で)、様々な政策介入が行われています。その効果がなくなった時が本当の危機だし、現在の金融資本主義をベースにした世界の経済システムの終焉なのだろうと思います。
国家が金融資本主義の暴走を止められず、政策介入をしても効果がなくなった時が、ソブリン問題のクライマックスだし、その時にセリング・クライマックスあるいは、最悪、金融市場の崩壊、消滅が起きるんだろうと思います。
日々、相場に対峙していると、「ショートがしづらい」ということを肌身に染みて感じさせられます。ファンダメンタルからしてもテクニカルからしても、素直に考えたら、「売るしかないだろ」という局面なのですが、なぜか意味もなく上昇してしまいます。だからロング主体で臨まざるを得ません。
究極の無意味な上昇と言えば、ドル・円相場ですよね。ドルに価値が見いだせないからこそ、みんなドルを売り倒しているのに、わざわざ人為的にドル価格を吊り上げる意味が理解不可能です。
「輸出企業の競争力の低下に歯止めをかける」というのが、ドル買い支えの大義名分なのですが、日本経済における輸出の占める割合は2割以下だし、大企業から中小企業に至るまで、ビジネスを続けたいと考える企業はすでに海外に生産拠点を移すなどして、為替リスクはヘッジしています。
はっきり言って、こうした意味でのグローバル展開が遅れた企業というのは、すでに負け組であり、淘汰される運命にあるのです。
為替云々を議論する寄り前に、常々しつこく言っていますが、すでに世界は過剰生産、モノ余りの時代に入っており、商品の価格下落圧力は強まっています。だから、こうしたコモディティー化した商品を日本で生産して輸出する意味はないのです。
日本に生産拠点を設けるメリットとしては、極めて繊細な感性をもったマーケットを擁しているので、イノベーションやブレークスルーのポテンシャルがあるということですね。デルやレノボの安物のパソコンが席巻する一方で、東芝やパナソニックのハイエンドなモデルに根強い需要があります。
生産は海外に外注するにしても、商品の企画、開発とか、デザインなんかを考案する上で、日本に何らかの拠点を置くことは意味のあることなのです。
こうした状況で、ドルを買い支える理由としては、米国からカネを貢ぐよう要求されているため、為替介入を隠れ蓑にしているにほかなりません。また、米国としてもこの期に及んでもなお、「強いドル」を前提にした経済構造から脱却できないので、ドルの急激な価格下落は必ずしも好ましい状況をもたらすとは限らないのです。
ドルを無理やり買い支えても、本来の価値とはどんどん乖離していく一方なので、いずれは破綻が訪れることでしょう。直近の介入で日本政府、日銀は9兆円の資金を投じていますが、ドルを4円程度押し上げたにすぎず、効果も長続きせず、じりじりと円高に逆戻りしている状況です。
各国で実施された金融、財政政策も同様ですね。通常のリセッションであれば、激変緩和や失業者の増加を食い止めるためにそれなりに有効ですが、さんざん金融ばくち、不動産ころがしを繰り返して、天文学的数字の借金を積み上げた挙句、こういう状況に至ったわけですから、いずれそのツケを払わなければいけません。
本当の意味での自由経済というのは、ダメなものはダメとして淘汰し、強いもの、勢いのあるもの、人々から必要とされるものが生き残っていくべきなのですが、「大きすぎてつぶせない」ということで、政策介入が行われた結果、ダメな連中が延命するばかりか、増長し、利益をむさぼるために政策当局に圧力を強めるという本末転倒の事態が起きています。
大きな視点で見れば日米関係がまさにそうですね。米国というのは市場原理が健全に働いていれば、さっさとゲームから退場しているはずなのですが、日本が米国に頭が上がらず、カネを貢いで支えるがために、逆に増長してしまい、要求がエスカレートしています。普天間問題、TPP、為替介入など、いたるところで米国の卑しく、あさましい根性が垣間見られますね。
ユーロにしても同様です。まあ、欧州の団結は強いので、ユーロが消滅する事態はやや考えづらいですが、無理にユーロを守ろうとするばかりに、おかしな状況に陥りつつあります。
一度、堕ちるところまで堕ちないと、本当の意味での再生は不可能だと思います。今はまだ、そのことにみんな気づいていないから、政策でなんとか、株価やドル、ユーロ価格を維持し、不自然な市場の動きが続いていますが、いつまでこれが続くかということですね。
さすがに国家というのはそう簡単に信頼を失うものではなく、市場からの信認もまだまだ厚いので、なかなか、大きな動きにはなりませんが、じわじわと来たるべき時が近づいていることは間違いないでしょう。何しろ、本来あるべき姿(価値、価格)と、現在の姿の乖離が大きすぎます。いずれ適正な形になるはずなのですが、あまりにもギャップが大きいので、激しい動きになるでしょう。
その時には小手先の政策などでは乗り切れないでしょうし、今までの政策介入の努力などあっけなく消え去ってしまうでしょう。「国家」という神話が崩れる瞬間を目撃しようとしているのです。