夢がない

  先日、大学時代の友人で、金融マンの友人2人と情報交換する機会がありました。一人はメガバンクの債券運用担当で、もう一人は大手証券会社系の資産運用会社の運用担当です。
  メガバンク勤務の友人の方は、就職氷河期と言われた時代で、まさに“勝ち組”で、同期の間でも出世頭と目されており、本人も鼻高々、意気揚々だったのですが、就職後は、米国が本気で日本の金融機関を叩き始めた、最中だったため、大銀行に対する世間の目は冷たく、しかも業績も急落。本人は四国やら関西の地方勤務を転々とした後、入社10年以上たってようやく、丸の内にある本店(ということはどのメガバンクか類推できますね)に戻され、現在に至ります。
  一方、資産運用会社の友人の方は、やや長い間大学にいて、石油タンクか何かのメーカーの海外営業担当をした後、アナリストに転向。さらに転職して、株式運用を中心に担当しています。
  私が大学を出た頃は就職が厳しいといわれましたが、それでも今ほどではなく、えり好みしなければ、それなりに名の通った企業に勤めることができました。ただ、資産運用会社の友人は、当時はやった「自分探しの旅」に出たため、覚醒するのが遅れ、就職活動で苦労したのですが、今では、それなりにやりがいがある仕事ができるらしく喜々としていました。
  私の本業は彼らの業界とはまったく異なりますが、日々、金融市場をウォッチし、アクティブ(笑)に仕掛けていくという点では、同じであり、彼らが現在の世界情勢、金融情勢をどのように分析し、どんな投資運用を行っているのか非常に興味があり、興味津々でした。
  でも残念ながら、結論から言うと、この2人との情報交換は「くだらねぇ~」のひと言に尽きました。メガバンクの友人は、債券運用をやっているというので、大体想像はついていましたが、彼の仕事内容は簡単に言うと、「国債を安く買って高く売る」あるいは「国債を満期まで保有し利回りを得る」というものでした。
  どこの金融機関も運用難なので、国債を買って利ざやを稼ぐくらいしかやることがないんですよね。予想はしていましたし、銀行の決算内容から、簡単に推測はできましたが、あらためて、現場にいる人から生の証言を聞くと、「やっぱりそうなのか」と、ある意味しみじみとした感慨を持ちました。
  民間の投資活動が鈍いから、国が代わって公共事業をやることで、経済を下支えする。そしてメガバンクをはじめ金融機関は積極的にリスクを取らず、安全な運用に逃げるという、今の日本の閉塞感を見事に象徴していますね。
  メガバンクの彼は「夢なんて何もねぇよな・・・」とぽつり。学生時代は、バックパック一つで世界中を旅し、中国や東南アジアの熱気を目の当たりにして、海外の舞台で、金融マンとして活躍したいという熱い思いを胸に社会に出たわけですが、現実は厳しかったわけです。
  彼のような意欲的な人物を活用できなかった、会社の方にも大いに問題がありますよね。10年先、20年先を見据えるならば、成長の限界に差しかかっていた日本国内や先進国よりも、新興国に目を向けるべきでした。メーカーを中心に新興国への進出を積極的に支援するなど、やるべきことはたくさんあったはずで、いまさら中国だのベトナムだの行ってみたところで、後の祭りです。
  資産運用会社の彼は、肌つやも良く、仕事にやりがいを感じているようでしたが、仕事内容はこれまたシンプルで、「株を安く買って、高く売ること」です。私たち個人トレーダーとやっていることは基本的に変わりません。
  テレビ東京や日経CNBCにテレビコマーシャルを流し、名の知られた大手の運用会社なのですが、運用の際何を基準にしているかというと、「PBR1倍」がどうのこうの言っていましたので、はっきり言って、その辺のちょっと目端が利く、デイトレーダーに毛が生えた程度です。
  彼の運用実績は知りませんが、フィボナッチだのエリオット波動だのチャートパターンだの細かくテクニカル分析をしている分、個人投資家の方が優秀かもしれません。
  まして、普段から私が大騒ぎしているような「米国、国家破綻」なんてことは考えないみたいです。大手にいるとこういうことは荒唐無稽ととらえられるのでしょうね。
  日本は1人当たりの資産保有高がおそらく世界最高で、「金融大国」だといえるわけですが、金融マンのやっていることは、債権を売買し、株をころがすという、ごくシンプルなことらしいということが分かりました。もしかしたら、私たち一般人の目の届かない場所で、ものすごい手法があるのかもとも思ったりもしたのですが、まあ、だいたいは想定の範囲内でした。
  日本は世界で有数の債権国なのだから、やりようによっては、いくらでも世界にプレゼンスを示せると思うのですが、所詮はこの程度のようです。個人投資家としては、大手であれ、中小零細であれ、個人であれ、みなライバルなので、ちょっとほっとした部分もあるのですが、ちょっと情けなさも感じたりしました。