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すべての投資家に見てほしい 映画「インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実」



  この映画のキーワードは“ponzi sceme”。日本語ではねずみ講と訳されます。語源はイタリア人の名前で、この言葉は、多数から出資を募り、配当はおろか元本まで棄損するような金融詐欺のことを指していると思われます。ただ、もうけ話をエサにカネを集めるという意味では、「天下一家の会」に始まり、「豊田商事」、「KKC」、「オレンジ共済」そして最近では「円天」などの手口はほぼ共通しており、ねずみ講と訳すのは適切だし、ピンとくるのではないでしょうか。
  結局、世界の金融市場というのは、一見立派ななりをしているけれども、ねずみ講にすぎないのだということをこの映画はずばり指摘しています。まあ、言っちゃえば、名だたる欧米の金融機関は、やってることは円天と変わらないんですよね。下品、下劣をうまく隠しているにすぎない。日々金融市場と向き合っている私たちは経験的に分かってます。
  インサイド・ジョブが鋭いのは、金融機関の報酬の高さが諸悪の根源であるということをえぐり出したこと。米国の大手金融機関の経営トップの報酬は数十億円から100億円を超えます。東証1部上場企業で、最終利益でそれだけの水準をコンスタントに生み出している会社がどれだけあるか?
  どう考えても暴利をむさぼっているわけです。果たして彼らにその価値はあるのか?金融ばくちに興じ、経営を危機に陥らせた挙句、しっかり退職金までもらって逃げるわけです。つけは年金基金や一般投資家、納税者が負わされるという構図を明快に描いています。
  また、大手金融機関の社員が、会社の金で、領収書を切って買春したり、クスリにおぼれていく様子も描いており、米国が深刻な病巣を抱えていることがうかがえます。
  この映画は、リーマン・ショック前後の内幕を知る、金融当局や金融機関の関係者のインタビューをもとにドキュメンタリー形式で構成。ブッシュ政権のヘンリー・ポールソン財務相はじめ、政府と金融業界を癒着ぶりを浮き彫りにし、歪んだ金融政策の実行をアシストした経済学者の責任なども追及しています。
  興味深いのは、先にハレンチ罪で逮捕された前IMF専務理事ドミニク・ストロスカーン氏と、後任のクリスティーぬ・ラガルド経済・財政・産業相(バカ女)のインタビューです。ストロスカーン氏は、リーマン直後、日本が世界の金融市場の安定化に向け、努力したことを正当に評価。麻生政権で財務・金融担当相を務め、不審死を遂げた中川昭一氏と連携を深めた人物で、ニコラ・サルコジ大統領の政敵です。映画の中では、ストロスカーン氏、ラガルド氏ともに、ごくまっとうな意見を述べています。
  インタビューには、FRB元議長ポールボルカー氏、ブッシュ政権の経済諮問委員会議長グレン・ハバート氏など、興味深い人物が次々と登場し、記録的価値も非常に高い。ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、シティ・グループ、JPモルガンチェース、バンク・オブ・アメリカなどなど、ビッグネームを頻繁にコールし、かなり大胆に金融危機の責任追及しています。
  この映画は、リーマン・ショックまでしか触れていませんが、金融危機は現在進行形です。ばくちのプレーヤーである金融機関がばたばたとつぶれたのが、リーマン・ショックですが、今後は、胴元である中央銀行や国家が破綻する可能性が高まっている。ギリシャなどはその露払いにすぎない。
  ともあれ、今の金融システムは、とにかく病んでいるし、その状況は全然改善していない。あろうことか、金融危機で焼け太りした大手金融機関が、また、昔のやり方に戻ろうとしています。これだけは絶対に阻止しなければならないし、真っ当な感覚を持った人たちの力で、正しい方向にもっていかなければならない。
  金融市場の現場に携わる人はぜひこの映画を見るべきだし、一般投資家も、ねずみ講の現実を直視すべきだと思います。
  とてもいい映画なのですが、都内では板橋区のイオン・ショッピングセンター内のワーナー・マイカル・シネマズでしかやっていないのですよ。なぜ、都心の映画館でやらないのか?


  板橋のイオンは、東武東上線の東武練馬駅前にありました。東武東上線なんて、十数年前に森林公園に乗って以来ですよ。東武練馬なんて東京に住んでいますが、私の生活エリアとかなり離れているので、一生のうち、あと1回いく機会があるかどうか。でも駅前は商店街みたいになっていてなんとなく いい雰囲気でした。


  でも、なぜ数ある映画館のなかで、上映は板橋だったんだろ?疑問です。私は月曜日の夕方に行きましたが、客は30~50代の男性が10人ほど。金融関係者か、陰謀論信者なんでしょうね。おそらく。

23.9%

  昨晩の「マルモのおきて」の最終回視聴率は23.9%。TBSが開局60周年記念で総力を結集した、JIN-仁-の最終回が26.1%だったことを考えると、記録的な高視聴率を記録したと言えるでしょう。わざと最終回を1週ずらし、視聴率の底上げを図った部分もあるのでしょうけど。
  先ほど、マルモの最終回を見終えましたが、ストーリー自体は、評価できる部分も少なくないですが、大人のいやらしい計算高さが随所に織り込まれ、作品全体の良さをやや傷つけてしまったかなという気がしました。
  私の考えるいいドラマの条件は、最初から見ていなくても、途中からちょっと見るだけで、引き込まれてしまい、「最初から見ておけばよかった」と後悔するようなドラマです。JIN-仁-の裏番組で、「マルモ、何それ?」という感じだったこのドラマが徐々に人を引き付けていった様子は、とても痛快でした。ただ、最終回を含め、最後の2~3回は、一見さんを引き付ける力が弱かった。昨日の最終回は、JIN-仁-の視聴者を呼び込まなければならなかったのに、ちょっと力不足な感じでした。
  JIN-仁-最終回の2時間SPもそうでしたが、90分は長すぎます。75分にして、もう少しコンパクトにして中身を濃くした方が印象に残ると思います。どうしても途中で間延びしちゃうんですよね。
  あと、これは本編とは関係ないのですが、バラエティーなど他番組での番宣が多いことや、最終回直前の特別番組など、視聴至上主義の弊害が露骨に出ていた。それにドラマ中に後継番組の宣伝みたいなことをしなくてもいいでしょう?これが今のフジテレビの体質なのでしょうね。そんな小細工をしなくとも面白いものは面白いのです。
  先日、刑に服すため収監されたホリエモンがフジテレビの経営権を握るために、ニッポン放送株の争奪戦を繰り広げた際、役員報酬など無駄をカットして、番組制作に回せば、もっと面白いコンテンツを作れるんだと、力説していましたが、まったく同感です。力を入れるべきところに入れれば、そのうち結果はついてくるはず。子供たちののびのびとした演技とは裏腹に、大人のあざとさがやたら目につきました。
  ただ、ストーリーとしては、最後の部分が割ときれいな落とし込み方をしていたと思います。最後の締め方は、映画とドラマとでは違うんだと思います。映画だったら、父親を亡くして、それぞれ親戚に引き取らればらばらになりそうだった双子のきょうだいを、ひととき家族として受け入れてくれた、父親の親友のやさしいおじさん(マルモ)との思い出話として、最後はバス停の別れのシーンでいいと思います。
  ドラマだと、それだとどうしても視聴者が悲しみを引きずってしまうので、やっぱり結局、おじさんの元に戻ってきて、また、一緒に暮らすという。あまり現実的ではないとは思うのですが、これでいいのだと思います。
  とてもきれいだなと思ったのは、人間の言葉を話す犬(ムック)の最後の仕上げ方です。実は亡くなった双子の父親がムックに降臨して、しゃべっていたという、正直やや意表を突かれ、ちょっと感心しました。マルモが犬に向かって「お前、笹倉(双子の父親)だろ」と、正体を見破った瞬間、犬が人間の言葉を話さなくなり、ただの犬に戻ってしまう。現実世界ではありえない話なのですが、このドラマの一番肝の部分であり、ほろりとさせられました。
  フジテレビは2匹目のどじょうを狙い、このドラマの続編というか、2時間スペシャルを予定しているようです。だから、やや最後の最後でつじつま合わせをするため、ばたばたとした展開になってしまいました。正体を見破られた犬がまた、人間の言葉をしゃべるという。せっかく、着地をばっちり決めたのに、わざわざ、取り消すのかという・・・。
  もっと素朴でストレートな作りにしてほしかったのですが、まあ、いろいろとしがらみもあるでしょうから、仕方ないのでしょうね。
  子供たちの演技が、非常に素直で、なかなか魅せるものだったので、総括としてはよかったと評価します。