米国の現実

  週刊ダイヤモンド(ウェブ)の2011年9月30日付の特別現地レポート「アメリカで今、失業するということ」(http://diamond.jp/articles/-/14244)は一読の価値があります。
  米国在住の日本人ジャーナリストの記事ですが、改めて、米国経済の荒廃ぶりが実感できる記事です。これまでにも同様の記事は出ていますが、この記事も米国の残酷な現実をリアルに描いていて、基本的にはショート・ポジションしかあり得ないということを再認識させられます。
  日本も決して他人ごとではないのですが、円高のおかげもあって、物価が安定しているので、贅沢さえ言わなければ、失業しても何とか暮らしていけるでしょう。例えば、恒常的に人手不足である、介護であるとかタクシー運転手とか飲食店などの接客業であれば、年収200万円(2万6000ドル)くらい得られるでしょうから(ちょっと厳しい? 150万円くらい?)、かなり苦しいながらも、今の米国なら胸を張れる所得水準です。
  記事を読む限りでは、米国だとそういう仕事がなかなかなさそうですね。日本の場合、人口が密集しているというのが大きいでしょう。だから、ある程度の規模の都市に行けば、まったく仕事にありつけないということはない。
  米国の場合、人口は先進国の中で唯一増えているのですが、密度が低いことが災いしていますよね。人が集まらないと経済は活性化しません。
  私はラーメン店の訪問記を書いていますが、あれも一種のベンチャーだし、日本人らしい起業ですよね。比較的少ない元手で開業できるし、努力すれば、繁盛してそれなりに事業を拡大できる。起業というと何となく敷居の高いイメージですが、できることからやればいいんだし、衣食住は人間の生活の基礎です。暮らしにちょっとしたうれしい変化や喜び、うるおいを与える工夫がビジネスに結びつくのは大変いいことですね。
  米国人の場合、御大層なことをやっている割に、地域経済への貢献とか、多くの人に役に立つというよりは、立身出世とか、権力、名誉欲、拝金が先に来るので、ずばぬけた企業が生まれる代わりに、排他的なので広がりとか深みに欠けます。日本人のように地道に努力する姿勢の方が、とっても地味ですが、むしろ受け入れられやすいし、長続きすると思います。どんなに偉そうにしていても人間一人の力なんて知れています。であれば、等身大以上に自分を見せかけるよりも、ちょっとした努力を積み重ね、マラソンをやる感覚でロングランで考えた方がいい。
  ただ、そうした日本人的な“起業”だってそこそこの規模のマーケットがあるからこそ成り立つわけです。米国だと、人口30万でも大都市の部類ですよね。ほとんどは5万とか、10万人もいればいい方でしょうか。アメリカで大都市といっても、所詮は東京周辺のちょっと大きめの私鉄駅程度のもんです。そんな規模のマーケットだと新装開店しても厳しいですよ。せいぜいラーメン店1~2店生き残ればいい方でしょうね。人の胃袋の大きさだって限られているんだから、マックやビザハットにかっさらわれるのがおちです。
  だから、地域密着の草の根のベンチャー企業が育ちにくいし、そうなると、地域経済自体が集積せず、脆弱なものにならざるを得ない。
  記事中もありましたが、車がなければ何もできないというのもアキレス腱ですよね。私たちは長年、広大な土地に大きな家を構え、車社会のアメリカ式のライフスタイルにあこがれてきたのですが、経済が落ち込むとこれがあだになるわけです。
  ドル安、資源価格高騰も追い打ちをかけますね。これでは庶民の生活は成り立ちません。マクドナルドで時給8ドルの仕事を得ても、ガソリン代と車のローンで、消えて行ってしまうわけです。
  米国は一度、「日本列島改造計画」みたいな、再編をした方がいいでしょうね。都市に人口を密集させることぐらいできると思いますがね。そして、もう少し集積させて効率化しないと、米国全土がいずれ「限界集落」みたいになってしまうでしょう。
  困っている人たちを何とかしたいと思うのは人情ですが、こうなったのもすべては米国の政治がおかしいわけで、その元凶は米国民にもあります。これは昨日も述べた通りです。ちゃんとした政治システム、政治家を育ててこなかった自業自得です。
  しかも、米国は日本からさんざん米国債を買わせたり、金融詐欺で金を搾取しておいて、この体たらくです。自国民だけでなく他国民まで巻き込んで不幸にさせるという。一体何なんでしょうね。あの国は。