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書評「中国モノマネ工場―世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃」

中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃
中国モノマネ工場――世界ブランドを揺さぶる「山寨革命」の衝撃
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  正月三が日に読書でもとお考えの方に、「中国モノマネ工場―世界ブランドを揺さぶる『山寨革命』の衝撃」(阿甘著、日経BP社1980円)の一読をお勧めします。今や名実共に「世界の工場」の地位に上り詰めた中国のバイタリティーが迫力満点で伝わってくる内容で、今後の日本の製造業の在り方を考える上で、貴重な資料になる一冊です。
  タイトルは「モノマネ工場」と、日本人にとっては(おそらく韓国人や欧米人にとっても)、やや挑発的なのですが、読み進めていくと、ブランドにあぐらをかいて大きな利ざやを稼ごうとする大企業に対して、安くて高機能な製品をスピーディーに製造し、果敢に巨大な壁に立ち向かう、たくましい零細企業(山寨企業)という構図で描かれ、筆者の思いと同様、“モノマネ”をする側をつい応援してしまいたくなってしまいます。
  この本を読むと、モノマネを通じて、中国の“町工場”が市場のニーズに敏感で、しかも着実に技術力、生産能力をつけていることがよく分かります。
  戦後の日本がたどった道と重なる部分が大きく、中国のものづくりが、一過性のブームではなく、裾野の広い集積になりつつあるということが分かります。ここは、大企業の占める割合が大きく、中小企業がなかなか育たない土壌の韓国なんかとは決定的に違う点です。
  日本はすっかりお上品になってしまったので、中国でモノマネ商品が横行しているニュースなどに触れると、過敏に反応していましたが、日本も少し前までは、欧米から「サルまね」などと批判されていたのです。
  欧米の人たちは人種差別意識もあって、「日本人が追いつけるはずがない」と、技術供与などおおらかだったのですが、1970年代後半あたりから貿易摩擦が起き、バッシングが始まります。
  ただ、品質管理や生産技術など結局、ものづくりで日本人やそれに追随する韓国、台湾をはじめとするアジア勢にはかなわないということになり、米国なんかはものづくりを捨て、ソフトやサービス中心の経済構造になり、ついには金融ばくちと不動産ころがししかできなくなってしまいます。
  この本を読むと、日本のものづくりに対する自信が揺らぎます。ものづくりでは人後に落ちないと思っていましたが、中国人の貪欲な研究心や熱意に、安閑としていられないなというのが率直な感想です。
  先進国では特許や著作権、規制でものづくりは守られていますが、そこに立ち向かい、技術を蓄積するには、モノマネしかなく、中国政府がモノマネを放任しているのは、ある意味理にかなったことであります。そうじゃないと永遠に外国から技術料を支払わなければならなくなるわけですから。
  本書の中でも「純粋なオリジナルの発明などめったにない」と指摘していますが、まさにその通りですね。日本だってモノマネから始まったわけですから。
  それと同時に、中国にとって追い風になったのは、電子機器の生産が容易になっていることです。携帯電話は各キャリアーごとに基幹部品であるチップの仕様が決まっており、それほどハイテクではないにもかかわらず、中小メーカーは手が出せなかったのですが、台湾のメディアテックがチップ供給することで、「ターンキー」と呼ばれる方式での生産が可能になりました。インテルのCPUと、ウインドウズがあれば誰でもパソコンを作れるのと同様ですね。
  グーグルのアンドロイドの出現で、スマートフォンなんかは、より簡単に作れるでしょうね。基本的な仕組みはパソコンとそう変わらないはずですから。
  パソコンやテレビではすでに中小メーカーが乱立しており、特にデルのパソコンなんかはすでに十分安いので、参入のメリットは少ないですが、本書では日本メーカーが依然として優位に立っているデジタルカメラなどでも、こうした動きが進んでいる現状を紹介しています。
  今後、電子機器はますます、製造しやすくなり、過剰生産による価格下落とコモディティー化が進むことでしょう。そんな中で、もはや日本メーカーが優位性を保っている分野は、ほんのわずかしかありません。
  筆者は、大手のモノマネをして、安価で高機能な製品を生み出す中国の零細企業が、フォードによる自動車の流れ作業による生産や、マイクロソフトのウィンドウズなどに匹敵する革命を起こすと強調しています。
  電子機器の価格破壊と生産方式に大きな変革をもたらし、しかも世界的にも認知されつつある実態を見ると、うなずけますね。
  ただ、モノマネ天国の中国市場であっても(いや中国だからこそというべきか)、ブランドに対する信仰は根強く、根底から覆すには至らないのではないかというのが私の意見です。
  私はiPhoneではなく、国内メーカー(ソニーエリクソンなので一部海外ですが)のスマホを使っていますが、一部足りないところはあるなと感じつつも、「やはり日本メーカーはいいな」と感じますし、安心感があります。
  ただ、バイタリティーあふれる、やんちゃな中小企業がたくさん存在するというのは、中国にとって頼もしいことでしょう。技術力なんてあっという間に身に付けて、日本や韓国などあっという間に凌駕してしまうでしょう。いずれモノマネの域を超えて、あたらしいものを生み出す原動力になることもあるかもしれません。
  とにかく、中国の果敢な挑戦者たちと比べると、日本はスピード感がなさすぎです。電子立国、技術立国として日本がもてはやされたのは、時代の流れがまだゆっくりしていた時代ですからね。日本は約半世紀にわたって、ブラウン管テレビを作って、メシを食ってきたわけです。
  本書を通じて、日本は本当に技術革新や、生産効率化、人々の嗜好の変化の速度が速い時代に対応できているのか? 競争力はあるのか? 考えさせられましたね。
  それに、狭い日本で萎縮しているのもバカバカしくなります。引きこもりが悪いことだとはいいませんが、時々は広い世界に目を向けることも大切ですね。

書評 為替占領

為替占領 もうひとつの8.15 変動相場制に仕掛らけれたシステム
為替占領 もうひとつの8.15 変動相場制に仕掛らけれたシステム
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  この8月15日は1941年のニクソン・ショックから40年で、米国債の大量償還、借り換えが発生することから、市場関係者の間では、8月2日の米国の債務上限引き上げリミットと合わせて、“Xデー”とささやかれていました。結局、どういうトリックを使ったのかは知る由もありませんが、一応、平和な取引が行われているので、何とか乗り切ったようです。
  まさに絶妙のタイミングで出版されたのが、岩本沙弓著「為替占領」(ヒカルランド、1600円)です。著者は元外為ディーラー。この本は、先日紹介した吉川元忠著(故人)の「マネー敗戦」を踏まえつつ、昨今の金融市場の情勢から米国のデフォルトについて警鐘を鳴らしています。
  日本人が汗水たらして働き、せっせと積み上げた貿易黒字が結局、ドル安によって目減りし、実質的に米国の借金棒引きにつながり、日本全体が貧しくなるという事実を広く世に知らしめた、マネー敗戦ほどのインパクトは、はっきり言ってありません。
  吉川氏の著書は、それまでほとんどと言って語られてこなかった、為替制度の陰部をあぶり出し、それに追随していろんな書物がたくさん出されています。余談ですが、吉川氏はマネー敗戦と関連の書籍を相次いで出した直後から、いやがらせを受け、亡くなった理由にも不審な点があると指摘されています。陰謀論的で、真偽のほどは定かでないですが、米国やそれに追従する日本の当局にとって都合の悪い書物であったことは想像に難くありません。
  岩本氏の為替占領は、為替取引の現場を知っている人でしか書けない真実がちりばめられています。特に生々しいのは、本書からは時期はちょっとしづらく、2000年初頭だと推測されるのですが、筆者が顧客向けに「長期的に1ドル=50円台もありえるのではないか」というレポートを出したところ、間接的にそれを聞きつけた日銀がそれを送ってほしいと依頼。その後、筆者の務める(外資系?)中堅銀行に大量の為替介入(とみられる)注文が入った、というくだりです。
  筆者は「1ドル=50円台になるなど触れ回るな、と当局から釘を刺されたような気分になったのも事実だ」と告白しています。為替介入行に指定されるには高いハードルがありますが、最優良の顧客を持つことになるし、自己売買部門によるドルの提灯買いで、さらに大きな利益が得られるという大変なメリットがあります。その辺りは、普段相場にかかわっていると、素人の我々でも想像がつきますが、現場を知る人から実際にそういう話を聞くと、「やっぱりそうだったのか」と、改めて驚かされます。
  ただ、世界情勢やマクロ経済に関する岩本氏の分析は、やや大雑把で読みづらく、特に米国がデフォルトするという点について、どういうシナリオでそうなるのか、説得力不足です。総合的に物事を分析し、理解するのはやはり難しいということでしょう。その辺は、為替ディーラーよりもむしろ、債券ディーラーの範疇なのでしょう。
  1600円という価格は、やや割高感がありますが、なかなかうかがい知ることのできない、為替ディーリングの現場の話を聞けると思えば、価値はあると思いますし、映画1回分の値打ちは確実にあると思います。

書評「マネー敗戦」

  私が日米関係を考える上で、基礎となっているネタ本の一つは吉川元忠(故人)著「マネー敗戦」(1998年、文芸春秋)で、読んだ後、大変な衝撃を受けました。その後、さらに優れた日米関係の分析本が出ており、時代が進んで新たな状況が加わっているので、今読むと多少、物足りない面もあるかもしれません。ただ、デフレが進み、「働けど働けど楽にならない」状況になぜ日本が陥ってしまったのか、理解するのに大変な助けとなる本になりました。
  私がこの本に接したのは、出版から5年ほどたった、2003年ごろだったと思います。りそな銀行国有化など、日本の金融問題がクライマックスに達していた頃でした。1998年にすでに問題の急所を的確に把握し、世に警鐘を鳴らしていたということに驚かされるとともに、その労に敬意を表したいと思います。
  本の内容としては、日本が買い支えている米国債がドル価値の低下でどんどん目減りし、それがデフレ圧力になっているというところが肝です。工業製品の輸出を重視する経済戦略にこだわった、日本は1972年のニクソン・ショック以降、ドルの急速な価値低下に歯止めをかけ、輸出競争力を維持するため、繰り返し、為替介入をし、貿易黒字をため込んできましたが、結局その政策が、あだとなっていることを鋭く指摘しています。
  1ドル=100円超で推移しているとなかなか理解しにくかったかもしれませんが、70円台が当たり前となりつつある今、実感として迫ってくるものがあるのではないでしょうか。
  繰り返し強調しているように、ドル暴落→介入→暴落→介入→・・・と、蟻地獄のような状態になっています。このまま続けると、破滅していく米国に抱きつかれて、日本も一緒に心中してしまうことになります。だからこそ、この連鎖を食い止めなければならない。米国債の買い支えと、為替介入はもうほどほどにしましょうよということです。さすがに今までの腐れ縁もあるので、お付き合い程度はしなければならないのでしょうが。
  日本は1990年代初頭、バブル経済で、絶頂期を迎えました。それは、米国と旧ソビエト連邦が冷戦を繰り広げ、日本は米国にとって重要な“同盟国”として厚遇されたためです。もちろん前にも述べましたが、日本人特有の勤勉さや細かい気配り、感性が大きく貢献した面もありますし、米国が日本をなめきっていた面もあるでしょう。
  見逃してはならない事実は、ソ連が滅びると同時に、米国ももはや、あの時点で、破綻国家だったということです。農作物や資源を輸出できる国ではあったわけですが、工業製品やハイテク分野では、もはや日本、そして同時、日本に次いで勢いがあった、アジアNIEsと呼ばれた国・地域(韓国、台湾、香港、シンガポール)には太刀打ちできない状況だったわけです。
  まともに経済戦争をやると、負けてしまう。だから、彼らは冷戦後も世界帝国として、君臨するため、新たな支配体制を考え、構築する必要があった。そして、それぞれの国の事情に合わせてわなを仕掛けたわけです。
  日本は、完全に金融のわなに引っかかってしまった。巨額の貿易黒字を計上しても、それが国内にはうまく還流しないように仕向けられ、しかも、帳簿上の黒字も、ドル安によって目減りさせられるという、拷問に近い、仕業に遭ったわけです。
  一時は、経済でアメリカを凌駕し、世界の頂点に立った日本ですが、10年もしないうちに、その座を引きずり落とされ、さらに金融機関の不良債権問題で難癖をつけられ、金融不況に陥れられていったのです。そして、郵政民営化で、最後の虎の子を失ってしまう。
  日本を蹴落とした米国は、2000年代初頭、絶頂を迎えます。軍事面でも世界を引き締めるため、2001年の米中枢同時テロを“演出”し、その後、アフガニスタン、イラクに侵攻。世界はあまりにも暴虐なやり方に沈黙させられてしまうわけです。
  一時的ですが、ドルの価値が上昇し、世界中から資金が流入したことで、住宅バブル、金融バブルが発生します。そして、それは、人類史上最悪のレベルまで膨張し、2008年のリーマン・ショックで、“プチ”崩壊。今後、本格的に後始末が始まろうとしているところです。
  3億人の人口を養えるだけの健全な経済を構築せず、帝国の地位を悪用し、不動産ころがし、金融ばくちに興じた結果が今の状況です。1990年代どころか、おそらく70年代、80年代の時点で、実質的に国家破綻していたのに、それを粉飾してきたツケがいま回ってきたということでしょう。
  マネー敗戦の著者吉川さんは、出版当時、それなりに評価はされていたと思いますが、米国が一応、上り調子であったため、あまり、広くは受け入れられなかったと思います。時代の先を読む人の宿命でもあるのでしょう。