文明の衝突

  なぜ、現在の世界(金融資本主義)が行き詰っているかについて考える上で、重要なヒントを与えてくれるのは、欧米社会が基本的に「覇道」で成り立ってきたのに対し、中国を中心とするアジア圏は「王道」を基本として考えられてきた歴史があるということです。
  いろいろと細かい議論はあるのですが、覇道というのは、他人から権力や財産を奪取して支配すること。一方、王道は人の上に立つのにふさわしい人格や資質、才能を持つ人がトップやリーダーになるという考え方です。
  もちろん、欧米人はいまだに野蛮ではあるものの、平和ボケ、豊かさボケしつつあるので、王道的な考え方を持っている部分もあります。一方、中国など貧しさが残っている国では、豊かになるため、勝ち残るため、他人より抜きんでようと、周りの人を蹴落とそうとする動きが強いので、覇道的な性格を強く持っています。
  だから、単純に欧米=覇道、アジア=王道と単純に色分けはできず、そこが混乱の原因となり、中国に対して嫌悪感を持ったり、逆に欧米崇拝、米国依存につながったりもするのですが、根底には覇道文明、王道文明があり、そして人々の考え方にも無意識のうちに影響しているので、そこはきちんと押さえておく必要があります。
  普通に考えて、欧米のビジネススタイルって他人からいかに搾取するか、ライバルをどうやって蹴落とすかということが垣間見られるので、非常に卑しいですよね。ウィン・ウィンの関係とかいいながら、準決勝とか決勝であいまみえることになる最終的には、今まで強調、連携してきた仲間を平気でつぶしにかかるのです。
  いまだに根強い信奉者がいる、ビジネス・スクールなんていうのも、まさにそうですね。使われている教科書などをつぶさに分析してみると、結局は自分がどうやって実力以上に評価され、最終的には人を蹴落とすかということを身に付ける、処世術にほかなりません。
  ビジネス・スクールを卒業した人たちの就職先、あるいは興した事業をみてください。いわゆるエリート層に分類される人たちなのですが、「よりよい世界をつくろう」「多くの人たちと豊かさを分かち合おう」などという発想はさらさらありません。仲間同士つるんで、卑しい投資業に飛び込むか、得体のしれないコンサルタント業を営んで法外な報酬を得るか、そんな人がほとんどです。
  中には高邁な考え方を持っている人もいて、地味ながら人の役に立つ仕事をしている人もいるし、実際にそういう人を知っていますが、そういう例は全体からするとレアだと思います。
  一見スマートなのですが、一皮むけば醜い本性が表れ、特に、リーマン・ショック前後は本当に嫌な部分ばかり見えましたね。うまく行っている時は、利害が一致するので協力するのですが、経済状況が一変すると、足をひっぱりあったり、責任をなすりつけたりと、見ていて怒りを通り越して、哀れを誘いました。
  究極のところ、覇道というのはエゴイズムなんですよね。本来、権力、お金を持つべきでない人が、必要以上に力を持ち、一極集中してしまうことで、社会全体の分配がいびつになってしまい、格差や貧富の差を生んでしまいます。
  所詮はエゴイズムなので、いわゆるエリート層にいる人たちは自分たちの立場や利益しか考えず、どんどん社会全体から活力が失われ、総体としては悲惨な結果になってしまいます。今の欧米の状況がそうですね。また、中国に対する大きな懸念も、そこにあります。
  王道というのは中国の思想家、孟子が言いだしたことですが、中国では欧米とは違い、上に立つ者が下々がひもじい思いをしないようにすべきだという考え方があるものの、歴史的にみるとむしろ覇道的な状況が繰り広げられてきました。
  王道の考え方を忠実に実践しようとしたのは日本ですよね。人の上に立つ者は、常にその地位にしかるべき行動を求められました。それに反するようなことがあれば、切腹、自害か、そこまではいかないにしても、潔く身を引きました。行動が伴わないのに地位に恋々とすることは恥だと思われてきました。
  日本では、リーダーは、自分が統治している間、トップにいる間に何か、不祥事、良くないことが起きれば、それは恥ずかしいことだとして、自ら身を律したわけです。
  太平洋戦争後の東京裁判については、細かいところにこだわると、議論が紛糾するし、本来裁かれるべき人が裁かれていないとの指摘もあり、本当にそうだと思いますが、一応、形として、いわゆるA級戦犯とされた人たちが絞首刑となったことで、納得できない部分は多々あるものの一応は、けじめをつけたといえるでしょう。国策を誤り、国全体を存亡の危機に陥れたという責任はあるわけですから、誰かが切腹あるいは自害しなければ、従来の王道に基づく、日本的な考え方からすると、かたはつかないでしょう。
  不十分でしかもかつての敵国の裁きでありながらも、東京裁判ではしかるべき責任を負わされたのですが、戦後、時間がたつにつれ、こうしたリーダーとしてあるべきのマナー、美徳はどんどん失われていきました。米国の言いなりで米国債を買わされ国富を献上した財務省、外務省、“毒薬”を押し付けられ、深刻な薬害を引き起こした厚生労働省、年金を消失させてしまった社会保険庁などなど、国家を揺るがすほどの大問題、災厄を招きながら、当の本人たちはのうのうと生き残っています。
  近いところでは、東京電力福島第1発電所の原発事故ですよね。政治家、経済産業省は何の責任も取らないし、当事者の東電は事故発生当日、手におえないからということで、現場から社員を引き揚げようとさえした。東電の会長、社長など、原発の安全性について、無知、無能の限りを露呈し、無策のつけで多くの国民が被害をこうむったにもかかわらず、生きながらえています。
  前にも言いましたが、東電の会長、社長はさっさと切腹なり自害なりして、リーダーとしてのあるべき姿を示すべきです。企業トップとしてはとうの昔に「ダメ人間」の烙印を押されている上、人間としてもこのままおめおめと生き残って老醜をさらすのでしょうか? この人たちに生きる価値なんてあるのでしょうか? さらし者にするというのも一つの手ではありますが、日本人の美意識がそれはゆるさないでしょう。さっさと本当の意味で、この世から“身を引く”べきです。
  欧米流の責任逃れのための、権利とか契約とかの概念がはびこった害悪が集約されていますね。法的責任をとればそれで免責されても、トップとして、人間として社会に対して果たすべきことを果たさなければ、道義的な責任は消えないというのが、日本的、王道的な考え方です。
  早晩、欧米の金融資本主義は崩壊するでしょうし、代わって台頭する中国あるいはロシアは、欧米流ではない別の道を提示しなければならないでしょう。その時に考え方の基本になるのは、やはり覇道と王道ではないでしょうか。今、世界で起きているのは単なる欧米の没落だけでなく、覇道対王道の文明の衝突という側面もあるのです。