政治主導、地方分権の実現の2点において、私は橋下徹大阪市長を支持していますが、労働組合と戦ったり、教育現場に介入したりとなかなか、本題に入ってくれそうにありません。やるとしたらやはり順序が逆なのではないかと思いますが、本当の意味で必要な改革が実現する前に体力、気力を使い果たさないことを祈ります。
労働組合に対する圧力は、中央官庁の官僚の“独裁”や横暴ぶりとも重なり、改革を進める上で、障害となる者を排除する上で必要な部分があるので、やむを得ない部分はあるとして、教育現場に対するさまざまなアクションは、注目度が高く、世間も敏感に反応するので、あえて敵をつくるのはどうかと思います。もう少し要領よく、冷徹かつ粛々とやってもいいのではないでしょうか。
とはいえ、軟弱で情けない大人の姿を反映して、今の子供は基礎的なことが身についていないので、もし、日本という国をこれまで通り、「日本人」が治め、歴史を受け継いでいく気概があるのであれば、きちんと「しつけ」ることが必要だと思います。
日本人は、元来、恵まれた環境で育っているので、大らかさとか寛容さとか、いい意味での「緩さ」をもっているんですよね。それがこれからの時代、国際社会で強力な武器になることは間違いないと思います。
ただ、緩さがある一方で、締めるところは締める。メリハリがあるからこそ、緩さが生きてくるわけであって、けじめもなく、緩い状態を続けるだけでは、それは緩いを通り越して堕落につながります。
日本人はどちらかというとガチでの争いを好まず、他人と正面からぶつかり合うのを回避する傾向にあるので、子供に対しても、しっかり向き合うのが苦手という傾向があります。それが悪い意味での緩さ、やさしさにつながり、英語でいうところのスポイル(spoil)になってしまっていますね。
それに拍車をかけるのが過度な権利意識、人権思想ですね。「子供は社会の宝」「特別な存在」「無限のポテンシャルがある」みたいな、気色の悪い言葉にころっとだまされて、自由放任のまま、子供を好き放題にさせ、結局、その子の素質をつぶしてしまうという。
どんなに潜在能力があっても、それを引き出すように厳しい訓練をしないと、才能は開花しないのです。スポーツの世界なんかはまさにそうですね。もちろん天才がいて努力せずともものすごい結果を出す人もいるのですが、長続きしないだろうし、有頂天になって何も現実社会のことを知らないまま、突然精神を病んだり、転落してしまうこともあります。
橋下市長のやろうとしていることが、果たして効果があるのかどうかは、かなり疑問のある部分はありますが、何とかしないと、困った子供たち(本人も成人してから困ることになるでしょう)が量産されることになるでしょう。そして、そういう若い世代が増殖することで本当に困るのは、彼らに支えてもらうことになる上の世代なんですよね。そういう現実的な問題もあります。
私の周りの教育関係者によると、口々に言うのは、やはり家庭でのしつけがなっていないということ。教育うんぬん以前の問題ですよね。「授業中じっとしていられない」「人の話を聞けない」「会話ができない」「問題を指摘されるとささいなことでもいじけてしまう」・・・などなど。
どんな社会でも最低限のマナー、規範を守らなければならないわけで、もしそれが間違っているというのならば、そのマナー、規範を徹底的に研究し、実践し尽くした上で、問題点をあぶりだし、変えるべく発言、行動しなければならない。当然のことです。
また、世の中、人生は、理不尽で不条理なことだらけです。私たちの世代でもすでにそうでしたが、日本で教育を受けると、きれいごとに覆い隠されてしまい、本当に大切なことをなかなか学べないですね。
単に年齢が上であるとか、力が強いとか、たくさん金を持っているとか、立場が違うということだけで、不当な要求をしたり、弱いものに対しては徹底的に付けこんでくる奴なんてゴロゴロいるのです。残念なことではあるのですが、それが人間、社会の嫌な一面です。それをうまくはね返したり、器用にやりすごすのも、生きていく上では悲しいし、みじめなことなのですが、必要なことです。
必要なのはしつけというよりは、むしろ、現実の厳しさを知る機会でしょうかね。バブルが大昔に崩壊し、経済的にはしみったれた状況でしか育っていないはずなのですが、最低限のものは満たされていないので、緩やかな環境に慣れきってしまっているのでしょう。
これは子供ではなく、大人の問題なのです、もっともっと厳しい現実を直視し、どうやって生き残っていくか、残すべきものを残していくか、しっかり考えていないし、ただ流れにまかせ、強い奴にやられ放題やられ、どうすれば一矢報いられるか、逆転できるか、という発想を自分自身が持ち合わせていないので、子供にも大切なことを伝えられません。
誰かがいみじくも言っていましたが、文化大革命みたいなやり方になるのであれば、橋下流改革はまったく賛同できませんが、私たち上の世代の行動、気構えのあり方を含めて、しつけをどうするか議論が進むことは良い事ではないかと思います。