エリート

  情報網が発達して分かったことは、実はエリートって大して世の中の役に立ってはいないのではないかということです。前々から言われていたことではあるのですが、それが明確になりますね。1929年の世界恐慌のあたりですかね? 「大学は出たけれど」みたいなことが言われたようですが、昔から大学を出たところで、金儲けできる知恵が身に付くわけではなく、今の学生は分数ができないとか、割合が分からないとか、学力低下も進んでいるので、大学教育のむなしさに拍車がかかっていることでしょう。
  ただ、矛盾するようですが、社会に出ていろんな人と接すると、旧帝国大系の大学を出ている人は、総じて、基礎能力が高い人が多いですね。何をやらせてもそつがないというか、仕事が整然としていて、安心感があります。役人になっても銀行員になっても大手企業に勤めても、間違いなく重宝されると思います。「事務職」として。
  こういう人たちは日本では「優秀」と評価されるし、まさに偏差値教育の「勝ち組」だし、一定程度は社会のニーズもあると思います。道を踏み外さなければ、生き残っていけると思います。日本で今、いわゆるエリート層を形成している人たちでもあります。
  でも、日本、そして海外でも求められているのは、付加価値を生み出せる人なんですよね。端的に言えば、お金儲けができる人、お金、富を生み出せる人です。他人を管理し、その労働の果実をピンハネするような連中(すなわちエリート)では決してない。
  ぐだぐだと屁理屈を並べている連中よりも、人の役に立つ仕事をして、さっとお金を稼げる人が一番偉いのです。日本ではこれまで、ものづくりに従事する人たちが引っ張ってきました。大学の工学部や理学部の研究室で得体のしれない研究をぐじぐじとやるよりも、工業高校なり高専を出て、故障しない自動車、ちょっと光る機能を持った家電製品を安定的に生産できる人の方がずっと価値があります。
  残念なことに、高い付加価値を生み出してきた日本のものづくりは転機に差し掛かっていて、電機メーカーはすでに輝きを失い、完全に進むべき方向が分からなくなっているし、自動車メーカーがそれに続くのは時間の問題です。やたらと円高のせいにしたがる人がいますが、それ以前からその兆候は明らかでしたから、問題は根深いと考えた方がいいでしょう。
  それでも、生産現場では、工作機械や全体的な生産管理、システムにおいて日本は欠かせない存在で、米国の自動車メーカーの復活の背景には、過剰なトヨタバッシングとともに、ビッグ3が日本の工作機械を大幅に導入し、品質が格段に向上したことがいわれています。米国のメディアもいち早く取り上げ、ビジネス界では常識なのですが、日本では誰も取り上げませんね。
  目に見える分野では、敗北に次ぐ敗北を重ねていますが、世界のものづくりを支える存在として、新しい活路を見出しつつあることも事実なのです。
  とはいえ、日本の輸出比率は諸外国と比べると相当低く、経済全体に占める製造業の割合も決して高いとはいえません。ものづくりだけに目を奪われると、日本経済の全体について把握するのは難しくなってしまいます。
  ものづくりと並んで、ものすごい実力を持っているのは、サービス業や流通業ですね。日本人のきめ細やかな心遣いは、飛びぬけているので、海外に出るとそれが際立ちます。デパートやスーパー、コンビニなんて、もっともっと進出の余地がありますね。タイムリーで繊細な商品管理やサプライチェーン、商品開発力をもってすれば、欧米の連中など簡単に蹴散らせるでしょう。豊かな食文化を背景にして育まれてきた外食も同様です。
  現場で汗臭く、地道に努力する人たちが今後も日本を豊かにし、支えていくことでしょう。日本人が日本人らしくしていれば、心配することは何もないと思います。
  面倒なのは、ちょっとお勉強のできる、頭でっかちな連中です。彼らが足を引っ張りさえしなければ、平安を享受できるのに、米国に巧妙にエリート意識をくすぐられてだまされ、手下となって、米国債購入、為替介入などで国富を献上したり、消費税増税など国民から搾取して、わざわざ国を貧しくしようとします。
  東日本大震災からの復興をめぐってもやっかいなのは、ちょっと頭のいい人たちですよね。「放射能」「放射能」と大騒ぎしているのは、“意識の高い人”たちです。もうすでに危機は去ったし、大半の人は放射能の影響など皆無と言っていいほどなのに、いまだに騒ぎ続けないと気が済まないようです。そして日本人の不安心理に付け込んで、利権を得ようとする、卑しい人たちが国内外にたくさんいます。
  人権だとか、環境権だとか、ぐだぐだ言っても死ぬときは死ぬし、しぶとく生き残る人は生き残ります。所詮一人一人はちっぽけな人間であり、それは謙虚に受け止めないといけません。運命とか運に左右される部分も大きいでしょう。
  くだらない、社会に人にまったく役に立たないことを考えるよりも、どうすれば富を生み出せるか、金儲けできるか、考えた方がよほどいいと思います。くだらないことをぐだぐだと考えるだけでなく、人に押し付け、不利益や害を及ぼすのは最悪ですよね。エリートというのはそういう存在なのです。