4月10日の日曜から、危機管理を学ぶ最高の機会を頂いている。ケネディスクールの危機管理合宿に招待されたのだ。これは毎年1回、世界中から危機管理の専門家が集まり、世界の最新の危機をケーススタディ中心に皆で分析し学びあうもの。
ケネディスクールで危機管理の合宿に参加
初日の最大の学びは「我々を苦しめてきた危機は、最初が天災であっても最後は人災。最悪の愚か者が危機管理の指揮権を持つと想定することから危機管理は始まる」という教えだった。
我々日本人は完璧な指導者の存在を妄想し、神風が吹いて事態が好転することを期待する。この姿勢が真っ先に否定された。「想定外の危機は必ず起こる。事態はますます悪い方向に進むもの」という開き直りから危機管理の議論は始まる。
東日本大震災から1カ月余りが経った。原発事故は収束の見通しすらたっていない。余震も広い範囲にわたって続いている。一方、津波被災地でも岩手県や宮城県では、復旧に向けた取り組みが始まっている。また、各方面で、被災地の復旧・復興のための議論形成や提言づくりに向けた動きが広がりつつある。
震災から日が経つにつれ、首都圏の電力不足問題、部品の供給(サプライチェーン)問題、放射能漏れに伴う風評被害などの二次的被害が顕在化してきているが、原発事故による被害を除いた地震、津波による直接的被害さえ、その甚大さから、全貌が明らかになるには、もうしばらく時間を要するだろう。しかし、「今後大幅に増加する見込み」といった条件付きながらも明らかになる各分野の被害状況等から、今回の被害が1995年1月の阪神・淡路大震災の被害を大きく上回ることは明らかだ。
最近「ガバナンス(governance)」という言葉を、新聞や雑誌、テレビ、ネットの震災関連記事で見かけるようになりました。「復興に当たって国民をけん引すべき政府にガバナンス能力が足りない」とか「震災後にはガバナンスの効いている企業サイトへのアクセスが増えた」などの用例があります(具体例は後述します)。
このガバナンスの「意味」を説明できる日本人は少ないのではないでしょうか。国立国語研究所が2004年10月に発表した「第3回『外来語』言い換え提案」という文書でも「ガバナンスの意味を理解する人が、国民全体の25%に満たない」と指摘しています。
そこで今回の「社会を映し出すコトバたち」は、「ガバナンス」の意味について掘り下げてみることにしました。
東日本を巨大地震が襲ってから1カ月が経った。大津波の被害はいまだに全容がつかめないほど大きく、今も余震が続く。また、東京電力の福島第1原子力発電所の事故は一進一退の攻防が続いている。改めて思うのは、「東日本大震災」は現在進行形の大災害であるという事実だ。
産業界にとっては、むしろこれからが正念場かもしれない。日本政府は4月8日に電力需給緊急対策本部を開催し、東京電力による計画停電(輪番停電)を原則として終了させることを決めた。また、電力需要が増える夏場に向けて、工場など大口の電力需要家(契約電力500キロワット)に対しては25%程度の削減目標を課すことになった。今後は企業や業界単位あるいは地域ごとに、電力使用量の削減計画をまとめる必要がある。
3月19日、米国、英国、フランスなどの多国籍軍が、リビア反政府軍に空爆を加えているカダフィー政権軍の部隊と施設に、戦闘機と巡航ミサイルによる空爆を行った。カダフィー政権軍に対し、飛行禁止区域を設定することが目的である。
アフガニスタンでの難航する軍事作戦という重荷を背負いながら、オバマ政権がリビアへの軍事作戦に舵を切ったのはなぜなのか。米国人はどのように受け止めているのか。中東全体への影響はどうなるのか。このあたりを考えてみたい。
譲れないケースでは、自らが行動する
3月28日、オバマ大統領はリビアへの米国の立場について、全米に向けテレビ演説を行った。演説の中で、オバマ大統領は、「米国はこれまでの歴史の中で、世界の安全保障の最後の砦であり、人間の自由を守るユニークな役割を果たしてきた」として、米国が世界に自由と人権を守る理想主義的な姿勢を示した。