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5月23日のポイント

  フィッチが日本を格下げしたということで、ドルが上昇しましたが、忘れたころにこういうことをやってくるんですよね。
  さっさと米国債をうっぱらえばいいんですよ。いい口実じゃないですか。震災の復興費用で金が足りません。消費税増税できないので財源が必要です、と素直にぶっちゃけてしまえばいい。
  破綻国が日本よりも上の格付けで、対外債権世界一の日本が格下げされるんですから、本末転倒ですよね。欧米がさっさと没落することを心より願います。
  世論調査で、米国民が日本をアジアのパートナーと考える人が1位とかなんとかいう結果が出ていましたが、そういう気持ち悪いのも、もうやめましょうや。それより、借りた金はちゃんと返してくれと。
  6月の大暴落に向けて、ひたすら待つだけです。

開業初日



  本日、たまたま1日フリーになったので、開業初日の東京スカイツリータウンへ行ってきました。人混みとか、人の集まるところへ行くのは苦手な方なのですが、日本の歴史に1ページを刻む、新たな施設がいよいよオープンということで、めったにない機会でもあるので、ブームに乗っかることに決めました。
  投資を行うということは、世の中の動向に敏感でなければならなりません。重要なのは人の動きや嗜好、流行を丹念に観察することですね。何かしら未来へのヒントが見つかることでしょう。
  偉そうに上から目線に立って、やたらとブームに背を向ける人がいますが、みすみす判断材料を逃しているようなもので、投資家の姿勢としては失格でしょうね。人が何を考えているか、何を欲しているか、どう行動するかということは常に謙虚かつ丁寧にフォローすべきでしょう。






  スカイツリータウンの初日の来場者予想は20万人。渋谷ヒカリエのプレオープン、初日の来場者数も20万人なので、下町の一角に果たして、そんなに人が集まるのかなという気もしましたが、さすがにあれだけ連日報道されると、一度は行ってみたいなという気になりますよね。
  しかも、自立式電波塔としては世界一の高さを誇るタワーということで、そんじょそこらの施設とは意味合いが違います。




  正午前に押上に着いたのですが、東京メトロの改札口を出たところにすでに警備員が配置され、緊張感が高まったのですが、人混みはそれほどではありませんでした。
  ゴールデンウイーク中の渋谷ヒカリエの行列が強烈だったので、平日で天気も悪いし、こんなものなのかなぁとも思ったのですが、スカイツリータウンに入った瞬間、人でごった返しているのを見て、驚きました。
  しかも、時間がたつにつれて、人がどんどん増え、だんだんフロアで身動きがとりにくくなり、「スカイツリー人気恐るべし」と、認識を改めました。




  こればかりはめぐりあわせなので、仕方ないですけど、開業初日が土砂降りの雨というのは、ちょっと残念ですね。晴れていれば、スカイツリー周辺も散策したのですが、まとまった雨だったので、そんな余裕はありませんでした。
  竣工式の日も天気が悪かったらしく、マスコットキャラクターの「ソラカラちゃん」の雨女説は何となくうなずけます。






  スカイツリーの入場料は一番高いところまで行くと3000円もかかるそうで、予約で抽選に当たらないとチケットを入手できないので、特に上りたいとは思いませんでしたが、さすがに、いざ開業してみると、ちょっと登ってみたいなという気になりますね。
  ダフ屋さんでもいれば、開業初日ということで、ご祝儀で3万円くらいなら払ってもいいよなともつい思ってしまいますが、さすがにそういう輩はいませんね。




  商業施設を一通り見て回りましたが、フロアはとても広いですね。実は昨日、渋谷ヒカリエに初めて入ってきたんですけど、ヒカリエの商業施設部分がかなりせせっこましいのに対して、1フロアがおそらヒカリエの4、5倍の広さがあり、通路もゆとりがありました。
  ただ、開業初日ということで、人がかなり集まっていたので、一つ一つのフロア、店舗をゆっくり見て回るということはさすがにできませんでした。


  要は、渋谷ヒカリエがどちらかというと、コンセプト性を重視した商業施設であるのに対し、スカイツリータウンは、これまで風采が上がらなかった東武百貨店がイメージ刷新と、逆転反抗を狙った旗艦店をつくったということでしょう。そもそもの発想が違うのです。
  ただ、集めているショップを見ると、ヒカリエとあまり傾向は変わりませんね。20代、30代を意識しつつも、30代後半、40代あたりの購買力の高い層をターゲットにしていて、中価格帯で、品質、デザイン、ファッション性をうまくまとめ上げた、服やアクセサリー、小物、雑貨などを売る店が中心でした。










  全国の地酒を集めたお店や、塩の専門店、食品サンプルのショップ、ジャイアンストアにウルトラマングッズのショップと、ちょっとほかにはない変わり種のお店や、「観光地」を意識したお店もあり、渋谷や新宿、銀座などにある商業施設とは一線を画しています。
  いずれ再訪して、たんねんにお店を見てみたいと思いますが、この辺はスカイツリータウンの魅力である一方、観光客が一巡したときに、集客を下支えする力になるのか、それとも、飽きられてしまうのか、この辺は注意深くみておく必要がありますね。




  グルメ街に、つけ麺界の横綱、あの「六厘舎」があったのでびっくりしました。しかも、お昼時ということもあり、大行列ができました。
  六厘舎は東京駅八重洲口地下のラーメンストリートが実質的な本店で、お台場のダイバーシティーにも味付けを変えた系列店があり、観光客を意識した店づくりに特化しつつありますね。ラーメンファンとしては普通のお店もつくってほしいですが、ビジネスとしてはそういう路線もありだとは思います。
  世界のビールが楽しめるビアホールなどもあって面白いのですが、基本的には、百貨店のレストラン街とあまり変わらないですね。六厘舎を呼び寄せたのはなかなかのものだとは思いますが。






  フードコートもあるのですが、ここはさすがにその辺のイオンモール並みですね。せっかくだから何か食べて行こうかとも思いましたが、混雑していたので、やめておきました。






  商業施設は大混雑でしたが、スカイツリーと並んで目玉である水族館やプラネタリウムは、それほど混んでいないようでした。
  プラネタリウムは入場料1000円なのでそんなものかなという感じですが、水族館は2000円なので、ちょっと微妙ですよね。




  感想としては、意外と見どころはあるなぁという感じです。施設のコンセプトがやや見えづらいヒカリエとは違い、観光客を楽しませる仕掛けも分かりやすいと思います。
  ただ、見ていて、人がいる割には、あまりお金を落とさないなというのは、はっきり見えました。買うものといえば、フードコートでの食事とか、土産物ぐらいでしょうか。ショップで買い物をする姿は姿はあまり見られませんでした。ショッピングバッグを持った人はそんなにいなかったです。
  しばらくは土、日、祝日、長期休暇には話題性も抜群なので、人が集まるでしょうから、それなりの売り上げは上げるでしょうが、いずれ伸び悩む時期がくるでしょうから、そこが勝負でしょうね。
  あと、気になったのは外国人観光客に対する配慮が欠けていることですね。施設内の案内が分かりにくいし、ショップの構成も、外国人向けとは程遠く、そもそも相手にしていないような感じです。
  購買力のある中国人が来ても、スカイツリーに上る以外にはやることがないでしょうね。せいぜい食事をするくらいか?
  これだけ人が集まっているのに、客が素通りするショップや飲食店もあったので、半年もしないうちに優勝劣敗が明らかになるでしょう。ショップの入れ替えと合わせて、施設全体として目新しいものを打ち出していけるか、コンゴの勝負でしょうね。

解放の日まで

  政治、経済の状況をウオッチしていると、欧米の崩壊と、世界秩序の大きな変革は間近だと思いますが、現時点ではそれにあらがおうとする動きも強いので、本当にもどかしいし、歯がゆい限りです。
  現在の状況は第2次世界大戦にたとえるならば、ミッドウェー海戦で日本が惨敗し、徐々に破局へと進んでいくあたりでしょうか。リーマン・ショックでほぼ決着がついたにもかかわらず、なかなか先へと進みませんね。「アンネの日記」のように隠れ家に身を潜めながらドイツ軍の動向に一喜一憂している状況でしょうか。平和な時代から振り返ると、「もう少し我慢すれば戦争が終わって新しいスタートを切れたのに」と後講釈でそう考えてしまいますが、あの頃、戦禍の中にいた人は、それどころではなかった。勝つか負けるか分からないし、明日をも知れぬ身でした。
  だから、10年後に2012年を顧みて、「慌てなくても、少し待てば欧米は崩壊し、野蛮な支配から開放されるんだけどな」と笑っているかも知れませんが、今を生きる人間からすると、早く事が進んでほしいし、わずかな動向でも気になり、切実な問題なのです。それに10年たっても状況は変わっていなかったり、逆に悪化していたりする可能性だってあり、笑っていられる状況ではないかもしれません。
  陰謀論の人なんかは欧米が借金を返せなくなって計画倒産して、リセットした上で新しい秩序を構築して、世界支配を強化するみたいなことを主張していますが、賛否半々ですね。今の状況を見る限り、巨大企業によるグローバル支配が進み、ある意味、一般大衆の“奴隷化”が進む半面、映画やアニメのように単純な図式で事が進むのかなという疑問もあります。
  現在の世界の指導者層は、頭の悪い白人、そして予想外に従順だった日本人を手なずけててきただけなので、過去の「成功体験」にとらわれているのでしょうが、中国やインド、イスラム圏を完全に支配しようとなると、一筋縄ではいかないでしょう。
  これまで世界の発展から取り残されてきた地域ですが、欧米が近代科学を武器に、緒戦で電撃勝利したにすぎず、時間がたち、反転攻勢の形勢が整うにつれ、いまや攻守が逆転しつつあります。何より、近代科学の礎となる学問が生み出されたのは中国やインド、イスラム圏であり、欧米人と違ってはるかに頭の回転が速く、かつしたたかさを持っています。
  どう考えても頭の回転の鈍い欧米人、そしてそれを陰で支配する狡猾な金融ユダヤ人が支配しきれるのかどうか。中国なんかは面従腹背で、表面上従順なふりをするかもしれませんが、利用価値がないと判断すれば、簡単に切り捨ててしまうでしょう。
  欧米は工業化と植民地支配によって世界を主導し、それが限界だとなると、金融資本主義によって活路を切り開こうとしましたが、自分自身が、金融資本主義の害毒の中毒に見舞われ、にっちもさっちもいかなくなっています。
  確かにこうなると「計画倒産」が現実味を帯びるのですが、その先のシナリオが描き切れているとはいえません。ここへ来て、金融資本主義を続けようと悪あがきする姿勢を見せており、この辺は、陰謀論者の考える筋道とは齟齬が生じつつありますね。
  現在の金融資本主義を守る動きが、次の支配体制を確立するための時間稼ぎだとして、計画倒産にこぎつけたとしても、やはり数の力が強いでしょう。どうしても台頭する中国的なイスラム的なインド的な考え方に引っ張られるでしょうから、机上の理論通りにはいかないでしょう。
  野蛮な欧米の支配が終わったからといって、次の時代が平和で幸せだとは限りません。不都合な真実を突きつけられる可能性だってあります。
  ただ、自然の流れにそむいても、それは長続きしないということだけは言えるでしょう。緒戦では戦力が上回り勝ちを収められたとしても、長期戦になれば、総合力で上回った方が勝ちを収めるのです。だから、欧米に勝ち目はありません。
  欧米を見ていると、人間というのはとことん醜くなれるんだろうなと認識させられましたし、その汚い本性は日本人だって中国人だってインド人だってイスラム圏の人だって未開の地の素朴な人たちだって持っています。ただ、あまりにもやりすぎたし、堕落しすぎましたね。
  何事もほどほどというのが必要で、一方に傾きすぎると、往々にして揺り戻しがあります。他人から強引に奪ったり、搾取することに対して当の欧米人を含めて、嫌悪感が広がっています。
  欧米が沈没すれば、相対的に中国が浮上するでしょうが、中国は一体何を考えているのだろうか? まだ全貌が見えてきません。
  歴史的に中国では人の上に立つ者は「徳」があるとされてきましたが、その徳を強調するために悲劇が繰り返されたことも事実です。民を飢えさせないのが善政であるともされていますが、歴史的にみて、実践されたのはほんの短い期間です。
  まあ、それでも、元々「徳」を持つ資質のない欧米人が無能のくせに大手を振ってきた時代は終わりつつあるのです。日本は欧米にくっついて生きてきたので、中国が台頭しても、必ずしも「解放」された感覚を持てないかも知れません。中国に対する悪感情が続いていることを考えると、むしろ中国が世の中を悪くしているとすら考えるかもしれません。
  先の大戦は、日本人の傲慢と、当時の指導者の頭の悪さが悲劇的な結末を招き、東アジアに無用な恨みの感情を残すだけの結果となりましたが、「非白人に対する白人の抵抗」という側面は否定できません。白人への抵抗を抑えつけること、すなわち世界支配を正当化するために徹底的に日本がたたきのめされたというのも歴史の真実です。
  そこに立ち返れば、不思議と日本と中国で歴史認識が一致する点も少なからずあり、しかも、野蛮な白人支配に終止符を打ち、新しい方向に世界が向かおうとしているという大きな歴史の流れが見えてくるのではないでしょうか。そういう意味でやはり欧米の没落は私たちにとって“解放”といえるのです。

5月22日のポイント

  とりあえず先週末のG8を受けて小反発。時間稼ぎでしょうね。みんな何らかの解決策、あるいは、金融緩和など期待しているんでしょうけど、ドル・円の動きを見る限り、大手金融機関は政策介入のそぶりはありません。ということは、今のところ下げるところまで下げないと、収まらないということです。動きが出るまで気長に待ちましょう。

ポスト工業化社会

  工場を建てて、あるいは誘致して、工業製品を生産し、輸出したり、国内で消費したりすることで、外貨を稼ぎ、国民所得の拡大を目指すというパターンは、成功モデルとして、広く認識されてきましたが、これから先、この“黄金律”は簡単には通用しなくなるでしょうね。
  お金やモノ、技術、人が自由に移動できるようになった結果、工場も簡単に国境を越えられるようになり、インフラや税制、補助金、労働コストなど、よりよい条件を求めて、短期間で簡単に生産拠点を移すことができるようになりました。工場ができたからといって、長期的に安定して生産が続くとは限らないのです。
  しかも、価格競争が進み、生産が徹底的に効率化、合理化されるようになった結果、工業化することによって得られる利益は激減し、労働者に支払われる賃金も抑えられます。だから、工場をつくったからといって、かつてのように簡単に豊かさに直結するとはいえなくなりました。
  日本の高度成長期を振り返ると、本当にめぐまれた時代だったと言えるでしょう。工業製品全体の需要が右肩上がりだった上、価格下落圧力も現在に比べてはるかに弱く、より付加価値の高い高級品が売れるという好条件がそろっていました。
  企業は単純な右肩上がりの成長に合わせて、緩い経営方針で臨めたし、社員、工場で働く従業員も、賃金がどんどん上がり、さらに所得効果で、利幅の高い高級品が売れ、国全体が好況になるという、好循環が続き、世界第2位の経済大国の地位が数十年にわたって続きました。絶頂期には実質的に1人当たりのGDPが米国を抜き、瞬間的に世界一にもなりました。
  その頃と比べると、格段に製造業の力は落ちています。もちろん、日本が経済大国として台頭し、自らの地位が危うくなった米国が製造業の力をそぐような方針をとったことや、金融資本主義のシステムに完全に組み込まれてしまい、投資、投機の対象になってしまったことが要因として挙げられるのですが、農業と同様の「豊作貧乏」という構造的な問題も無視できません。
  いくら地形、土壌、自然条件に恵まれて、豊かな実りをもたらす土地であっても、単に農業生産をしているだけでは、大した儲けにはならないのです。北海道は恵み豊かな土地ですが、経済はかなり厳しい状況です。公共事業依存型からの脱却をめざし、いろんな努力が続けられていますが、全体を活性化するには至っていません。
  工業も農業と同じ道を進んでいますね。いくら頑張って生産性を上げても、ちょっとばかり品種改良(差別化、高品質化、高機能化)を図っても、価格競争から簡単に抜け出せないという、構造的な問題を抱えています。車だって電機だって日用品だって、誰でも簡単にそこそこのものを安く、大量生産できるようになれば、そこでほぼ目標は達成されてしまうのです。
  それでも新興国、途上国にとって、細々と農業を続けるより、多くの雇用を吸収でき、農業と比べると高く、安定した賃金が得られる工業化の魅力は薄れないでしょうが、農作物同様、安く買いたたかれる運命にあり、戦後、日本のようなサクセスストーリーはちょっと期待できないでしょうね。
  そういう意味では、日本はテレビを“捨てる”のは正しい選択でしょうね。途上国と同じようなものをつくっていても仕方がないのです。いずれ自動車やデジカメなんかも同じ運命をたどることでしょう。
  欧米はポスト工業化に対応するため、サービス業に力を入れましたが、何のことはありません。金融ばくちと不動産ころがししかできなかったのです。
  根本には、他人から搾取することで自分だけが生き残ろうという卑しい発想があること、そして、本質的には頭が悪く、ある程度のレベルに達すると、創意、工夫ができず、根気、粘りもないので、あっさりとアジア人に追い越されてしまうのです。また、中国人なんかはパクリもうまいので、そうなると、欧米人の生き残る道は完全に閉ざされてしまいます。
  日本のソフトパワーは、じわじわと広がり、しかも、一度つかむと、なかなか逃れられないので、地道な努力を続ければ、それなりの成果を得られることが期待できます。
  韓国なんかは国が主導で韓流を売り出したり、中国も漫画とかサブカルチャー研究をしていますが、国が乗り出しても、ろくなことはありません。日本はサブカルチャーの国ですが、主流に対して、冷めた目(ある意味上から目線)で見ていたり、どんな状況でも我が道を行くという、他国にはない土壌、気質があるからできたものです。
  誰かが音頭を取ったからといって、いいものが生まれるとは限らないのです。欧米でも、中国でも、韓国でもない、ポスト工業化の“第3の道”が生まれるポテンシャルは非常に高いとみています。