市場原理主義

  マーケット・メカニズムがすぐれていると思われるのは、非効率、無駄を極力排除し、駄目なものが淘汰され、本当の意味で強い者が残っていく点です。
  限られた資金、資源をめぐって、同業者同士で競争があるし、異業種同士でも競争が起きる。縦横に競争原理が働き、社会全体の利益が実現される。これは建前でもあるし、一面の真実でもあるでしょう。
  ところが、日本や世界の現状を見るにつけ、マーケットは、本来果たすべき機能を果たしておらず、さまざまな矛盾がヘドロのように蓄積し、閉塞感が漂っています。
  問題は「市場原理主義」ではなく、市場を支配して、一部の人たちが自分たちの都合のいいように利用するところにあります。
  競争するなら、スポーツ競技のように本来は同じ条件で戦うべきなのに、一部の資金や情報、あるいは政治力、軍事力を背景にした人たちが、有利な条件で、利益を独占的にかっさらっていくという、結局、アンフェアな条件での競争を強いられているわけです。
  自分たちの権益を拡張するために、自作自演テロやありもしない容疑をでっち上げて、他国に戦争を仕掛けた石油資本や軍事産業、目先の利益を上げるために詐欺的商法を繰り返した金融機関。そのようなならず者が市場を支配してきたわけですが、いつまでもそんなデタラメが許されるわけもなく、ならず者の固まりである欧米各国はいよいよ世界の表舞台から退場する時期に来ています。
  究極的には駄目なものが排除されるという、マーケット・メカニズムが機能したことになるわけですが、ならず者を淘汰する過程で、大きな混乱、動乱、そして戦乱すらも予想され、あまりにもその代償は大きいと言わざるを得ません。
  本来排除されるべきあるものが、タイムリーに排除されず、破滅的な結末に向かってしまうというのは、市場そのものの問題でもあります。来たるべき大恐慌後の新しい世界では、評価されるべきものがきちんと評価され、それを軸に競争する原理がはたらくシステムをつくる必要がありますね。
  何度も言いますが、米国は1971年のニクソン・ショックの時にとっくに破綻していた。あの時、さっさと破たん処理していればよかったのですが、東西冷戦の時代でもあり、日本や欧州がむりやり支えてきたのです。そして、自転車操業を続けてきた。
  世の中、カネを貸すやつより借りるやつの方が実は強い(もちろん権利上は貸す方が強いし、偉そうにしなければならないのですが)。なぜなら、借り手が返済できなければ共倒れするしかないわけで、そういう事態を避けるため、ある時は借り手をなだめたり、ある時は脅したりして、取り立てをするわけです。ただ、借金は返されなければなにも始まらない。
  そうした状況を逆手に取った米国は増長し、それほどの国力はないにもかかわらず、我が物顔で世界を支配しているような態度をとってきたわけです。2001年の米中枢同時テロ、そしてそれに続く、アフタニスタン、イラクでの戦争で絶頂に達し、あっけなく転落してしまうわけです。
  米国が崩壊すると、いろいろと不都合が出てくることは間違いありません。日本は表に出ているだけで、政府部門で100兆ドル分の国債を保有しています。民間が保有している分や、米国債以外のドル資産を含めると、少なくともその数倍はあるはずで、相当な打撃を受けることになるでしょう。
  ただ、米国が復活する見込みは皆無といっていい。米国人の思考様式から考えて、まともに借金を返すという発想はなく、さっさと借金を切り離して、身軽に動きたいという意向が働くというのが自然ではないでしょうか。
  こうなると、市場原理に基づいて、さっさと退場させた方がいいですよね。だらだらと破綻を回避しても何らいいことはありません。こうなると、金融緩和とか為替介入といった市場に政策介入することがいかに不毛か、矛盾を増大させるか、よくわかりますね。
  今こそ、もう一度、本来の市場原理主義というものを考えるべき時ではないでしょうか。