本日付のSankeiBizで目を引いたのは、「“絶対王者”サムスン、失速で岐路 日本勢は技術力で挽回図る」(http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110809/mcb1108090503022-n1.htm)という記事でした。
要旨は、世界で存在感を高めている韓国・サムスン電子の業績が、稼ぎ頭の液晶パネル、半導体事業の不振で失速、基幹部門の責任者が任期途中で更迭されるという異例の人事に踏み切ったことや、超人気商品のスマートフォン「ギャラクシー」が米アップルに「露骨な模倣だ」として、(特許?)訴訟に発展したことにも触れ、日本勢にも「付け入る隙が出てきた」というものです。
まあ、基本的にはサンケーさんは、韓国に敵対的なので、この記事にもいたるところに、敵意がうかがえる箇所がありますし、サムスンの失速以上に日本メーカーは苦戦しています。液晶パネル、そして完成品のテレビは、日本メーカーもかなりの高稼働率で操業していますが、収益はほとんどが赤字。日本で製造できるかどうかの瀬戸際に立たされています。いったい、どこに付け込む隙があるのか?
半導体も同様ですね。日本が技術で先行しても、価格下落で研究開発、設備投資の回収で四苦八苦だし、韓国、台湾勢は簡単に追いついてきます。
努力して技術力で世界に存在感を示すという路線は、決して間違っていないですが、「技術力で優位に立つ日本が、後進国の韓国を再逆転する」といった、サンケーさんの考える単純な図式は、簡単に成立するとは思えません。日本の場合は、ハイスペックすぎて市場がついていけないという、ジレンマを抱えています。
自動車の分野で、かつて日産自動車や三菱自動車は、高い技術力が売りで、優秀なエンジニアは、トヨタ自動車を蹴ってでも、日産、三菱に就職したのです。確かに日産、三菱の製品は今でも大変優れている。でも、それで儲かっているでしょうか?
技術陣が技術力を過信して独りよがりな製品をつくり、市場のニーズにマッチした商品展開ができなかったため、両社とも一時、存亡の危機に陥ってしまった。逆にトヨタはその間隙を突いて、売れるものづくりを進めた結果、国内では敵なしだし、新興国でのシェアは低いという弱点は依然克服できていないものの、総じて、世界中で認知されるブランドとなりました。
消費者が求めるものに応えるために日々努力をかさね、商品、技術を改良していくのが日本の強みでしたが、最近の日本メーカーからは、失われつつあるのがとても気がかりです。
技術力は大切ですが、売れなければ意味はないし、それが広がらなければ、多くの人に恩恵はもたらされない。売れない技術というのは、基本的には役に立たない、あるいは必要とされない技術なのです。もちろん時間がたってから、価値が見直されるというケースも少なからずあるとは思いますが。
ロシアや米国は軍事技術で、他の追随を許さないレベルにありますが、消費者は必要としていますか? 世界の人に広く受け入れられ、喜んでもらっていますか? 私は松下幸之助さんについて、手放しでは評価しませんが、人々の役に立つ商品をつくり、広めることが世の中を幸せにするという、素朴な信念については、非常に共感します。(それがソニーのぱくりになってしまったことはおくとして)
だから、サンケーさんの「技術力で挽回」なんて、一見、耳ざわりのよいフレーズは、胡散臭さを感じますね。思考が単純すぎます。浮いた言葉で人々を信じ込ませるという、北朝鮮や、オウム真理教と、やっていることは変わらないではないですか。
日本人のすごいところは、現場力です。欧米人のように自分たち以外の人を見下すような態度をとらず、“郷に入れば郷に従え”で、謙虚に人と付き合い、何を必要としているかを聞きだし、商品化し、それが受け入れられ、尊敬を集めた。
でも、最近のサムスンの動きを見ていると、アジアやアフリカの奥地にどんどん分け入り、日本のお家芸だった現場力を自分のものにしてしまった。これはすごいことです。海外に行くとどんな僻地にもサムスン製品(LG電子や現代自動車も)があります。欧米の金持ちや、都会のセレブを相手に堅い商売しかしようとしなかった日本勢は大いに反省すべきです。
先日触れましたが、中国の新幹線についてもいえることですね。あれだけのひどい事故を起こしても、中国は何とか改良して、廉価版の新幹線をアジアやアフリカ、中南米の途上国に売り込むでしょう。また、おそらくニーズもあると思います。「こんな安くつくれるんなら、中国の新幹線を買ってみようか」という国は多いと思います。中国政府が債務保証的なこともするでしょうし。
だから、そういった世界の動きに対して、どう対応していくか。これからの日本の大きな課題ですね。技術力を否定はしませんが、技術がニーズに先行し過ぎるのは本末転倒です。もちろん将来に向けた基礎研究は必要ですが、浮世離れしてはいけません。
人々の声に謙虚に耳を傾け、カイゼンに次ぐ、カイゼンを行っていく。それが私たちの強みであり、見失ってはいけない原点です。