米保守論壇の重鎮、サミュエル・ハンチントンが主著「文明の衝突」の中で、日本を中国やアジア諸国とは違った、独自の文明を持った国であると位置付けました。日本が文明の中心であると言われて気分が悪かろうはずがなく、日本国内のいわゆる保守派の人たちも自尊心を込めて「日本文明」を強調しますが、残念ながら文明の定義にもよりますが(ハンチントンは「文化の集まりが文明」としています)、世界標準の考え方からすると、そんなことはあり得ません。
文明というのは、まず周辺諸国や世界に広く、影響を持つ言語あるいは文字を持っていなければならないでしょう。日本人は、文字を発明したわけではありません。中国人が生み出した漢字をベースに、言語体系が成り立っています。この時点で文明を名乗る資格はないと考えていいでしょう。当然ハングルもです。
さらに国家体系や法制度も同様です。通貨制度や商慣習、市場システムなんかも加えていいでしょう。日本がこれらの分野で世界で果たした役割など無に等しいです。こうした事実を無視して、「日本文明だ」と浮かれる日本の保守論壇のレベルの低さには、へきえきさせられます。
要は日本は、マイクロソフトのウインドウズや、アップルのように、どんな分野でも、基本ソフト(OS)のようなものを生み出したことがないし、その能力も持っていないのです。そんな国が文明の中心であるはずがありません。
日本は文明の発祥の地ではありませんが、文化面では非常に洗練された国なのです。日本人の特性として、「応用がうまい」とよく言われますが、まさにその通りで、他人が発明したものを、自分でうまく消化して、それを活用することには非常にたけています。
偉大な発明をしたからといって、それをうまく利用し、社会を豊かにできるかというと、それはまた別の話で、紙、火薬、羅針盤の三大発明をした中国では、出版文化は政府の統制で決して栄えているとは言えないですし、火薬をうまく使いこなした西洋諸国、日本に侵略されてしまいましたし、航海も最近になって活発になり、タンカーや空母を造り始めました。
日本は巨大な文明を持つ国や地域とは離れた位置にいながら、持ち前の好奇心と器用さを発揮して、文明が生み出した物を貪欲に吸収し、それを自分たちのオリジナルの物に変えていったのです。そこが日本の特色であるし、強みでもあるのです。
中国は、この400~500年、世界を圧倒してきた欧米人が築き上げた文明に取って代わろうとしています。これは私たちの先祖も経験したことのない、めったに見られない、すごいことなのです。
ただ、台頭する中国文明の具体像は今のところ、何も見えていません。政治、経済は欧米のつくったシステムを取り入れているにすぎないし、しかも明治以降、日本人が翻訳した行政、経済用語や、日本の行政システムなんかをまねしているという発展途上のレベルです。
ただ、13億人もの民を統治するために彼らが築き上げるであろうノウハウは、間違いなく、世界のOSになるだろうし、中国が経済の中心になれば、商慣習なども次第に中国風になっていくでしょう。時間の問題です。
最初のうちは、欧米人は自分たちの文明にまだ自信を持っているし、文化的にも洗練されているので、中国を見下すでしょう。おそらく日本もそうです。
ただ、世界は中国を中心に回ることになるでしょうから、徐々に中国のペースで何事も動くようになるだろうし、寒村が一気に摩天楼になったように、短期間で文化的にも洗練されることが予想されます。20世紀初頭に米国が世界文明の中心に躍り出たように。
文明の中心が米国だろうが、中国だろうが、日本の位置は、あくまでも文明の中心からは離れたところにあります。それが文明中心地ではないところに生まれた私たちの宿命です。
ただ、今までのように決して文明から疎外されているわけではなく、むしろ、上手に文明と付き合っていくでしょうね。それはそれでいいのではないでしょうかね。