今年の夏は、暑いんだか、涼しいんだかよくわかりませんが、猛暑でも、いや猛暑だからこそ食べたくなるのが担々麺です。
担々麺は四川料理がルーツで、汁がなく、麺と辛い肉みそを混ぜて食べるのが、本来のスタイルですが、やや酸味のあるスープに、赤唐辛子とたっぷりのゴマを利かせたたれと、ひき肉をのせる日本風にアレンジした担々麺は、麺料理のジャンルの一つとしてしっかり確立されています。
日本風の担々麺を初めて作ったのが、料理の鉄人・陳建一氏の父、建民氏で、赤坂四川飯店は、まさにその原点で、担々麺の聖地といえるでしょう。
実は、私は赤坂四川飯店の系列店は、各地で何度も訪れたことがあるのですが、本店は初めてです。最寄駅は日本の政治の中枢である、永田町ということで、ちょっとドキドキでした。やはり場所柄、あちこちに警察官が立って警備しており、緊張感があります。
赤坂四川飯店に向かう途中には、かつて“利権政治の象徴”とも言われ、自民党・経世会の有力支持団体が入る砂防会館があります。その前に政治家のものと思われる黒塗りのトヨタ・センチュリーが1台止まっていました。何の密談でしょうかね? ちょっと気になります。
赤坂四川飯店は全国旅館会館という、おそらく同業者組合か保険組合が運営するビルの6階に入っています。近くには3月に閉館し、一時、東日本大震災の被災者を受け入れたグランドプリンスホテル赤坂、赤プリがあります。
赤プリは政治家のパーティーや、有名人の結婚式など派手なイメージで知られ、超一等地に立地していると思うのですが、お金が飛び交わなくなり、厳しい状況に追い込まれたのでしょう。砂防会館に赤プリ、時代の移り変わりを感じさせます。
赤坂四川飯店もセレブな層をターゲットにしているのでしょうね。でも、周辺の衰退ぶりとは裏腹に、午後1時半を回り、ご飯どきは過ぎていましたが、ビジネスマンやちょっとお上品な主婦層などでにぎわっていました。
中華料理店はたいていそうですが、注文してすぐに出てくるのがいいですね。5分もたたないうちに、お目当ての担々麺と対面できました。
レンゲで、ラーメンスープの層と、ごまだれの層を4:1ですくって一口。「そうそうこれこれ」。いつもの安心感のある味が広がりました。赤坂四川飯店の担々麺は決して期待を裏切りません。原点の味でした。
麺もさすがに自家製麺なんでしょうかね。カレーライスと一緒で、基本的にはスープが主張する料理なので、あまり意識はしないですが、スープの辛さや、具のひき肉、青梗菜ととてもマッチしています。
担々麺を食べる時に欠かせないのがご飯です。辛みとほどよい酸味のきいたスープとよく合い、ご飯が進みます。
私は、トムヤムクンや、キムチチゲに、ご飯をスープに入れて食べます。辛いスープとご飯の甘みのバランスが絶妙だからです。一時期はまってしまい、3日おきにタイ料理屋と韓国料理やに通っていたことがあります。さすがに担々麺のスープにはご飯を投入することはしませんが、同じような感覚ですね。
一つだけ物足りなかった点を挙げると、ほかの系列店では、ゴマダレの層が厚めだったと思うのですが、本店はやや薄く、辛さもやや抑えられていたかなと思います。
今は担々麺もすっかり定番メニューになって、数々の店が、自慢の味を競うようになり、レベルも高まっていると思います。私の中では、以前にも紹介した通り、名古屋の「ダンダン亭」が抜群においしいと思います。先日、訪れた浅草「馬賊」もなかなかよかったです。
でも、初めて担々麺を食べた時の感動は、どこのお店に行っても味わえない。私にとって、忘れられない味が、赤坂四川飯店(の系列店)の担々麺です。
これは荻窪「丸福」の玉子そばや、早稲田「メルシー」の煮干しのたっぷり効いたラーメンにもいえることです。ラーメン好きの皆さんにもそれぞれの思い入れのある店があると思いますし、それぞれがラーメンを語る上で原点となる店を持っていることと思います。
いろんな店を訪れるようになって、いままで知っているお店よりもさらにおいしいものを見つけることも多いですが、それでもやっぱり、原点に回帰してしまうんですよね。
永田町という場所柄、ちょっと敷居が高い感じがするので、そうそうは通えない(通わない)と思いますが、懐かしくなったら、また、訪れようと思います。