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幸せか?

  日本の政財界、エリート官僚の表情を見ると、一様に貧乏神に取りつかれたような、しょぼくれた表情をしています。日本だけでなく、海外を見渡しても、同様ですね。欧州の債務問題を話し合う、サミットの会議場の映像なんか見ていると、彼らは今でも世界を動かす、一握りの人たちではあるのですが、マイナスのオーラがむんむんと漂っています。
  自分たちのつくったルールで、世界中の人たちを支配しているのに、やりたい放題やっているうちに、行き詰ってしまい、結局、自らの立場を守るのに汲々としているような状態です。まさに「覇道」なるものの本質ですよね。誰かを蹴落としてのし上がったものは、自分たちも蹴落とされる可能性があるのです。
  所詮は他人の不幸の上に成り立っているシステムなので、意識するとしないにかかわらず、うしろめたい部分を常に抱えています。そんなシステムの上にのっかっている人は本当の意味で幸せを感じられるのでしょうか?
  科学技術が発達して、やり方さえうまくやれば、多くの人を経済的に豊かにする人は可能であるのに、あえてその道を目指さず、自分たちの権力や地位、存在を誇示するためだけに、他者から搾取するための巧妙なシステムをつくり上げたのですが、その矛盾と限界にぶち当たってしまったのです。
  覇道が根底にある世界で生きてきた人たちだから、指導者層から下々に至るまで、発想を変えるのは容易ではないでしょうけど、一人でも多くの人を幸せにできる資質がある人間こそ、人の上に立つ資格があるのだという、「王道」的な価値観に転換しないと、世界全体がますます幸薄く、貧しくなってしまうでしょうね。
  先日、私が通っていた米国の高校の関係者の集まりが、東京であったのですが、リーマン・ショックでひと波乱あり、かつては世界をまたに活躍していた(今から考えると金融詐欺のようなことを働いていた)連中は見る影もなく、地元で細々と商売しているような人たちが健在であったりと、人間ドラマが見られました。
  総じて米国人は貧しくなりましたよね。私のいた学校は、私立学校で裕福な生徒が通っていたのですが、かつてはいわゆるWASP(白人、アングロ・サクソン、プロテスタント)と呼ばれる層がほとんどでした。生徒の親は不動産業とか、車のディーラーなど地元の中小事業者が多かったですね。
  今や時代は変わり、生徒の構成は中国系や台湾系、韓国系、インド系と、ITや金融、医師、弁護士など実力で這い上がった人たちの子女が中心で、WASPの比率は激減してしまいました。
  みなさんはどう感じているかしりませんが、何度も言うように、白人って地頭が悪いというか、もの分かりが悪い上に、勤勉さに欠けるので、どうしても実力がものを言う世界では、敗者になってしまいます。今でもそれなりの地位にいる人というのは、家柄がいいとか、既得権にしがみついているとか、たまたま浮き沈みの少ないビジネスに携わっているとか、そんな程度の理由です。豊かになりたいと必死に努力するアジア人とガチで競争するとひとたまりもありません。
  私の同級生やなんかも、日本でたとえると、商店街の呉服店のぼっちゃん、お嬢ちゃんで、商店街が寂れて、呉服業界自体もすたれてしまうと、じり貧に陥ってしまうのです。知能指数なんかを調べると、ユダヤ系、アジア系が総じて高く、白人、ヒスパニック、黒人は低いので、知能と経済的な成功は関係はないという説はあるものの、やはり、結果として表れていますよね。
  私の高校時代なんかは、どこか人種差別的なものが残っていて(今もそうでしょうけどね)、日本人は一段下に見られていましたけど、私は「白人は怠け者で頭が悪い」と見抜いていたので、全然気にしていませんでした。むしろ頭の切れるインド系の奴なんかリスペクトしましたけどね。
  米国ではWASPがヒエラルキーのトップで、貧乏白人、ユダヤ系、黒人、アジア系、ヒスパニック、その他が続くという構図ですが(微妙に序列が異なる分析もありますが、大体のイメージをつかんでください)、実際には頭の悪い白人が君臨するということはあり得ず、これは陰謀論の人たちの言うとおりユダヤ系が巧妙に白人、その他をコントロールし、支配下に置くというイメージでしょうか。
  ブッシュ前大統領は家柄はいいものの頭の弱い白人の象徴、オバマ現大統領は出自は黒人ですがそれなりに努力して這い上がった劣位のものの象徴ですが、両者とも、どんなにあがいても、背後で支配している連中の呪縛から解き放たれることはないのです。所詮は、みこしであり、軽い方がかつぎやすい。
  こうした人種差別の構図は、米国の映画やドラマ、アニメなどに垣間見られます。フレンズとかビバリーヒルズ何とかとか、サウスパークとか、単なる娯楽としてだけではなく、背後にあるものを読み解くことも大事です。
  白人にせよ、黒人にせよ、うまく利用されてきたのですが、新たに台頭してきたアジア系が勤勉でしかも優秀で、非常に使い勝手がいいということで、彼らに取って代わろうとしています。
  米国のヒエラルキーはまさに世界の縮図であり、怠け者で頭のわるい連中が淘汰され、勤勉で地頭のよい人たちがのし上がっていくという、ダイナミズムを反映しています。白人、黒人に関してはかわいそうだなと思う反面、長く付き合っていると、エゴイズムむき出しで、怠惰、無責任、無思慮、空気を読めないという、致命的な欠点も目につくので、仕方ない側面も多いです。
  長年、虎の威を借りて威張り腐ってきた白人が没落するのは、ざまあ見ろという感じでもあるのですが、覇道、王道にかかわらず、こういうヒエラルキーができてしまうのは必然であり、残酷でもあります。
  人類のとても醜い、嫌らしい部分なのですが、こういう世界だからこそ、多くの人がそれぞれの立場で、それなりに幸せを感じられる、一方的に搾取、奪われるシステムでなく、恩恵を広くいきわたらせるような仕組みが必要なのです。実践はなかなか難しいのですが。
  

9575L→9595 +20×3枚 計60円

  ちょいと買ってみましたが、過度の期待はできない相場つきであることは、すでにご説明の通り。明日の金融政策決定会合、あまり期待しない方がいいかもしれませんね。小沢判決を受けて、軟化? まともに付き合うと馬鹿馬鹿しいです。
  来週の雇用統計、さらにはフランス大統領選があるので、今度は下向きのリスクを考える必要があります。

4月26日のポイント

  イベントまであと数時間。形勢としては、下に行きづらく(崩れにくく)なりつつあります。ただ、何があってもおかしくありません。まあ、なるようになるさと。
  無理やり崩壊を回避するのでしょうかね。この数週間の動きを見て、恐慌と紙一重であるということを実感しました。
  この状況がいつまで続くか分かりませんが、基本的には、常にダウンサイドリスクを意識して臨むべきだということですね。

ラーメン道 ワクワクの味 阿佐ヶ谷編1





  いつの間にか、続・つけ麺スペシャル! 昨年来、ダイエットで10キロ以上体重を落とし、摂生を続けているので、時々、外食をする時は、ワクワク感でいっぱいになります。ラーメン店巡りをするときは、前もって、どの店に行くか決めてから行くのですが、前日から楽しみで夜も眠れないくらいです。
  今回訪問した、阿佐ケ谷のつけ麺店「麺爽 かしげ」は、とりわけ期待を寄せていました。行くと決めた日から胸が高まり、指折り数えるくらいでした。
  なぜそこまで楽しみにしていたかというと、ある「確信」があったからです。4月16日に芝・大門の「麺や ポツリ」(http://blog.livedoor.jp/petemouse/archives/51985653.html)を訪れて以降、「つけ麺はイタリアンと親和性が高いのでは」とずっと考えていました。
  ポツリでは、粉チーズを注文しませんでしたが、濃厚煮干しスープとチーズは、ベストなコンビネーションに間違いないだろうと直感し、つけ麺とチーズを組み合わせた時の味に思いをはせ、ポツリでその機会を逸したことをずっと悔やんでいました。
  ただ、そのためだけにポツリを再訪するのは芸がないので、以前から当たりをつけていた、つけ麺店を目指すことにしました。それが阿佐ケ谷・かしげです。


  中央線の中野、高円寺、阿佐ケ谷、荻窪、西荻窪は、かつて生活圏だったので、「ホーム」に近い感覚なのですが、この阿佐ケ谷もあまりラーメンとは結び付きません。どちらかというと、ブラックホールというか、ラーメン店が多い地域にあって、あまり目立ったものがなかった地域でした。
  最近は、起業として、意欲的な人がラーメン店を興すので場所なんて関係ないんですね。というか、これまで人気ラーメン店がなかった地域だからこそ、新規開業のメリットが大きいとも言えるのでしょう。思いも寄らなかった場所にちょっと気になるラーメン店を見かけることが多くなりました。
  その一方で、昔ながらの中華料理店が減っていますね。伝統的な醤油味のあっさりしたラーメンのほか、ギョーザや唐揚げとか麻婆豆腐とかチンジャオローズとかをやっていて定食もあるし、ビールでも頼んで一品料理としてつまみでもいいような。「餃子の王将」に近い業態ですよね。カレーとか豚カツなんかもやっていたりして。
  やはり外食に求める顧客の嗜好の変化とか、世代交代の流れもあるのでしょう。「きたなシュラン」に出てくるような、油汚れが店のあちこちに目立って、どこか昭和の香りのする店は、店主の高齢化、引退とともに、徐々に姿を消し、代わって新しいスタイルの小ぎれいで、凝った味の店が目立つようになりました。これも時代の流れでしょうね。
  阿佐ケ谷もそんな控えめな中華料理店がちょこちょことある街だったのですが、かしげはJR阿佐ケ谷駅の北口を出て左手の飲食店街の入り口近くにあります。
  最近は足を運ぶ機会がほとんどなくなってしまいましたが、私の中では阿佐ケ谷というと、ちょっと良い感じの居酒屋が多いという印象があります。特に焼き鳥とか串焼きとか牛タンとか鉄鍋餃子とか、ひとくくりにして「焼き物」がおいしいお店をよく知っています。そんなお店がある(あった)一角にかしげはあります。
  午後2時前に訪れたときには、店内には誰もいませんでした。なぜかB’zががんがんかかっていて、店主は私が入店したことにしばらく気付きませんでした。
  一瞬、「大丈夫かいな?」と不安が頭をよぎりましたが、あれだけ楽しみにしていたつけ麺です。こちらも層簡単には引き下がるわけには生きません。意を決して券売機で「濃厚チェダーチーズつけ麺」(880円)を選択。並、大盛、特盛は同じ値段で、体調もそろそろ本調子に回復しつつあるので、特盛にしました。
  しばらく客がいなかったせいか、やや時間がかかったような気もしましたが、5分ほどで着丼。ちなみに着丼とは最近少しずつ広がっている、飲食店で注文した料理が出されることをいいます。




  チェダーチーズは喫茶店のミルクが入っているような容器に別添で、店の人が「麺にかけてください」と声を掛けてくれました。ちなみに食べログでこの濃厚チェダーチーズつけ麺の感想を寄せていた人がいて、何の説明もなく、つけ汁に少しずつチーズを入れ、「あってもなくても変わらなかった」旨のコメントがあったのですが、チェダーチーズは液状なので、そもそも味、香りの濃厚なスープに入れると埋没してしまうのでしょうね。粉チーズだとチーズの存在感を感じられるのでしょうけど。この辺は注意が必要です。
  麺は芝・大門ポツリと同様、タピオカでんぷんを練り込んだもっちりした太めの麺でした。前に訪れた上野の油そば店もたぴおか入り麺を使っていましたが、今、はやりのようですね。
  早速、チェダーチーズを麺にかけて食してみます。その前につけ汁をちょっとだけ味見しましたが、魚介を前面に押し出した豚骨ベースのスープで、ポツリとそっくりの味でした。この味とチーズを組み合わせたらどうか、ずっと思い描いていたので、思惑がはまり、うれしかったのですが、その反面で、「魚介+豚骨」を売り物にした、つけ麺店はどこも似たり寄ったりの味になってしまうのかなという気もしました。
  特盛の麺に対してチェダーチーズはやや少なめなったのですが、チェダーチーズが程よくかかった部分を漬け汁にひたして一口。幸せな気分になりました。思惑通りの味。まさに求めていたものでした。チーズと魚介のスープは非常にマッチします。
  ついでながら、ワインとつまみでも置いておいたら、夜はもっとにぎわいそうなのになと思いました。店内はカウンター8席なので回転率重視でしょうから難しいでしょうけどね。そういうところは、ひなびた昔ながらの中華料理店の方に軍配が上がります。
  チーズが入ると、味に奥行きが出ていいですね。粉チーズでなく、チェダーチーズにしたところも面白いです。チェダーチーズというと、メキシカンテイストで、突飛な感じもしますが、既成概念を超えて、おいしいものをよりおいしく楽しもうという創意工夫が感じられます。麺に直接つけて食べると本当においしいです。
  タピオカ麺については、おおむね好評のようで、私も好きです。「ゴムのような食感がする」という否定的な意見もあるようですが、これについては理解できるような気がしますね。某チェーン展開するさぬきうどん店の「もちもち感」を押し出した麺はあまり好きではありません。さぬきうどん自体、弾力がありすぎて、うどんつゆと融合するのを拒んでいるようで味気ない気がします。タピオカ麺は味をつけ汁の味となじむか、はね返してしまうのか、ぎりぎりのラインのような気がします。
  全体的に麺とつけ汁の味は調和していて、しかもチェダーチーズという“隠し味”が効いている上、特盛の麺のボリュームもあって、満足感がありました。粉チーズやトマトなんかを添えればイタリアン・テイストだったんでしょうけど、この濃厚チェダーチーズつけ麺は、「和風ジャンクフード」と言ってもいいくらい、インパクトがありました。




  かつてはラーメンどころというと、1990年代のラーメンブームのはしりである荻窪とか、神田とか、新宿とか、中華料理店が多い中野、高円寺とかが有名でしたが、最近は起業として、いろんなところで意欲的な店主が店を始めるので、荻窪がどうのとか神田がどうのとかいう時代ではなくなりました。
  むしろ、老舗ののれんにあぐらをかいていると、時代の流れに取り残されたり、客からも見放されなけないという、シビアな状況です。かつての“横綱”である某店にそれを感じます。日本そばがどうとか、豚骨がどうとか、鶏ガラがどうとか、既成概念にとらわれず、おいしいものを生み出したものが勝ちという、怖い時代に入りつつあります。詳しくは次回でお話ししたいと思います。


  ただ、そういう新興勢力がいつまで人気を保ち続けられるか、定番として長く愛されるか、まだ答えは出ていません。新しいものがもてはやされるときもあれば、原点に回帰することもあります。人の味覚は案外保守的なので、月並みな言い回しですが時間が経てば正解が見えてくることでしょう。
  かしげは、私が店に入った時には、客は誰もいませんでしたが、しばらくすると一人、また一人と客が入ってきて、着々とファンを固めつつある様子がうかがえました。豚骨、魚介のつけ汁は、ともすればマンネリ気味かなという気がしなくはないですが、時々無性に食べたくなる味であり、飽きさせない工夫をしたり、スープを改良すれば、末永く愛される可能性を秘めています。




  阿佐ヶ谷の街は、落ち着き払っているというか、常に自然体という感じで、いつも行くたびにホッとする感じがします。そんな街に新しい店ができ、街と一緒にこれからの時代を共有していけるか、興味深いところです。