現実を直視せよ

  日々、金融市場と付き合う上で、一番大切なのは現実を直視するということです。現実を現実として受け止め、行動しなければなりません。最近は嫌なこと、見たくないことも多いですけどね。でも、それもまだ現実です。きちんと向き合い、乗り越えていかないと、先へ進んでいけません。
  私がトレードを始めた頃は、2005年前後だったと思いますが、相場が自由に動いて本当に楽しかった。2003年のりそな国有化で株価が7600円を付けた後、踊り場があって、そこからリーマン・ショック前の2007年にかけて強気、バブルに乗って、18300円まで上昇しました。
  2005年前半なんて、買えば必ず上昇する相場でしたからね。「デイトレードで何億円儲けた」とか、にわかに株長者が生まれた時代でもありました。時々、小反落はするんだけれども、ちょっと値が下がったところが買い目で、「押し目買い」というのを体感しましたね。その頃は、まだ、個別株中心で、本格的に先物取引はしていませんでしたが、下げたら買う、上がったら売るという、シンプルなものでした。1日で20%も30%も上がる銘柄もありました。
  それで、「ここまで下がったらさすがに買うだろ」「上げ過ぎて怖いな」みたいな、相場感覚を養うのにもうってつけでしたね。個別株なんかは、人気株はとことん上がるので、群集心理というか、投資行動についても学びました。
  大勢の人が一つの方向に向かっていくというのは、勢いがあって、しかも投資をする上では分かりやすいんですが、怖い事でもあるんですよね。底値でしつこく売られたり、高値で未練がましく買ったりして、感覚が狂わされることもあるのですが、どこかでターニングポイントはある。そこがチャンスなんですよね。
  マーケットで価格が決まるシステムの良さは、良いもの、人気のあるものは買われる。ダメなものを売られるということで、物事がきちんと選別されるというところにあります。国際情勢をきちんと分析し、マクロ経済に対する理解があり、個別企業の業績、さらにテクニカル分析ができていれば、値が下がったところでロング、上がったところで利食いあるいは、ショートで、普通に設けることができるのです。
  ところが、残念ながら、リーマン以降、相場に政府や中央銀行が必要以上に介入するようになったため、マーケットが持っていた本来の機能や利点が失われてしまいました。
  本来、ダメなものが選別される局面であるはずなのですが、値を下げることが許されず、かといって下値が堅いから買われるかというと、本来買われるべきものではないので、すっきりとは価格上昇しません。それで値段の行き場がなくなってしまい、訳の分からないレンジ相場になってしまいます。
  限られた値幅の中ではあるのですが、時々、意図的に値段を上下させ、一部のインサイダーだけが利益(と言ってもささやかなんでしょうけど)上げるという状態がずっと続いています。
  こうなると、本当にお手上げなんですが、残念ながら、これも現実です。ただ、これもいつまで続くんでしょうかね。続けることはできるのでしょうか? 答えは見えづらいですが、少しずつ、日々の細かい動き(現実)をたんねんにフォローしながら読み解いていく以外にありません。
  基本的には、欧米はもう終わってしまった。勤勉さを失い、競争で勝つために努力するという正道から外れ、金融ばくちと不動産ころがしに血道をあげた結果、集団で断崖絶壁から奈落の底へ落ちる事態に至ったのです。この期に及んで、マーケットに政策介入し、無理やり値を維持することによって、かろうじて命をつないでいるにすぎません。
  この辺は、逆に「もっと現実を見てくれ」と、言いたいですね。ダメなものはダメ。その単純な原則が通用しないなら、マーケットは機能しません。その原則があるからこそ、私たちがマーケットに魅せられるわけでもあります。
  もっとも怖いのが、無理を通して、マーケットを殺してしまうことですね。下手をすれば“連中”はそれをやりかねません。そうなればそうなったで現実を受け入れなければならないわけですが、私たちにとっては最悪のものであることは言うまでもありません。