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めでたいのか

  今年は、どう考えてもハッピーな一年になるとは思えないので、「おめでとう」という言葉は極力使わないようにしています。私の方から出した年賀状は出来合いの物を使ったので、「おめでとう」と書いているし、誰かからあいさつされれば、こちらも「おめでとうございます」と応えるのが礼儀なのでそうしていますが、それ以外は、おめでたいと思っていないので、なるべく避けています。
  せめて正月くらいは、幸せな気分でいればいいじゃないかという考え方もあるし、かたくなにめでたさを拒絶するのも無粋極まりないのですが、こういうところだけは、自分自身に正直すぎるので、意に反してまで、「おめでとう」と発する気持ちにはなれません。
  この難局を乗り越えれば、憑き物が落ちたように軽い気持ちになれ、未来への展望が切り開けるんじゃないかと、楽観はしていますけどね。むしろ人一倍、前向きに生きていると思います。
  ただ、欧州は「デフォルトした」と言わない、米国も国家破綻状態なのに認めようとしない、現在のような宙ぶらりんな状況だと、次の一手とか、将来の展望が開けないので、もやもやしたものに覆われます。先が見通せないというのが一番嫌な状態ですね。それが素直に「おめでとう」と言えない一番の元凶です。
  私がトレードにのめり込むきっかけになったのは、取引形態が進化して、個人でも「空売り(ショート)」ができるようになったことです。
  買いでしかエントリーできないならば、大恐慌が起きれば、全く手出しできなくなりますが、空売りができれば、暴落をチャンスに変えることができます。株式の信用取引から入ったのですが、初めて空売りして稼いだときは「画期的だ」と感動しましたね。
  リーマン・ショック後、大口の空売りは規制されていますが、個人の空売りは自由に行えます。でも、実際に空売りができて幸せかというと、そうでもありません。空売りに対して、売りにくくしようと、下落局面でもしつこく買い支えるなど、いろいろと嫌がらせをしてくるためです。
  それに、米国は株価だけは一定の水準を維持しようとして、いろんな手を使ってくるため、本来は間違いなく「売り」なのですが、売らせてくれませんね。
  ダウも、ドルも、米国の財政や経済の実態を反映して、大崩れしてくれればいいのですが、思うように動いてくれず、というより真逆の動きをするので、これでは話にすらなりません。
  私が考えている理想は、米国の国家破綻に乗じて、ショートポジションを取り、ボロ儲けすること。こればかりを思い描いてきましたが、ハッピーな思いをしたのは、あまりありません。というより、常にストレスに付きまとわれています。
  もうそろそろいい加減にしてほしいと思いますが、所詮は、雑魚のたわ言。私の思いをあざ笑うかのように、ダウは異常な高水準を維持しています。
  価値のある物が正当に評価され、駄目な物には駄目とはっきりと言ってやること。これこそが、本来あるべき姿で、そうなればハッピーなのですが、まだまだ道は険しそうです。
  

世界よ変われ 世界を変える


  新年が明けて、めでたいのか、めでたくないのかよく分かりませんが、今年は重要な一年になります。一番の関心事は世界経済がどん底に落ちるのか、それとも、戦争などの手段を使って、強引に金融恐慌を回避するのかというところです。
  前者が本来あるべき姿ですが、無理やり後者に持ち込もうとするのでしょうね。何が起きても、動じないつもりではいますが、やはりいろいろ考えると憂鬱ですね。どういう事態が起きても、生き残れるように準備をしておくといいですね。
  どんな状況にあっても、勢いのあるもの、輝いているものに触れ、運気を高めることが大切です。ネットにアップされているライブ映像の中で、私が勢いとパワーを感じる映像を添付しておきます。
  いきものがかりの「NEW WORLD MUSIC」。なんか単純にいいですね。躍動感があって、元気をもらえます。
  「サヨナラは悲しい言葉じゃない それぞれの夢へと僕らをつなぐYELL~」。いきものがかりの中では「YELL」も好きな曲です。
  これからの季節、「SAKURA」もいいですね。小田急線の窓に映る桜って、今年はどんな桜なのでしょうか。
  いきものがかりはバラード調の曲が多いですけど、「NEW WORLD MUSIC」のようにはじけた曲もいいですね。

風水

  「断捨離」として一度、書きましたが、年末に大掃除をして、かなり大胆に物を捨てました。テレビ番組でもたまに取り上げられますが、物がごちゃごちゃしている家や部屋は運気を落とすらしいということ。風水の先生なんかがいろいろと解説をしてくれますが、今回大掃除をして分かったのは、やはり散らかっていると良くないということです。
  その人の頭の内部の状況が、部屋が整然としているか散らかっているかに反映されると聞いた事がありますが、まさにその通りですね。
  部屋が整理されていると、何となくやる気というか、活力が湧いてきます。まだ、掃除をしていない人は、今からでも遅くないので、だまされたと思ってやってみてください。中には、部屋をきれいにしても何も変わらないという人もいるでしょうが。
  大胆に物を捨て、身の回りを整理整頓することで、身軽になったような気がしました。そして、部屋が散らかっているということは、過去のいろんなしがらみにとらわれているんだなということを身をもって感じました。「もったいないお化け」との戦いにもなるのですが、過去の物で今現在も必要だという物は、そんなにはないはずです。
  もちろん過去の物にも、楽しい思い出がつまっていたり、成功体験を示す物だったり、運気を維持、上昇させる物もあるのでしょうが、大抵の物は、そうでもないものが多いです。だったら、いっそのこと思い切って捨ててしまい、新しい物を迎え入れるためのスペースにした方がいいと思います。
  古い物を捨てれば、新しい物を受け入れる準備ができることになり、非常に前向きな気持ちになります。これがお掃除の最大の効用でしょうね。
  今まで、タンスの肥やし、本棚の肥やし、CDラックの肥やしになっているものが、いかにストレス、重荷になっていたか。捨ててみて初めて分かります。
  物を捨てられないでいる時というのは大抵、何かに行き詰まっているときです。先が見通せないから、ついつい過去の遺物にすがってしまいます。もちろん時には、過去に助けてもらうこともあるし、それも大切なことですが、後ろに引いて防御的に戦うより、前に出て何かを勝ち取った方が気分がいいということは言うまでもありません。
  部屋が整然としているということは、いろんなものに目配りができるようになるということでもあります。だから、何が足りていて、何が足りていないか、常に把握しやすくなり、弱点を補強したり、長所を伸ばすことが容易になります。
  トヨタのカンバン方式がなぜ優れているのか、何となく分かりますね。すみずみまで管理が行き届いていると、何か起きたときに問題の所在がはっきりするし、対策を打ちやすいというメリットもあります。
  とはいえ、日々、生活していると、時間がなかったり疲れていたりで、だんだん面倒になり、再び散らかったり、物がたまったりします。年に1回の大掃除という慣習はよくできていますね。掃除しないと何となく不安になるし、心安らかに新年を迎えられないのではないかと思ってしまいます。
  人間の一生で一番運気が高まっている時期はいつか? それは生まれた直後です。新しい物は生命の活力に満ちあふれています。
  大掃除をするということは、生まれ変わるということではありませんが、いったんリセットし、装いを新たにすることになります。生まれたばかりの赤ちゃんにはとても及ばないでしょうが、多少は運気をためることはできるのではないでしょうか。
  トレードでも人生でもそうですが、なるべく運気を上げる努力をしなければなりません。大成功を収めるということまでには至らないにしても、気持ち良く過ごせるだけでも、やる価値はあると思うのですが、いかがでしょうか。

掉尾の一振

  このところ毎年、リーマン・ショックのあった2008年でさえも、年末にかけてラリーがあり、ちょっとしたご祝儀相場の分け前にあずかれたのですが、今年はさっぱりでしたね。米国市場のはしゃぎぶりと比較すると、「何なんだ一体」というくらい、ひどいありさまです。




  これも今後、想定される金融恐慌の予兆と考えていいのではないでしょうか。マーケットコメントに出てくるアナリストやなんかは、さかんに「掉尾の一振」だの「年末ラリー」だのと、期待をあおるようなことを言い立て、私自身も期待したのですが、彼らはどう見ているんでしょうかね。
  予想が外れたことで、ほっかむりしてしまうのか、それとも、相場の“異変”ととらえるのか。まあ、「日本株の出遅れ」とか「外国人の日本株離れ」という、自虐的な総括をするんでしょうけどね。
  このところ何度か指摘していますが、いよいよ、さまざまな矛盾を覆い隠せないところまで来ているのではないかなと思っています。
  米国人は株価に敏感に反応するので、リーマン・ショック以降、2度にわたる金融緩和でドルを刷り、株価を買い支えています。そしていよいよ弾が尽きたとなると、今度は欧州にちょっかいをかけ、金融緩和をさせることでカネを捻出し、それを米国株に投入させるということをやっています。
  まともな感覚を持っている人なら、米国に対して、きちんと怒りをぶつけるし、小手先の操作ではなく、経済を抜本的に立て直すよう諫言するところですが、不幸にして、そういう人はいなくなりました。
  IMFのストロスカーン前専務理事は、比較的バランス感覚に優れた人だと目されており、フランスのサルコジ大統領のライバルでしたが、ハレンチ事件をでっち上げられ、失脚してしまいました。
  ドイツのバカ女もそうですし、わが国のドジョウ男もそうですが、米国の言いなりに動くような人しか一国のリーダーにはなれないようです。




  それにしても、マーケットから「おかしい」という声は上がらないもんでしょうかね。恩恵を受けている米国市場や、金融危機の震源地の欧州市場は仕方がないとして、日本や中国、その他勢いのある新興国なんかからは、もっと批判する声が出てもいいような気がします。
  特に中国ですよね。バブル懸念もあるにはあるんですけど、嫌がらせのように株価が低迷しています。私の知る限り、中国の要人などから株式市場についてのコメントが出ていないと思います。
  この辺を見る限りはまだまだ、中国が発展途上国であるということをうかがわせますね。米国のペースに乗せられたままです。中長期的な考え方を持っているので、意に介さないのでしょうけど。
  それにしても、今年の年末は、本当に不毛でした。来年になれば、もっともっとおかしな状況に陥るでしょうし、いずれ臨界点に達して、大暴落など激動につながっていくのでしょう。腑に落ちない部分は多々あるし、すっきりしないまま年を越すことになりますが、「これもまた相場」です。
  こんなささいなことに負けずに前を向いていかなければなりません。




強きを助け弱きをくじく

  これも相場の極意(みたいなもの)の一つになるし、世の中のほぼすべてのことにもあてはまるのですが、所詮は、「弱肉強食」だということです。強い者が弱い者を支配し利用する。何を考える上でも、このことを理解しておくのが大切です。
  日本の最大の欠点は、この当たり前のことを、誰もが理解しないし、理解しようともしないので(もちろん外交交渉の当事者や海外特に先進国で仕事をする金融マン、ビジネスマンなんかは現場で身に付けることになりますが)、誤った世界観、歴史観、社会観を形成する元凶になっています。
  このブログでは、普段からしつこく、米国や米国経済について言及していますが、それはトレードをする上でも、私たちの生き方を考える上でも、米国が決して無視できない存在だからです。そしてなぜ無視できないかというと、日本を露骨なまでに支配している強国だし、一応、現時点では世界に君臨している帝国だからです。
  だから、株価にせよ、通貨の価値にせよ米国抜きにして、考えることはできません。いくらつわもののトレーダーだって、吹けば飛ぶような零細な存在であり、米国とその威光を背景にした金融機関に太刀打ちできるわけもなく、みじめな立場であることは、残念ですが、粛々と受け入れなければなりません。
  「俺はどんな強い奴にも服従しない」と強がっていても、弱い者は結局、強い者に支配される運命にあります。強い者に尻尾を振るというのは情けないことだと、日本では考えられているし、世界でもそうでしょうけど、それは強い者が武士道なり紳士道といった、弱者を必要以上に追いつめないという惻隠の情なんかのマナーを身に付けているからであって、露骨に暴力なり権力なり力ずくで支配しようとする相手には勝てません。
  ついこの間までは、日本は経済がうまくいっていたこともあって、弱い者も権利を主張したり、放任されていましたが、経済の不信が長引くようになると、弱者からまず切り捨てられることになります。
  また、米国という国が傾くようになってからは、やたらと弱い国に対して戦争を仕掛けて資源を強奪したり、日本のような国から金を搾取しようとします。強者が生き延びるために弱者を犠牲にするから、そういうことが起きるのです。
  文明から隔離された未開地の地に住む原住民だって、強い者が興味を示さないうちは平和に暮らせますが、未開の地を開発しようということになれば、あっという間に服従させられることになるでしょう。
  ただ、弱い者だってやられっぱなしでいいかというとそうではありません。強い者から何とか自分自身や身の回りの利益を守り、生き延びようとするのは、本来、人間を含めて動物が持っている本能です。
  また、面従腹背で、強い者が弱みをみせたら、そこに付け込んで攻撃し、あわよくば立場を逆転してしまおうという野心も持っていて当然でしょうね。群れを統率できなくなったリーダーの雄ライオンは群れを去り、徐々に衰弱しするか、いじめ殺されるかしかありません。
  帝国に対して、国益を守る人のことを「ナショナリスト」といいます。戦後(戦前もそうですが)、日本の政治家は、いろいろと要求してくる米国に対して、のらりくらりとかわして、経済的な利益を守ろうと行動してきました。弱者がこのような行動をとるのですから、見た目はかっこ悪いし、同胞である国民からも批判されたり嘲笑の的になったりするのですが、泥くさくてもしっかり守るべきものは守る。その信念だけはありました。
  ソ連との冷戦が終わった後の1990年代後半くらいからですかね。大きな的を失った米国は次の照準を日本に定めて、金融機関を叩くことで、経済的に強かった日本をつぶしにかかります。そして、徐々に政財官の結束が崩されていき、米国の介入を拡大させる結果になります。そして、小泉政権の発足、2005年の郵政選挙なんかで決定的になっていきます。
  日本の場合、90年代以降、徹底的にいじめ抜かれたこともあって、去勢された猫のようになってしまい、本来持っていた自己防衛本能を失ってしまいました。せっかく、政権交代して、安易な対米追従をやめようと姿勢を改めたのに、現在のようなありさまです。
  米国は、現在も軍事力が圧倒的で、世界で最も強い国ですが、国力を磨く努力を怠り、金融ばくちと不動産転がしなど楽して稼ごうという安易な方法に頼った結果、経済がずたずたになり、国家破綻状態です。すでに、世界中に展開している軍隊を維持する能力はないのに、今でもいばりくさっています。
  米国が世界を支配する能力に疑問符が付いているのですが、現在のところ、これに取って代わろうという表だった動きはないため、何とか世界帝国として君臨しています。
  まあ、それも時間の問題でしょうね。いずれ矛盾が噴き出し、それに耐えられなくなった時点で、帝国の座から引きずり降ろされ、世界から復讐されることでしょう。
  そんな米国に対して、いまだに尻尾を振るという感覚が理解できません。少なくとも、表面上はそうであっても、したたかに米国を蹴落としたり、リベンジしたりする機会をうかがうくらいでないといけません。強い者が強さを失った時点で、それは死を意味するのです。死んでる奴にまで媚びへつらってどうするのか。
  今後、より慎重にウォッチすべきなのは、米国亡き後、存在感が確実に増す中国やロシアの動向ですね。これらの国を無視して、さまざまな事は回らなくなるはずです。
  米国の虎の威を借りているだけなのに、中国やロシアをけなして優越感を持とうとしたって無意味なことです。ロシアにせよ、中国にせよ、すでに日本の国力、政治力を上回っており、普通に組み合って、倒せる相手ではないということを頭に入れておく必要があるでしょう。
  もし、それでも日本が中国より立場が上であると主張するのであれば、群れの中でボスを決めるための争いがあるのと同様、中国と一戦交える必要があるかもしれません。それは回避すべきであることは自明です。
  逆に韓国のような明らかに格下の国になめられるようなことがあってもいけないんです。どう考えても、総合的に日本が優位です。財政破綻状態で、通貨の信用力もなく、吹けば飛ぶような国なのです。今までは過去の歴史的経緯もあり、下手に出ていましたが、金融、経済面でいつでも締め上げれるわけで、序列を決するために、ガツンと行動を起こすべき時には起こすべきでしょうね。
  良くも悪くも米国のおかげでこうなったわけですが、米国がいなくなれば、新しい力関係が決まるまで、諸外国と摩擦が起こるのは必至でしょう。世界のあちこちで序列争いが起きるでしょうね。筋を通すべき時もあるにはあるのですが、力関係という冷酷な現実を前に、果たして貫き通せるのか? 柔軟に(器用に)立ち回ることも求められます。