タグ別アーカイブ: 評論

共通の価値観を

  いつ、どういうきっかけでそうなるかは見通せませんが、欧米が没落し、代わりに中国がプレゼンスを増し、世界の中心となることは間違いないでしょう。英国、米国が覇権を握った時代と比べると、中国の世界帝国としての力は弱いし、「遅れて誕生した大国」である歴史は消し去ることはできないので、欧米や日本のような、“かつての”先進国、あるいは韓国あたりなんかも、中国をみくびっている部分があるので、覇権をふりかざしても、簡単にはなびかないこともあるでしょう。
  とはいえ、偉そうにいばりくさり、勝手なルールで世界を動かしていた欧米人が力を失うわけですから、相対的に欧米以外では最も抜きんでた中国が台頭するのは必然であり、その中国が動かなければ、世界は回らないでしょうから、弱かろうと見くびられようと世界の中心は中心なのです。
  モンゴル帝国が衰退して以来、久しぶりに中国の時代がくるわけですが、覇権を握ったとして、どういうふうに世界を動かしていくのか、ビジョンは全く見えません。というよりは中国という国自体が、まだ“国のかたち”を確立し切れていませんね。
  中国の故事で、私の印象に残っているものの一つに十八史略の「鼓腹撃壌」があります。直訳すれば腹鼓を打って、地面を踏み鳴らし、太平の世の中を謳歌するという意味で、為政者に対して、民衆に幅広く恩恵をもたらすような政治を行うべきですよと戒めるものです。
  中国では善政とは、すみずみまで衣食住が行きわたることだと考えられており、中国文明の影響を受けた日本でも、古くから天皇が民の竈の煙が立つ様子を観察したとあるように、民衆の生活を第一にすべきだと考えられてきました。
  ただ、歴史的にみて、実際に中国で、どこまでその善政が実践されたかは疑問ですし、つい最近までの中国を考えると、全体的に貧しく、にもかかわらず、富、権力が偏在し、非常にいびつで、醜い状況があったわけですが、善政とはこういうものだという古くからの価値基準がある分、それを追求する民衆の思いというのは強いでしょうね。
  まじめで、比較的清廉潔白な現在の胡錦濤政権が掲げる「和諧」とは、こういうものに通じると考えられます。もちろん、繰り返しますが、経済的に裕福にはなったものの、いまなお、いろんな矛盾があるのですが。
  こういう価値観を中国の人が重んじるのであれば、日本や、周辺の国は中国とうまくやっていけるのではないかと思っています。
  世の中きれいごとだけでは済まないので、東シナ海や南シナ海、韓国近海で起きているような、領土や領海、資源権益をめぐって小競り合いのようなことは今後も起きるし、そのたびに、お互いの感情が刺激されることもあるでしょう。
  バブル期の日本人がそうだったように、経済的に強くなると、自信過剰になるので、各地で金の力を振りかざして傍若無人な振る舞いを行い、反感を買うことも少なくありません。それは中国人に限らず、人間の業のようなものですよね。
  ただ、アジアの歴史は長く、歴史によって培われてきた、いろんな知恵はあるわけです。そういう知恵を再発掘し、お互いに共有していける方向にするのは大事ですね。
  日本は明治維新以降、欧米の政治経済システムを取り入れ、第2次世界大戦で敗戦してからは完全に米国の軍門に下り、どんどん価値観を押し付けられてきたわけですが、その結果、何が残ったでしょうか? 何かいいことがあったでしょうか?
  結局、グローバル・スタンダードという得体のしれない言葉に基に、米国に隷属させられ、搾取されただけだし、日本が正論を主張して、率先して国際ルールづくりのためにリーダーシップを発揮しようとしても、黙殺されたり、つぶされたりしました。欧州も含めて、人種差別意識が根強く、自分たちの核心的な利益に触れる場面では、醜い本性があらわになるのです。
  結局、脱亜入欧で、日本は欧米に近づいたわけなのですが、欧米と価値観を共有できず、一方的に不利な条件を押し付けられただけだったのです。
  そもそも、欧米の価値観ってそんなに優れていますかね。というか、そもそも、私たちにとって、その価値観は分かりにくいです。要は、「神との契約」に基づいて、一人一人が勝手に権利を主張し、利害がぶつかる場面では力関係がものを言うというただそれだけのことではないでしょうか。
  民主主義という素晴らしい(と思い込まされている)システムも、結局はゆがめられ、強い人間や権力をもつ物が好き勝手にできるルールに変わり果てています。
  それで欧米の人たちが幸せかというとそうでもなく、このところ、強いものが弱いものから搾取、略奪するという傾向がますます強まって、下々の人たちは、もはやついて行けなくなっています。
  そういう意味で、もはや欧米からは何も学ぶべきことはなく、むしろ反面教師ですよね。欧米の価値観というのは野蛮で害毒ではありません。
  中国の為政者が最も心を配るのは、民衆を飢えさせることです。多くの人が困窮し、暴動が起き、政治、経済、社会が不安定化するのを最も恐れています。だから、末端にまで、最低限の衣食住を保障しようという発想が根底にはあるのです。
  残念ながら、実践はできたとはいえず、だからこそ、日本は天智天皇の時代に政治、経済、社会が常に混乱している中国から独立し、自立することを選び、今日に至ります。だから今でも、中国に対する対抗意識というか、自立を求める意識が強く、ともすれば偏狭なナショナリズムになってしまうのです。
  いろいろと問題はあるのですが、民衆を幸せにしたいという発想が根底にあるという点では、欧米とは大きく違いますね。
  欧米は一部の利権集団が自らの利益をむさぼるためだけの存在になっていますが、中国には、貧富の差を是正し、社会を安定させようという発想があり、そこは私たちにとって歓迎すべき点だし、日本が貢献できることは多いでしょう。
  尖閣諸島の購入など、わざわざ寝た子を起こしてまで、今、優先順位の低い問題をつついてどうしようというのか? 気持ちは分からなくはないですが、政治、経済、軍事で、日本など足元にも及ばないのに、まともに対峙して勝算はあるんでしょうかね? 領土問題でまともにやり合ったら、最後は国力がものを言うでしょうから、日本は負けるでしょうね。
  むしろ、中国をさらに内部に目を向けさせ、「福祉国家」にした方が、領土問題で無用な対立を防げるし、中長期で、双方にとってメリットではないでしょうか。
  民衆を洗脳し、害毒を流し、支配しようとする、恐ろしい考えをもった巨大企業を野放しにし、その利益を代弁するエージェントに成り下がった欧米と、民衆の暮らし向きに神経をとがらせる中国と、価値観を共有できるのはどちらでしょうかね。自明だと思いますが。

苦労は買ってでも・・・

  2月から3月にかけて上昇局面があり、それなりに相場の動きに乗れたので、「こういうのもありかな」と思ったものですが、日経先物、ドル・円ともに、ピークをつけた後の動きがすっきりせず、上がるのか下がるのかよく分からないままずるずると推移していまいました。
  冷静に考えたら、政策介入という、カンフル剤(あるいは麻薬?モルヒネ?)を打って、一時的に元気になったにすぎないので、薬が切れたら、元の木阿弥ということなのですが、リーマン・ショック以降、一貫して下落トレンドを続けていたことや、景気循環というファンダメンタルや、テクニカル的なものもあって、上昇局面がすぐに終わってしまうのか、それとも半年、1年のレンジで続くのか、見極めがつきませんでした。
  まだ、相場を支える手が残っているのか、そろそろ手詰まりになりつつあるのか、判断がつきかね、何が飛び出してくるのかさっぱり見当がつかないのですが、基本的には、今後、上昇局面が過度な期待はしない方がいいでしょう。
  タイムスケジュール的なことは見通せませんけど、欧米の国家群が連鎖破綻あるいは危機的状況に陥り、次の大きな金融恐慌が起きるということだけは、あらためて覚悟しておいた方がよさそうです。
  相場に関わっていると、しかも上昇相場に出くわすと、どうしても、気分が浮き立ってしまい、2月、3月には「こういう相場状況が続くのなら、しばらく今のままでもいいな」とさえ思いましたが、世の中そんなには甘くありませんね。すぐに現実に引き戻されてしまいます。
  不自然な状態というのは長く続くべきではなく、やはり、どこかの状態で自然な状態に戻るべきなのです。だから、一日も早く、金融恐慌が来て、現在の世界経済の矛盾を噴出させた方が良い。そして、新しい枠組みで経済を建て直すべきでしょう。
  今の日本を取り巻く状況を考えても、早いうちに恐慌が来て、目を覚ました方がいいでしょうね。米国は中途半端に期待を持たせますが、いよいよ切羽詰まって、あれやこれや無理難題を突きつけ、自分たちが延命するために日本から搾り取れるものは搾り取ってしまおうという腹づもりのようです。
  日本の政治は、米国にだまされていることに気付かず、唯々諾々と米国の言うがままに従うだけになってしまったので、次の金融恐慌に至るまでの時間が長引けば長引くほど、搾取される規模が大きくなり、日本のダメージは大きくなります。
  消費税増税やTPP参加問題が前に進まず、米国はいらだちを強めているようですが、そんなものは、どんどん先延ばしにすればいい。どちらも米国が財務官僚を操って、米国債を買う金を捻出させたり、粗暴な米国企業を日本でのさばらさせるための仕組みづくりをしようというだけの話です。
  だらだらとやっているうちに、米国が国家破綻し、消費税増税どころではなくなった、TPPそのものをやる理由がなくなった、ということになればそれでいいのではないでしょうか。
  どちらも、国民は望んでいないにもかかわらず、大きな反対運動にはつながりませんし、理路整然と何が間違っているかを指摘する政治家、指揮者もいませんが、多くの人はうすうす「何かがおかしい」と思っているのです。それが現在の政治不信につながっているわけだし、さすがに米国も財務官僚も民意を無視してまで、強行するわけにはいかないでしょう。(とはいえ、米国はかなり切羽詰まっているので、今までにない勢いでごり押しし、財務官僚も政治家も抵抗できないような状況ですが)
  どうせならとにかく、早い目に恐慌が訪れ、苦難に見舞われた方が、結果としては、搾取されるものが少なくなる分、日本にとって“得”だといえるし、本当に危機に陥ったときの日本人の団結力や底力が試されるし、意外な実力が発揮されるのではないでしょうか。日本はこれまでいろんな困難を経験しましたが、それなりに克服しているのです。諸外国だったら、どう対処していたか、腐ってしまったであろう事も乗り越えています。
  実際に危機になってみないと、なかなか行動できないでしょうけど、今のうちに想像力を働かせて、やれることだけやっておいた方が良いと思います。体を動かしているうちに、あれこれと何をすべきか思い浮かぶことも多いだろうし、たとえ、無駄足に終わっても、ウオーミングアップしておけば、いざというときの初動がスムーズに運ぶことでしょう。
  ただ、恐慌に備えていろいろと準備するにしても、苦難が待ち構えているわけですから、気が進まないことも少なからずあるでしょうね。それでも、次の時代のために未来を切り開いておくという気構えでいれば、将来のための先行投資ととらえることはできるのではないでしょうか。苦労は買ってでもしろということです。

難局

  一寸先は闇。金融市場をみていると常々実感させられます。いまだにテクニカル云々、しつこく言い立てる人がいますが、もちろんその要素はあるにしても、今までの常識が通用しない難局です。半年、1年前くらいからその傾向が強まっています。
  先日も書きましたけど、金融市場というのは(商品なんかもそうでしょうが)、そのときの情勢に合わせて好材料、悪材料を織り込みながら上下するものです。
  不思議なことに、最近の金融市場は「下落局面」がありません。正確に言うと、下落するにはするのですが、落としどころが見えないのです。だから、「(テクニカル的な)調整」とか「経済の好不況のサイクル」とは別次元の動きで下がるのです。
  要するに、自然な形で値が下がることはなく、厳密に言うと、自然な価格形成メカニズムにまかせると、価値がないことが露呈するので、本当は下げるところまで下げるべきなのに、自然な相場の動きに無理やり逆らっているから、こういうことになるのです。
  具体的な例を考えてみると、何の価値もない荒れ地に1億円の価値を付け、それを下がらないようにするにはどうすればいいか? 土地を取引する人に無理やりにでもお金を与えて、値が下がるのを防ぎ、価値があるかのように振る舞うしかありません。元々価値がないものですから、1億円の値が付いても積極的に買おうという人はおらず、実質的には塩漬けになってしまうのです。
  欧米の国債、通貨、金融資産、不動産が今まさにこの状態です。価値がないことが露見してしまうと、パニック売りになってしまうので、金融緩和でじゃぶじゃぶとお金を印刷して、大手金融機関に投入し、これらを買い支えさせることで、かろうじて延命しています。
  どんなに劣悪な環境であろうとも豊かさを目指していちずに働く中国人をはじめ新興国の人々や、米国の威を借りながらも工業製品で世界を席巻しようとする韓国人、台湾人、円高や不当な要求を受けいじめられながらも高い品質とサービス精神で新しい価値を生み出そうとする日本人と、まともに競争をして、頭が悪く、怠惰な欧米人が勝てるはずがありません。
  すでに30、40年前からその兆候があったのですが、うやむやにしたまま、あるいは日本に国債を買わせたり、円高にしたり、アジアに通貨危機を起こしたり、いろいろと手を尽くして、あの手この手で、欧米が世界の主導権を維持しようとしてきましたが、所詮はインチキであり、たどりついたのが金融ばくちと不動産ころがしでした。
  結局、そんなもので欧米の実体経済が強くなり、競争力が高まり、世界をリードするわけもなく、現在は、金を印刷して投入することで、経済がうまくいっているように粉飾するという、いわば「最終手段」に出ているわけです。
  問題は、最終手段がいつまで続くかということ。こればかりは皆目検討がつきません。昨年秋以来、米国の経済指標などは比較的安定していたのですが、不動産価格の低迷は一貫して続いており、雇用情勢も年初来好転しつつあるとはいえ、リーマン・ショック後の落ち込みをカバーできる水準ではありません。
  あれだけ巨額の金融緩和をした割には、効果は長続きせず、麻薬が切れたら、また麻薬に手を出すという悪循環に陥りつつあります。
  最近の動きを考えると、米国で金融緩和観測が高まると、円高、日本株安が進行、そこで為替介入あるいは追加緩和が入り、円安、株高に触れるというパターンが定着しています。
  政策介入がちらつくので、なかなか、積極的に売りにくく、下がりにくい局面が続きますが、どこかで売り込まれる場面があり、底割れしそうなところで何らかの動きが出てくるというのが今後もあり得るシナリオでしょう。
  一昨年来、断続的に行われている為替介入では、介入効果はだいたい3カ月で(早ければ1、2カ月)で切れるのが一般的です。何ら本質的な部分は変わっていないのですから政策介入の効果もそれと似たような経路をたどるのではないでしょうか。
  前回2月14日の金融緩和発表からすでに3カ月超。そろそろクスリが切れてくるころでしょうね。米国株も異常な高値を維持してきましたが、日本や欧州の金融緩和に支えられており、いつまでも長続きしないでしょう。ドルがもたついているとすぐに売りを浴びせられるところを見ても、米国経済の脆弱性は明らかです。
  欧米の経済が崩壊するのは仕方のないことで、それを支えること自体が自然の流れに逆らうことにほかならず、為替介入や金融緩和は無意味だし、国富を流出させる愚行だと思いますが、米国の指示には逆らえないのがこの国の指導者たちですから、これからも何度となく、応じる羽目になることでしょう。
  欧米を延命させることは、自らの身を痛めつけるに等しく、そういう意味でも難局が続くわけですが、安易にショートに走るわけにもいかず、何らかの介入が入るのを見越してロング、あるいは勇気があれば、伸びきったところでショートくらいしか、今のところ乗り切る方法は見当たりません。それか、静観を決め込むか。
  これが続くと、日本経済も疲弊するので、一日も早い欧米の没落を望みますが、こればかりは欧米がギブアップするまでどうしようもありません。この難局がしばらく続くことを見越して、ほどほどにお付き合いするしかないですね。

新しい価値観

  最近の若い人の特徴は、既成の価値観にとらわれないということですね。いつの時代も、若者というと型破りなイメージを持たれるようですが、今の30代以上の世代を見てくださいよ。いかに周りに合わせたり、流行に敏感と言いつつも盲従しているだけであったり、空気を読むことだけに汲々としたりしていることか。
  若い世代は人から押し付けられたり、半ば命令されたりして、何かをさせられることに拒否感を示しますよね。「上から目線」に敏感で、忌み嫌うのは、日本人全体にそういう雰囲気がありますが、特に若者に顕著な傾向です。
  だから、貧乏から這い上がろうという、ハングリー精神には欠けるし、積極性がないとみられがちだし、実際にそういう面もあるのですが、実は自分がやりたいこと、こだわりたいことに対しては一途だったりします。
  個人主義で個性的だと言われる欧米人が、一皮むけば、そのように思い込まされているだけで、実は選択肢が限られていて、政治権力に完璧に支配されていたり、巨大金融資本の意のままに操られているのとは対照的で、日本人は案外自由を謳歌しているし、若者はもっともっと自由に生きています。
  ビートたけしさんだったと思いますが、ファッションなんかが象徴的ですよね。色彩とかスタイルとか、何となく流行感というのはあるんだけれども、最近の若い人は、あまり大きな流れに身をゆだねることもなく、自分の好きな、自分に合ったスタイルを楽しんでいると指摘されています。
  経済、社会が変わったのも大きいですよね。以前のように大勢の人を雇って、大量生産、サービス供給をする時代でもなくなりましたからね。今もその名残は残っているものの、大学を出て、官公庁やメガバンク、保険会社、証券会社、商事会社、流通業、メーカー、マスメディア・・・などなどへこぞって就職する時代でもありません。
  もちろん、いまなお、そういうスタイルが主流だし、正社員になって安定を求める人が殺到して、競争率は高止まりのままなのですが、果たして、そうして社会に出てこれからの時代幸せなのかどうか? 
  公務員の高い給与に対する目線は厳しくなる一方だし、金融機関は皆さんご存知の通り、国債を売買したり、手堅い住宅ローンや、せこく手数料収入を得るぐらいのしょぼいビジネスしかできません。商社はちょっと面白いですが、自分のやりたいことが組織の中でできるのかどうか? 流通も将来性はありますね。ただ、給与水準は決して高くないですし、メーカーに関しては、パナソニック、東芝は10年後素材しているでしょうか? 今は横綱のトヨタ自動車にしてもしかり。マスメディアほか国内ビジネスが中心の業界は安定はしていても、発展性は感じられませんね。
  何より、若者自身が運よく、あるいは実力で正社員の座を射止めたとしても、すぐにやめてしまうということです。就職戦線で勝つ=自分に合った仕事ができるという構図は、当たり前のことですが成立せず、そのことに早く気付かないと不幸な結果になることもあります。オーバー30の私たちの世代は身に染みて感じています。
  だから、これからの時代、自らの才能、資質、フィーリング、運、めぐり合い、本当にやりたいこと、情熱を傾けられることなどなど、それぞれにフィットする仕事、ライフワークを見つけることが大切です。そういう状況が定着すれば、日本は個々人が自分自身を表現し、能力を発揮することできる、なかなか面白い国になるのではないでしょうか。いかに金を稼ぐかが尺度でしかない、欧米、中国、韓国なんかとは一線を画すことになるでしょう。
  これからの時代は、他人がどう思うかよりも、自分自身に対して正直であり、何がしたいのか、何ができるのか、どういうことを形にしたいのかを追求するのが当たり前になるでしょうね。
  あるテレビ番組で高級神戸牛とオージービーフを食べ比べ、どちらが神戸牛かを当てる企画をやっていましたが、ほとんどの人はオージービーフを選んでいました。本当に神戸牛はおいしいのでしょうか?
  私も以前、神戸で高級ステーキ店に入り、神戸牛のフルコースを食べたことがありますが、正直、おいしいとは思えませんでした。脂身が多く、脂の味ばかりがして、肉本来の旨みが感じられなかったんですよね。だから、肉らしい味がするオージービーフの方がおいしいというのは理解できる気がします。
  世間ではもちろん神戸牛の方が価格が高いし、ありがたがられるのですが、本当に価値のあるものなのか? 疑ってみる必要があります。オージービーフがおいしいと感じる方が正しいのかもしれないのです。
  正月に家族が集まった時、私の3歳の姪は、お節料理が口に合わず、祖父(私の父)から叱られていましたが、それだって同じですよね。子供の感性の方が正直で、正しいかもしれない。お節料理をありがたがるのは、世間ずれした大人の感性でしかありません。本当においしいのかどうかは分かりません。
  もちろん、お節料理をつくるためにいろいろな人が手をかけており、心がこもっているには違いないし、日本の伝統を感じることができる数少なくなった機会でもあるのですが、それでも、善意や歴史、伝統だけでは窮屈すぎる面もあり、楽しんだり、気軽に味わえる要素も欲しいものです。せっかくの正月なのですから。人を束縛し過ぎる伝統がいつまで続くかも疑問です。
  昔と違って、知恵を出し合えば楽しく生きられる時代をつくることはできるのですから、古臭い型にはまらず、自由な感性、感覚をもっともっと発揮すればいいと思います。
  ただ、中には際立ったものを持ち合わせていなかったり、人から言われたとおりにやる方が得意という人もいます。そういう人は、伝統的なやり方、スタイルが合っているでしょうね。一定の割合でいるはずです。
  また、すべての人が個性的すぎるというのもあり得ないと思います。平凡なもの、定番のスタイルがあってこそ、個性が目立つわけで、個性、個性と言われると逆に、多くの人と同じような行動を求めるという反動も起きることでしょう。それもまた人間の性質です。
  ゆとり教育の弊害がいわれますが、礼儀であるとかしつけ、読解力、会話力、文章力、計算力など最低限の能力を身に付けるひつようもあるでしょうね。能力がある人は型破りでもいいですが、そうでない人は、せめて読み書きそろばん、礼節ぐらいはしっかりしていないと今も昔もこれからも暮らしていけません。
  とはいえ、グローバリゼーションが進み、いろんな意味で世界は均質化が進む一方で、さらに豊かさを目指すには個々人の豊かな才能を発揮させ、いろんな面に、今までにはない発想や知恵を行き届かせることが必要なります。そのためにはやはり個性、感性、才能を伸ばす環境が必要ですね。

管理社会

  最初におことわりしておきます。熱心にコメントをいただいたりして恐縮なのですが、陰謀論の人たちについては、社会では適応できず、単なる引きこもり志向のダメ人間だと判断しているので、まともに相手にするつもりはないし、このブログに来ていただいても何も期待に応えられませんので、その辺をご理解ください。基本的にはブロックする方向ですので、そのつもりで。
  陰謀論者の人たちはよく、近い将来、全人類が一部の人間によって奴隷のように支配される、みたいなことを言っています。リーマン・ショック後の世界を見ると、たしかに政府が駄目な金融機関や自動車メーカーを救済したり、追加金融緩和で機能不全の金融市場を支えたり、死に体の破綻国家を一応生きていることにしたりと、民間経済に介入する度合いが強まっており、統制経済化しつつあることは事実です。
  国内でも米国に貢いだり、その意を受けた財務官僚の支配を強化するために納税者番号制度の導入や、消費税増税の議論が進んだり、すべての所得を捕捉するための管理システムの導入が取りざたされていて、搾取体制が強化されようとしています。
  さらには“改革”の旗手と目されていた橋下徹大阪市長がベーシック・インカム導入なんておかしなことを言い出したりして、全くもって憂慮すべき事態だと思います。政府やそれを支える一部の大企業に飼いならされるシステムが強化されつつありますね。
  ただ、その半面、諸外国に比べて、日本はかなり隅々まで管理が行き届いているので、これ以上、管理が強化されたとしても、どうってことはないのかな、という気もしています。
  日本は国土が狭いことや、ほぼ単一民族に近い形で、貧富の差が小さく、四方が海に囲まれていて、外から人やモノ、カネの入出国の管理がしやすいことから管理社会に適した環境といえます。最近になってようやく過疎とか限界集落みたいな問題がクローズアップされますが、歴史的に狭い国土に人が密集しているので、人の目が届きやすく、“共存の知恵”として、出る杭は打つというか、他人より抜きん出たり、抜きんでられることを好まない土壌があります。やたら横並びを気にするとか過剰な平等思想がそれですよね。
  だから、他国と比べると、現時点でもすでに驚くほどのハイレベルな管理社会が実現されているのです。毎度、米国では大統領選のたびに、選挙人名簿の管理が行き届かず、投票ができなかった人(貧民、移民、ホームレス、犯罪者などいわゆる底辺の人たち)出てきて、問題になりますが、日本だと不法移民が少なく、ほぼ100%戸籍、住民登録で管理されている(もちろん東京や大阪などの都市部に例外も存在することは承知しています)ので、そういう問題は起きにくいです。
  「先進国」とひとくくりにされますが、千差万別で、米国なんかは、都市部のダウンタウンや金持ちが暮らす地域以外は、実質的には発展途上国と大して変わりなく、きちんと住民が管理されていないので、実質的に無法状態となっています。銃社会をやめられないのも、その辺に一因があります。
  ほかの国も同様。米国ほどひどくはないにしても、管理が行き届いている部分とそうでない部分を抱えていて、その落差は軽視できない状況です。
  インフラなんかもそうですよね。日本の上下水道の管理技術のレベルの高さは、よく言われますが、一時期とても飲めなかった東京や大阪の水道水でさえ、海外ならミネラルウォーターに匹敵する品質だし、漏水率が局案に低く、下水処理も完璧です。東京電力が増長するのであまり触れたくはないのですが、日本の発送電の技術は他の追随を許しません。鉄道は時間に性格ですしね。
  ビジネスでも、日本人は決定は遅くても約束を守ります。中国の台頭で、日本企業の存在感は逆に高まっています。銀行は送金、入金が完璧で、ささいなミスも見逃さないし(たまにえげつないミスもあるし、米国には唯々諾々と大金を貢ぐのですが)、ユーロ圏では現在、信用不安でクレジットカードがまともに使える状況ではなく、唯一JCBのみがスムーズに決済できる状況です。
  これだけ世の中の管理が行き届いていて、さらに納税者に番号をつけて管理しようというのですから、息苦しいことこの上ないですが、すでに住民基本台帳などでそれに似たシステムはできているので、導入されても、影響はたかが知れているのではないかという気もしています。
  ただ、日本はこれ以上管理しすぎると、活力がさらに失われてしまうだろうから、むしろ本当に役に立つ規制緩和など、緩める部分もあった方がいいですね。
  逆に欧米は、他人に理不尽な要求をしておきながら、自己管理能力の欠如で自滅はおろか、他人にも多大な迷惑を掛けているので、もっともっと管理した方がいい。世界的に考えて、管理社会というのは欧米が日本の水準に近づくということであって、むしろ彼らにはそれが必要な面もあるということです。
  国家や支配者は常に国民を監視し、隙あれば搾取することしか考えない人たちなので、管理強化の動きは警戒すべきなのですが、陰謀論の人が考えている漠然とした不安ではなく、もう少し吟味した方がいいでしょうね。