自動車の未来~東京モーターショー2011⑦終 総括

  東京モーターショー2011の期間中の入場者数は約84万人。主催者側の目標が80万人とのことなので、東京で開催した効果もあるのでしょうが、まずまずの客の入りだったのではないでしょうか。
  私が訪れた12月6日は入場者数が6万5千人と、期間中の1日当たり入場者数が最も少ない日でしたが、それでも人気の展示には、二重三重の人だかりができ、写真を撮るための場所取りもままならないほどで、人気のあるイベントであることを実感させられました。


  ただ、高度成長期やバブル期との勢いの違いは比べるべくもないし、まだ未来に対して単純に希望が持てていたリーマン・ショック前と比べても、一般の人々の自動車にかける思いというのは冷めており、自動車メーカーにとって厳しい時代であることに変わりありません。


  全体的に見て欧州メーカーの環境対応車など、ところどころで「おもしろいな」と思ったものはありましたし、どの展示もそれなりに興味深かったのですが、正直、心躍るようなものはありませんでした。
  技術やアイデア、商品自体がすでに発表済みのものがほとんどで、未来に向けて我々が想像もしていなかったような提案は何一つありませんでした。


  実現できなくてもいいから突拍子もないアイデアの提案があってもいいのではないでしょうか? 2、3年後には実用化されるであろうコンセプトカーや、既に発売済みの車の展示だけだったら、東京ドームでも借り切って「見本市」として開催すればいいだけのことです。
  たとえば、ジェット噴射あるいはリニアモーター方式で浮き上がって推進する車輪がない浮上式の車とか、安全にこだわるというのなら、完全無人走行の車とか、セグウェイのような形の都市型交通システムとか、もっともっと夢のある展示があっていい。
  それぐらい野心的な目標がないと、自動車ってどんどんつまらない方向に行ってしまいますよね。遊園地のゴーカートに毛が生えたような電気自動車あたりで進化は止まってしまうのでしょうか。
  世界経済の閉塞感が強まっているのも、そのあたりが原因ですよね。住宅も自家用車も家電製品も行き着くところまで行き着いてしまい、物質面だけでなくソフトも、どうやら人間の考えることには限界があるのではないかと、みんなうすうす気付き出しました。
  だからこそ、限界を突破する努力が必要だし、何かやれば何か変わる部分もあるんだろうと思います。自動車メーカーは紙の目先のお金に対しては、最近は恐ろしいほど貪欲に執着しますが、奇想天外な商品で世間をあっと驚かせようということには消極的のようです。企業家精神までゆがんでしまいましたね。






  今回のモーターショーで忘れてはならない存在が、部品メーカー群です。自動車メーカーの展示スペースと比べると、人の集まりは、それほど多くはありませんが、各企業が自慢の技術を競って持ち寄り、非常にためになる展示が多かったと思います。
  自動車って実は自動車メーカーが造っているわけじゃないんですよね。2万点に上るといわれる、自動車部品のほとんどは、何次にもわたる下請け業者がつくっています。それをメーカーが集めて完成車に仕上げるわけです。
  自動車の性能はこうした下請け業者の技術と、品質管理によるところが大きいのです。こうした質の高いもの同士を組み合わせて、全体の整合性を取って、高い能力を発揮する製品を造り出す「擦り合わせ」というのは日本人の得意とする分野です。
  細かいところまで妥協を許さない職人気質と、使う側のことを思いやる繊細な心遣いがそれを支えてきました。残念ながら欧米人には太刀打ちできず、製造業から駆逐されたために金融ばくちと不動産ころがしぐらいしかできなくなってしまったのです。












  そして、自動車産業が今も日本の屋台骨であるのは、鉄鋼、金属、ガラス、ゴム、電子部品をはじめ、幅広い業種の企業を巻き込む裾野の広い産業であるからで、しかも日本には各分野で精鋭企業がそろっています。
  東日本大震災やタイの洪水では、部品の供給網が寸断され、数ヶ月もの間、完成車の生産計画の下方修正を迫られるなど大きな影響がでるとともに、日本の自動車産業の層の厚さと、技術力があらためて見直されました。
  ただ、電気自動車について触れた回で述べた通り、完全にモーターとバッテリーだけになる状況まではいかないまでも、低燃費、省資源、生産効率化の観点からも自動車の構造そのものは簡素化される方向にあり、家電業界同様、多くのメーカー、部品メーカーが共存共栄するモデルは成り立たなくなりつつあります。
  また、今朝の一部報道では、トヨタ自動車が韓国・現代自動車グループから部品の調達を検討しているとのこと。リーマン・ショック以降、トヨタに国内産業を守る気概がないということがどんどん明確になってきますね。がっかりさせられます。










  経済全体に占めるものづくりの割合はどんどん低下していて、世界的な生産の効率化と、過剰生産の動きも激しく、自動車をはじめメーカーの置かれている立場は非常に厳しいものがあります。
  でも、これまでの日本の製造業の進んできた道を考えると、日本人にはものをつくる才能に非常に恵まれているとしか思えません。愚直にものづくりをして、多くの人に喜んでもらえる製品を生み出す。これによろこびを感じされる国民はあまりいないでしょう。
  だから、ものづくりを捨てることは“死”を意味するに等しく、死守しなければなりません。  








  そのためには、世界を驚かせるようなものを次から次へと繰り出していく必要があります。欧米人でも考え付くような電気自動車の域でとどまっていてはいけないのです。
  日本人の英知を結集すれば、もっともっと新しいもの、高度で複雑な技術の組み合わせで、他の追随を許さないものを生み出せると思います。
  ポテンシャルを眠らせておくのは惜しすぎます。「これはすごい」「日本人にしかつくれない」ものを生み出せるのに、それをしないのは、日本にとっても世界にとっても不幸です。






  来年になれば、金融恐慌が本格化し、世界を取り巻く情勢は一変していることでしょう。だから自動車に対する考え方も大きく変わるはずです。
  自動車メーカー各社も未曾有の苦境に陥ることが必至ですが、そこから這い上がることができるか? そして苦しみもがき続ける中でで何が生み出されるのか?
  2年後にまたモーターショーが開かれるのか、それすら分かりませんが、新しい境地が切り開かれていることに期待したいと思います。