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これからの経済

  楽して稼ごう、労力を少なくして大きな成果を得ようと、あらゆる人が努力を重ねた結果、世界的に過剰生産と価格下落が止まらず、ものがあふれるようになってしまいました。自動車にせよテレビにせよ、世界的にはまだまだ需要は伸びるし、それに合わせて生産も拡大しないといけないのですが、利益率はどんどん低下し、しかも競争のストレス、特許や欠陥商品など訴訟リスクなどにさらされ、製造業は割に合わない商売になりつつあります。
  何より、かつては人海戦術でものづくりをしていたのが、生産の効率化が進み、どんどん雇う人数が減っており、工場は“無人化”(さすがにこれは極端なのですが)する方向に進んでいます。モノが動けば雇用が生まれ、さらにそれがモノに対する需要を呼ぶという、波及効果があると考えられているのですが、今では、かつてほどの大きな効果は見込めなくなっています。
  製造業だけでなく、農業もそうで、「農地不足」だの「農業用水の枯渇」だの「人口爆発」などがクローズアップされ、飢餓の時代が来るみたいなことが叫ばれる割には、まだ深刻な事態には至っていません。もちろん地域によっては文字通り「手から口へ」のような深刻な状況にあることは事実ですが、少なくとも、先進国や中国を含め成長著しい新興国で、貧富や格差問題はあるにしても、全体を見渡して食料が極端に足りないという事態は起きていないし、むしろ飽食が続いています。
  警戒すべきは、自分たちの存在を暗に誇示するためにするために、やたらと食料不足、不安をあおりたてる輩がいることですね。金融資本への従属化や遺伝子操作で、農業をどんどん陳腐化させている連中です。味覚音痴で、食に対するセンスのない連中が世界の食料需給を握り、歪んだ状況をつくりだしているので、食料に対して過度に楽観することは禁物でしょう。
  ただ、全体的に農業、畜産についても、驚くべきスピードで効率化されており、そしてさらにその余地はありますし、水産業も日本が得意な分野ですが、養殖技術なんかは目を見張るものがあります。
  人間、持てるものは限られているし、まだまだ空腹を抱える人は多いですが、胃袋の容量にも限界があります。今はまだ人口が急速に増えている状況ですが、急速な経済発展により、ある時点でブレーキがかかることも考えられます。
  まだまだ中国、インドが高い経済成長を維持し、さらに中南米やアフリカも続こうかという状況で、世界的に右肩上がりの時代は今後10年、20年と続くことになりそうですが、単に工場を増やしたり、食料生産を増やしたりすることだけでは、生活水準を上げることにはなるでしょうが、広い範囲で豊かさを向上させたり、維持することにつなげるのは難しくなっています。
  単に工場を誘致するとか、土木工事で農地を整備し、農業生産を支援するという、従来の発想では立ちいかなくなりつつあります。
  大量生産、大量消費に応えることや、グローバル展開が、経済発展につながると考えられていましたが、必ずしも、それだけでは十分でないことがはっきりしつつあります。利益の出る事業には多くの企業が参入し、群がるので、すぐに利幅が薄くなってしまいます。しかもその薄い利幅を金融資本や、一部の企業エリートが吸い上げてしまうのですから、下々へ回るお金は減ってしまいます。何より企業や事業の寿命がどんどん短くなっています。
  どうしてもグローバル展開する企業とか、ハイテク企業に脚光が当たり、そうした企業に投資が集中したり、そうした企業を誘致することにばかり目線が行ってしまうのですが、考え直すべき時でしょうね。どんな立派な企業だって一瞬先は闇かもしれないのです。
  地味だけれども、根強いニーズがある分野とか、ユニークな技術、サービスで他の追随を許さないとか、丹念に追っていくと、意外な発見があります。大量生産、大量消費はいずれ飽和点に達するだろうし、そうなると、地域や個々人のきめ細かなニーズに合わせた経済活動、ビジネスが重要になってくるでしょう。
  日本をはじめ先進国はすでにその段階に達しているにもかかわらず、相変らず、利幅が薄くなる一方、リスクも大きくなりつつある「グローバル」にこだわりますが、もっと小さな範囲でのこだわりを大切にした方がいいでしょうね。
  ミクロのレベルで付加価値を探したり、あるいは高めたりして、売り出す方法を考えるのが、これからの時代の経済にマッチしているのではないでしょうか。

シンプルライフ

  ちょくちょくこのブログで書いていますが、年末以来、大掃除というか、本格的な身辺の整理を続けています。理想としては、いつでも夜逃げできる状態ですね。荷物はせいぜい軽トラック1台で間に合うくらい。欲を言えば旅行鞄(スーツケース)2、3個ですべてを収められればいいですね。まだまだ進むべき道は長いですが。
  私が所有している物の中で、一番、多くを占めるのは、本ですね。読書家というほどではないですが、本はよく読む方なので、1年で新たに増える分だけでもかなりの量になります。
  ただ、最近は、自分なりに様々なことが整理されているので、昔のように本を買いまくって手当たり次第に乱読するというスタイルはすっかり、鳴りを潜め、読みたいと思う本、読むべき本を厳選して読むようにしています。
  昔はリスペクトしていた人でも、今では、いろんなことが分かるようになり、読む価値がなくなったり、例えば立花隆さんとか、司馬遼太郎さんとか。その一方で、ごくまれではありますが、逆のケースもあります。
  かなりばっさり捨ててきましたが、それでも本は思い出が染みついていたり、「また、読みたくなるのではないか」なんて思ったりするので、完全には捨てきれないですね。昨年は持っていた本の4分の1くらい捨てましたが、さらに半分は捨てたいと思っています。
  ただ、司馬作品なんかは、じっくり読む価値はないし、今となっては、でたらめだと思っているのですが、逆に司馬史観の何が問題なのか、把握するために資料としてもっていたいなという思いもあります。単純に学生時代に感銘を受けた「竜馬が行く」「翔ぶが如く」「功名が辻」なんかは残しておきたいなという気がしますしね。巻数は多いですが、所詮は文庫本ですから、それほどかさばらない。
  こんな調子だから、本を減らしたくてもなかなか減らせませんね(笑)。いざとなれば本当に必要なごく一部を残して、捨てられるような体制にはしておこうと思っています。CDなんかも同様ですが、こちらはiPod(パソコン)に残っていればいいので、もう少し、バッサリ切っていこうと思っています。音楽は音が残っていれば何とかなりますからね。ちょっと前のCDなんかは捨ててもそんなに未練はありません。例えば、コブクロとか絢香さんとか中島美嘉さんとか(笑)。この辺は記憶装置の容量が大きくなったメリットを最大限に生かせますね。
  本とCDを減らせば、かなりすっきりするんですよね。あとは家電と家具、服ですが、家電などは、いざとなれば古道具屋に引き取ってもらうか、粗大ごみで捨てても未練はありませんし、家具も、本棚とソファーなどかさばりますが、そんなに値が張るものでもないので、その気になれば捨てられます。
  服に関しては、比較的金をかけていますが、高くてせいぜいスーツ上下で7~8万円すればいい方。一点豪華というよりは平均的に単価がやや高めのものを選んでいます。これに関しては年末にちょっと古い服で3年以上着ないような服は思い切って捨ててしまったので、かなり量は減りました。量を絞り、厳選しているので、まあ、こんなもんかなと。むしろ少ない方かも。
  先日も取り上げましたが、できるだけ、持っているものを減らし、身軽にしたいですし、土光敏夫さんの「最底辺に身を置いていれば何も怖くない」というのを実践したいと思っています。
  たまに、ラーメンを食べに行ったり、旅行や遠出をして食べ歩きをする以外は、日々の食事は、ご飯(あるいはパスタまたはパン)と、味噌汁、納豆、野菜に、近くのスーパーで売っている100円のツナ缶があれば十分だし、昨年の震災の時のようにスーパーから食料が消えても、2、3カ月は耐えられる体制になっています。
  日用品はダイエーで安く買えるものを調達し、あとは、パソコン1台あれば、トレードもブログの更新も用は足ります。スマホは欠かせないですが、ここは、災害時に役に立ちそうなので、ささやかなぜいたくです。
  これからも、もっともっと生活をシンプルにし、身軽にするとともに、感覚を研ぎ澄ませていきたいと思います。身の回りがすっきりすると、本当に気持ちがいいし、いろいろとインスピレーションが湧きます。

1年後

  昨年3月11日の東日本大震災から1年。地震と津波の威力に完膚なきまでに圧倒され、東京電力福島第1原発事故が起き、一時は、100キロ以上離れた東京にいても死を覚悟しましたが、何とか無事に生き延びられました。震災で亡くなられたり、負傷されたり、親族、友人、知人を亡くされたり、財産、職を失ったりと、被災地の方の心の傷は今なお深いでしょうし、安全地帯にいる身では想像もできませんが、少しでも笑顔を取り戻せるようになればと願います。
  あの震災をきっかけに何が変わったかを考えると、一般の人の防災に対する意識が高まったことや、自分の身は自分で守るという考え方が強くなった以外は、何も学ばなかったし、何も変わらなかったと言っていいと思います。
  政治が危機に対して無力で、何の役にも立たなかったことで、不安感を増幅させられたし、今考えても腹立たしい限りです。結局、政治家も官僚も未曾有の災害に対して右往左往するだけで、対策や方針の決定を米国に委ねる形になったことはかえすがえす痛恨でしたね。
  日本が国家として統治能力を失ってしまったことは、本当に背筋が凍る、ぞっとする出来事でした。結局、「トモダチ」というきれいな言葉に覆い隠され、米国の日本支配、搾取を強める結果になってしまいました。政治家や官僚はこのことに対してどう感じているのでしょうかね。何の痛痒も感じないほど、感覚がまひしてしまい、独立の気概など口にするのもやぼったいくらいになってしまっているのではないかと思います。
  近頃は往事の切れが失われ、“老害”も指摘される、石原慎太郎東京都知事ですが、震災の時の対応は迅速でしたね。都営地下鉄やバスが3月11日当日にいち早く復旧したのは、印象的でした。JRや私鉄が復旧に手間取り、その後も計画停電で計画通りに運転できないなど、もたついたのとは対照的でした。
  原発事故後、初めて東京にまとまった雨が降り、水道水の放射性物質の濃度が上がったときの対応も、今考えると的確でしたね。半減期の短いヨウ素が多く含まれていて、汚染が一過性であることを把握し、冷静に行動するよう求める一方、乳幼児を持つ家庭にはペットボトル水が配布されました。
  スーパーの棚から米、インスタント麺、牛乳、卵、飲料水が一斉に姿を消し、「食料難」となり、5月の連休明けまで影響が出ましたが、一部に不自由は残りつつも日常生活は維持されたことは不幸中の幸いですね。
  ただ、東京はたかだか震度5の揺れにすぎず、東日本のサプライチェーンや原発事故に伴う電力不足があったにせよ、あそこまで混乱し、大都市の脆弱さが露呈しました。阪神大震災のような都市直下型の地震が起きれば、もっとひどいパニックになることでしょう。防災体制の見直しが行われつつあるとはいっても、災害は常に私たちの想定を上回る最悪の事態を引き起こします。
  「トモダチ」とか「絆」とかきれいごとに目くらましをされますが、あんなものは、米国の日本支配(資産搾取)の巧妙なトリックと、マスコミの商売道具にすぎないし、冷徹に現実を直視し、有事の際に自分で何ができるのかということをもう一度、しっかり見直すべきでしょう。
  震災以後、米国は3度日本に為替介入をさせて10兆円余りを搾取するとともに、長期にわたる円高(ウォン安)状態を放置。さらには米軍普天間飛行場移設では、イラクやアフガニスタンの駐留縮小であぶれた海兵隊員の行き場を確保する目的や、カネをせしめるために、ヤクザのように執拗に不当な要求を突きつけるという、ふてぶてしさです。それに対して、日本政府はなすすべもなく要求をのみ込むのみでした。
  震災で日本人が立派な行動をしたかというと疑問点は多々あります。被災地の避難所では、いい歳した大人が、子どもの食料や衣服、毛布を略奪するということが横行したと聞くし、火事場泥棒やわいせつ事件などは当たり前に起こっていたようです。東京では被災地で飲料水が不足していることをよそに、スーパーでペットボトルの争奪戦が起きました。
  マスコミが現実を見ずに美談ばかりを仕立てただけのことで、大本営発表に終始したテレビ、新聞の罪は大きいでしょうね。なんだかんだ言っても、いざとなったらみんな、自分を守ることに汲々とし、周りのことなどお構いなしなのです。これは仕方のないことです。日本人だとかなんだとかは関係がない、せいぜい中国人よりえげつないかそうでないかというレベルにすぎません。東京直下で震災が起きたら、もっと醜いことになっているでしょうね。
  震災後、インテリぶった人が偉そうに文明論とか展開しますが、震災前後で何か変わったでしょうか? 人間の生活は何も変わるはずがありません。唯一、原発事故にビビって、萎縮してしまい、全国の原発が停止し、生産活動の縮小を余儀なくされたことでしょうか。本当にくだらないし、ばかばかしいことです。
  日本国内だけで右往左往しただけの話で、文明というなら、世界を変えるくらいの衝撃がほしいです。反原発派の勢いがちょっと増し、原発計画が遅れたぐらいの話で、あとは、自動車の部品生産が滞り、生産が減ったぐらいのこと。震災が世界に与えた影響は皆無と言っていいでしょう。それでも文明がどうのこうの強弁するのでしょうか。世界中のライフスタイルが一変するくらいでないと、文明云々を論じるなどおこがましい限りであり、日本人のスケールの小ささがうかがえます。
  震災を乗り越え、利用して、しぶとく生き延びるぐらいのしたたかさが必要です。だから、底値で買いたたいてボロもうけするぐらいの気概がないと(笑)。原発だってこれを教訓に、「絶対に壊れない」(あり得ないのですが)原発を世界に売り込むぐらいのたくましさが必要です。
  新聞、テレビは本気できれいごとを並べ立てているんでしょうかね? もちろん謙虚さは必要ですが、商売と割り切る部分もないと、日本は生き残れません。放射性物質の除染をめぐるナイーブな議論を見ていると、不安になってしまいます。利権の恩恵にあずかる土建屋さんなんかは、しっかり、ほくそ笑んでいることを期待していますがね。
  人生60年として、大震災を経験するのは、3~4回でしょうか? 成人した人なら少なくともあと1~2回は遭遇することになるでしょうかね。人間は馬鹿な動物で、とりわけ日本人は過去のことをすぐ忘れるし、未来についても想像力が働かないのでたちが悪いです。
  有事に必要以上にパニックにならないために、最善の策はきれいごとを捨てる去ることですかね。天変地異が起きても、生き延びてやろうと考えていれば、普段からの気構え、準備がほかの人とは違うはずです。また、日本の国全体でも、災害を防いで日常生活を守るというよりも、「災害を利用してやろう」的な発想もほしいですね。
  禍を転じて福となすくらいの考えが必要です。

警戒すべき点

  自分の国は自分たちで守る。自分たちの国の将来は自分たちで考える。私は当たり前のことだと思っていたのですが、どうも世間の認識は違うようです。というか、感覚がボケているとしか言いようがありません。
  この間、テレビをつけていたら、たまたま、日米安保だか日米関係だかについての解説みたいなことをやっていて、「米国は日本の利益を必ずしも守ってくれるわけではない」とのこと。「そんなこと当たり前だろ」と思わず突っ込んでしまいました。
  ただ、一般の人は「日米同盟」を結んでいるから、米国も日本の(最大限に)国益を考えてくれていると、考える人が多いんでしょうね。「トモダチ」作戦で、ころっとだまされるのもうなずける気がします。内閣府の世論調査では8割の人が米国に好感を持っているわけですから。
  身近な例で考えるとわかりやすいと思うのですが、他人がどんなに自分のことを親身になって思いやってくれているにしても、ありがた迷惑や的外れで役に立たないことの方が多いです。それがたとえ親兄弟のように親密な間柄であっても。だから、自分のことは可能な限り、自分で考える、自分でどうにかしないといけないのです。
  日経先物をはじめ、個人の立場でトレードに携わっている人は大体、このブログで“米国バッシング”(基本的には私はアンチ・アメリカの立場です)をしても、理解していただけますが、会社に飼われている(雇われている)、金融筋の皆さんは、米国に留学して洗脳された方も多いので、米国礼賛か、少なくとも盲従、米国に対してなんら疑いも持たない人の方が多いようです。
  個人だと防衛本能が強く働くので、自分で考えて行動する人が多いですが、組織で行動するとダメですね。すっかり、のみこまれてしまいます。金融市場に関わっていると、米国に支配されていて、それがいかにおかしなことであるか分かりそうなものですけどね。
  私なんかはトレードをしていて価格がコントロールされているのを如実に感じるので、個人的な恨み(笑)もありますし、学べば学ぶほど、知れば知るほど、米国がいかにいい加減で、尊大で、自分ではまじめに働かずに他人から搾取することしか考えていないか、よく分かります。若い頃、米国で過ごした経験則からも身をもって感じますしね。米国で生活したこと自体は本当に楽しかったし、貴重な経験でしたけど。
  日本人は必要以上に人をあてにしたり、信頼しすぎます。基本的にはみんな他人に対して、うそをつかないし誠実だからです。でも、日本を離れると必ずしもそうではありません。「人を見たら泥棒と思え」はまさに金言でしょうね。日本国内でもそうですが、自分が思ったとおりに他人が行動してくれるわけではありません。むしろ疑ってかかるくらいの方がいいでしょう。
  日本人のお人よしの性格が災いして、せっかく汗水たらして稼いだカネを米国に上納させられているシステムが厳然と存在するわけです。しかも購入した米国債は、円高で目減りさせられ、デフレ圧力になるわ、実質的に踏み倒されるわで、踏んだり蹴ったりです。
  米国は日本を支配することで大きな利益を上げた一方で、あまりにも従順すぎるので、勘違いしてしまいましたよね。イラク戦争では、太平洋戦争後の日本のように、占領政策がスムーズに行くと勝手に踏んでいたわけですが、泥沼化してしまいましたし、中国のしたたかさは大誤算だったでしょう。欧州も痛い目に遭い、一昨年のノーベル平和賞で嫌がらせをしました。
  個人と個人の関係で、信用してだまされたというのは、ドラマや映画のテーマになるくらいだから、仕方のない部分は思いますけど、国と国との関係はドライに割り切った方がいいでしょう。
  いずれ米国から中国に世界の中心が移ることが予想されますけど、当たり前のことですが、中国に対しても決して警戒を怠るべきではないですね。私自身、米国をさっさと崩壊させるのが先決だし、今の日本にとって諸悪の根源は米国で、中国が仕掛けてくる嫌がらせなどは、それと比べると取るに足らないので、安易な中国批判には与しませんが、油断してはならない相手だとの認識は持っています。
  何より、米国人は頭が悪いので、自分たちの欲望を隠しきれないまま、あれこれとヤクザのように要求してくるため、意図がわかりやすいですが、中国は老かいさを持っています。表面上何も起きないので安心してしまい、気付いたらいつの間にか中国の術中にはまり、逃れられなくなっていたということはあり得ると思います。
  それでも、今の日本の政治家や官僚、経済界は、そろいもそろって頭が悪そうなので、中国にのみ込まれてしまうんだろうな、とあきらめの感情はありますし、多くの国民もだまされてしまうのでしょうが、大きな真実に気付いている人は、個人の立場で、あらゆる状況から身を守り、困難なときも利益を確保する努力が必要です。

時間との闘い

  このところ金融市場を取り巻く緊張感がが緩んでいますが、世界情勢はまったく好転しておらず、あらためて、指摘しておきたいのは、「時間との闘い」であることを覚悟すべきだということです。
  日々、金融市場と対峙していると、どうしても細かい動きに一喜一憂してしまい、時間感覚を狂わせてしまいます。特に米国株が堅調なときは、「米国経済復活」「リーマン・ショックからの底打ち」「欧州金融危機に一筋の光」みたいな期待を抱いてしまいますが、中長期的には間違いなく欧米は没落する、ということです。
  ただ、没落するにしても、これまでに何度か経験したように金融市場の暴落で一気に堕ちていくのか、緩やかに衰退し、気づいたら中国が世界のトップになっていたみたいな形になるのかは分からない面があります。実際その時になってみないと分からないというのが正直なところです。
  内外の多くの識者、ジャーナリストが指摘するように、金融緩和だのなんだのやって、「時間を買っている」ような状況です。まだ時間を買える余裕がありますが、いずれ行き詰ることでしょう。どこでその兆候が表れるか注視する必要があります。
  まだ、大統領選までは半年以上ありますが、一時期、米国経済がどうしようもない状況に陥って、オバマ大統領が失脚するとの観測もあり、私自身、その可能性が高いとみていましたが、どうやら、そういう事態にはならない可能性があります。代わりに、クリントン対バイデンという水面下の暗闘が激化するのでしょう。オバマ大統領は辞任しないにしても、実質的にはもはや権力はないし、すでに操り人形状態です。だから失脚しているに等しく、予想は当たっているといっていいと思います。
  昨年夏、米国の財政問題がマーケットから注目され、金融市場に緊張が走って以降、これまでの動きを見る限り、手を変え品を変えていろいろと、小手先の対策を打ち、マーケットも迎合するので、簡単には暴落しないような形になりつつあります。
  短期売買をするトレーダーにとっては、ストレスがたまるし、短気を起こしかねませんが、ひたすら我慢して、動くときに乗るしかないですね。基本的には、長丁場であると覚悟しておいた方がいいでしょう。欧米の連中は、ろくに仕事もせずに一発逆転のようなことしか考えず、虫けらのような連中ですが、一寸の虫にも五分の魂、生存本能を発揮し、悪あがきをしている最中です。
  第2次世界大戦だって、ドイツがポーランドに侵攻し、日本が真珠湾を攻撃してから、決着がつくまで3年、4年という年月がかかっているのです。世界を支配してきた欧米から、新興国に主導権が移るという、500年に一度の歴史的瞬間、あるいは世界最終戦争(戦闘などは見えない形の)とも言えると思うのですが、勝敗がつくまでそれなりに時間がかかるとみていいでしょう。特に勝ち組でメーンプレーヤーである中国は、老獪であり、あわてて事を起こすよりは、機が熟すのをじっくり待っています。
  欧州と米国を合せて、範囲をどう設定するかにもよりますが、人口は5億とか、6億くらいでしょうか? 人口60億人のこの世界では少数派にもかかわらず、大してリスペクトされることもしないのに、偉そうに君臨してふんぞり返っているのです。
  豊かさを求めて、懸命に努力し、働いている人たちが中国、インドにそれぞれ10億人超、さらに中南米、アフリカなんかも続いています。ルワンダとかコロンビアとか、ついこの間まで内戦が続き、国土は荒廃し、どうしようもないと思われていた国々が目覚ましい発展を遂げています。
  新興国の人々の所得は、驚くべき勢いで伸びており、欧米の経済的な優位は明らかに崩れつつあります。それでもなお、金融ばくちと不動産ころがしだけで成り立っていて、何の新しい価値も生み出せない欧米が世界をリードできると考える根拠は何でしょうか? 局所的にはすぐれたビジネスモデルやアイデアが散見されるのは認めますが。
  とにかく、どっしりと腰を落ち着けて、世界情勢を分析しながら、過ごしていかないと、短期的に発生する、小さな渦に巻き込まれて、おぼれてしまいます。
  その一方で、個人レベルではやはり、あらゆる事態を想定して、準備しておかなければなりません。矛盾するようですが、いつ何が起きても迅速かつ的確に対応できる体制を築いておく必要があります。
  そういう意味では、昨年の東日本大震災はいい教訓になりました。私自身、有事に備えて、震災前から水とか必要な食料、手元の現金、常備薬など手厚く準備してきたつもりでしたが、いざ、未知の事態に直面すると、やはり右往左往してしまいましたからね。
  一般の人よりは、悠然と構えることができたし、米、麺類は2~3カ月分、ペットボトルの水なんかは50本ぐらい持っていたので、全然困りませんでしたが、それでも牛乳、卵とか生鮮食料品は備蓄できないし、スーパーから一斉に姿を消した時は恐怖でした。
  金融危機や派生して経済パニックになると、最悪の場合、金融や物流が震災の時以上に乱れることも予想されるので、さらにひどい状況を想定しておく必要がありますが、これも万全な準備というのは難しいでしょうね。でもやるべきことはやらなければなりません。
  あとは、財産の保全と、ショートでぼろ儲けする準備(笑)です。これに関しても、何があるかわからないので、それなりの心づもりはしておく必要があります。預金封鎖とか、金融商品の取引中止、利益の引き出し制限みたいなこともあるでしょうからね。単純に浮かれることはできません。
  このところ何度も強調していますが、身軽にしておくのが一番ですね。いざとなったら、大胆に動けるよう、持っている物はなるべく必要最小限に減らしておくべきだし、仕事や人間関係など身の回りの状況をしっかり把握し、シンプルにしておくべきだと思います。そうしておけば自分が持っているもの、足りないもの、長所、短所がはっきりと見え、次の行動がしやすくなるはずです。
  とにかく、大きな流れでは、長期戦に備えてどっしりと構えるべきだし、短期的には一日も早く、身辺の整理をして、いつ何が起きようと、あらゆる事態に対応できるよう、二段構えで準備しておくべきでしょうね。