橋下徹大阪市長について、私は地方分権(大阪都構想)と政治主導の実現の観点から、昨年の大阪府知事と大阪市長のダブル選挙では支持しましたし、好意的に取り上げてきました。しかし、選挙で勝利して以降、やっていることを見ると、雲行きが怪しくなってきたかな、というよりはこのまま暴走させては危険だというのが印象です。
平松邦夫前大阪市長が選挙での敗戦の弁で、橋下市長の弁舌について「魔法の言葉だ」となすすべなく、すっかり落胆し切った様子で語ったように、小泉純一郎元首相をほうふつとさせる、強引に押し切る言動が目立つようになってきました。
それが大阪府政を大阪市政を地方自治を日本の政治を良くするような方向ならばいいと思うのですが、公務員労働組合つぶしや、職員の思想調査といった、些末なことばかりを取り上げ、おかしな方向に進んで行っているなというのが率直な印象です。
最悪なのが、次期衆院選を意識して、大阪維新の会が掲げた「維新八策」です。徐々に背後で橋下氏を操っているか、もしくは、乗っかって、自分たちの利益を推進しようとする人たちがあぶり出されつつありますね。消費税増税、環太平洋連携協定(TPP)参加については、与党の推進派とはニュアンスが違う者の、推進という点では一致していて、結局は、米国やその手先である財務省の思惑通りですね。
さらには、ベーシックインカム(最低生活保障=すべての国民に月何万円かの月収を保障すること)を導入することも掲げています。これは要するに、より進んだ社会主義へと向かうことであり、言い換えれば国が国民への支配、介入を深めるということです。
仕事もしないでプラプラしているような人たちにとっては、素晴らしい制度なんでしょうけれどもね。現在でも一生懸命働いても生活保護水準以下の収入しか得られない人が少なからずいますが、自分の力で生活を切り開こうという意欲は著しく低下するでしょうね。確実に。
それでなくとも、社会全体が目的意識を失い、どんよりとした沈滞ムードが漂っているのです。「まじめに働くより、最低保障賃金で暮らしていけるや」みたいな人は結構いると思います。さらに人心は荒廃するだろうし、地域の活力や国際競争力も低下するでしょう。きれいごとだけでは成り立たないと思います。
ベーシックインカムは年金や生活保護などの整合性をとるのが目的とのことですが、筋が悪いし、タチも悪いですね。橋下という人は、そんなに西成が好きならば、現場に飛び込んでみたらどうでしょうか? 一定のお金をばらまけばセーフティーネットや福祉が実現できると単純に思っているのならば、彼が大嫌いな役人と同じ机上での安易な発想にほかならないのではないでしょうか? 経営者としての発想がまったく感じられません。社会経験が少ない人だからリアリティーがないんでしょうね。
これだったら、名古屋市の河村たかし市長の「減税」政策を全面的に支持しますよ。基本的に行政が民間のことに必要以上に介入するとろくなことがありません。地域のことは地域で、民間でできることは民間でやるのが本来のあるべき姿です。市民から税金を徴収して、不必要に介入するというのはみかじめ料を要求して、もめごとを解決するヤクザとまったく同じじゃないですか。
税金を徴収するために人を雇ったり、コンピューターシステムやオフィスを構える必要があり、コストだってそれなりにかかるわけです。だったら、民間から余計なカネを吸い上げずに、民間でお金が回るようにした方がいいのではないでしょうかね。
単に生き方とかその人のポリシーの問題だと思うのですが、生まれてから死ぬまで行政が敷いた(強いた)レールの上を走らされるというのは、どうなのでしょうかね。私は嫌です。それだったら、まだ、格差社会にしてくれた方がいいです。
橋下市長が府知事になった当時、「地方にフリーハンドを与えてくれたら、いくらでも経済を活性してみせる」と豪語していましたが、労働組合と喧嘩するよりも、そちらを優先すべきではないかと思います。いかに経済を活性化させ、地域の所得を底上げできるかというのが本来の政治の仕事であるはずです。
パナソニック、シャープが傾き、大阪でのテレビ生産を縮小する方向で動いています。経済を活性化できるとたんかを切ったのなら、ぜひ、大阪の経済を建て直してほしいですね。行政改革なんて優先度としてはその次でいいではありませんか。大阪府知事時代も達成できなかった目標なので、ぜひできるところを見せてもらいたい者です。
政治家ができることなんて限られています。だから多くを望むことはできないのですが、その中で橋下市長に期待するのは、地方分権と、真の意味での(独り善がりでない形の)政治主導、この2点です。どうかよろしくお願いします。
タグ別アーカイブ: 評論
時間は買えるか?
2月のバレンタインデーを境に金融市場の風景は一変しました。ギリシャの債務問題に端を発するソブリンリスクをめぐる状況は何も改善しておらず、ポルトガル、スペイン、イタリア、さらにはフランスと予備軍が待ち構えているのですが、当面は触らないでおこうということにしたみたいです。
ただ、月足をウォッチしていると、ドル・円、日経平均、そして香港ハンセン、上海あたりは、下に抜けないので(一応、底固めといえる)、煮詰まりつつありました。75日線、200日線と、絶好の材料もありました。
金融経済は相変わらず、粉飾に次ぐ粉飾で、何一つ明るい材料はないのですが、実体経済は、新興国の底堅い成長により下支えされ、一貫して堅調を維持しています。過剰生産や価格下落の問題はあるのですが、物の清算は拡大しています。
今回の上昇相場は、テクニカル面や政治的な思惑による部分が大きいのですが、ファンダメンタル的にもそれほど違和感はないのです。堅実な経済を維持している日本や中国の株価は不当に低く抑えつけられていました。
欧米人は仕事もせずぶらぶらし、他人の労働の果実を収奪することしか考えない、どうしようもない連中ですが、日銀に追加緩和を迫ったり、ギリシャ問題を動かした(実質的には何も動いていないのですが)タイミングは絶妙で、「さすがは錬金術師」と、思わずうなってしまいました。
日経平均は直近ピークの18000円、ドル・円は1ドル=120円台から一貫して下落してきたわけですが、ショートで稼ぐのは難しいんですよね。もちろん、うまくはまる局面もあるのですが、基本的にはショートは張りづらい。なぜか?
大手金融機関、ファンドは空売りに対して規制がかけられているからです。だからどんな局面でもショートで稼ぐというよりは、暴落したところを底値で拾うとか、踏み上げも利用して上昇相場を演出するとか、ロングでいかに利益を上げるかという視点にならざるをえない。
相場格言に「3日上昇、1日下落」みたいなのがありますが、圧倒的に上昇する日の方が多いはずです。下落する日が多いように見えるのは、下げる時は一気に値幅を伴って下げるからです。システムトレードの人なんかはその辺のロジックを利用しているのでしょうね。あまりかしこい投資方法ではありませんが。
年初から、「暴落」だの「恐慌」と言い立ててきて、現時点では、予想に反する方向に事態は進行しているのですが、上昇相場でロングで稼ぐのが投資の王道であり、ロングで利益を上げられるのは、とても気分がいいです。
とはいえ、現実に目を向けると、大手金融機関の人たちや、アナリストさん、エコノミストさんたちが浮き足立つほど、世の中すべてがいい方向に向かっているわけではありません。
欧米、日本ともに、金融緩和という、しかもただの金融緩和ではなく、紙幣を刷りまくるという(実際には銀行の預金口座間のやりとりなのですが)、かなり踏み込んだ対策をとって、目くらましをしているにすぎないのです。普通はお金を借りると金利が生じるというのが、経済の常識なのですが、無理やり金利を抑えるわけですから、非常手段といっていいでしょうね。
為替介入に対して批判がありましたが、これだって金融当局が自由な市場をゆがめる不当な政策介入なのです。
市中にあふれた(実際は金融機関に滞留している)、じゃぶじゃぶの資金が金融市場に流れて、株価を押し上げ、金利差を利用した通貨取引が活発化しているにすぎないのです。
金融緩和をした当初は、それなりの効果が出るのですが、いずれ、インフレや通貨安といった副作用に直面しなければなりません。しかも、クスリの効果が切れたら、元々の金融恐慌、経済荒廃の現実に引き戻されるわけです。
たから、金融緩和は、目先の苦境を緩和するための時間稼ぎにすぎません。中には辛辣なコメントをするアナリストやエコノミストもいて、「時間を買った」と揶揄しますが、まさにその通りです。
さまざまな不都合な現実を見るにつけ、金融緩和ごときで、何か変わるのだろうかと、私は半信半疑な部分がありましたが、ドル、日経平均が上昇しているのを見ると、結果として出ているので、「時間は買えた」のだということになります。
偽りの上昇ということも言えますが、せっかく、大きな犠牲を払ってまで、上昇相場を演出してくれたのだから、これには乗るしかありません。ただ、買うだけで大儲けできるんですから、こんなおいしい話はありませんよね。
考えておかなければならないのはその先のこと。しばらくはいいムードが続くんでしょうけど、クスリが切れるまでに、体質が改善し、病気が完治しているかどうかです。
私は症状は緩和しても、完治は難しく、クスリが切れて、さらにクスリを投与しても、いずれ効果が出なくなるのではないかと予測しています。だから、ベースは欧米連鎖破綻、金融恐慌入りという、見立ては変わっていません。
目先に関しては、3月にも大崩れがあると予想していましたが、大幅な修正が必要のようです。クスリの効果が半年持つか、1年持つか分かりませんが、その間は、状況に応じた対応をするべきでしょうね。
米国がもうしばらくのさばることになると思うと、憂鬱極まりないのですが、時間的、経済的に余裕ができるのもいいかなとも思っています。どんな状況にも適応し、うまく波に乗るのが、プロ個人トレーダー(私は兼業ですが)のあるべき姿ではないでしょうかね。乗れるものには何でも乗って、うまく利用しましょう。
根拠もなくショートにこだわったり、ユダ金だの、世界の終末だのとうじうじと陰謀論を信奉している連中は、バカです。
ただ、月足をウォッチしていると、ドル・円、日経平均、そして香港ハンセン、上海あたりは、下に抜けないので(一応、底固めといえる)、煮詰まりつつありました。75日線、200日線と、絶好の材料もありました。
金融経済は相変わらず、粉飾に次ぐ粉飾で、何一つ明るい材料はないのですが、実体経済は、新興国の底堅い成長により下支えされ、一貫して堅調を維持しています。過剰生産や価格下落の問題はあるのですが、物の清算は拡大しています。
今回の上昇相場は、テクニカル面や政治的な思惑による部分が大きいのですが、ファンダメンタル的にもそれほど違和感はないのです。堅実な経済を維持している日本や中国の株価は不当に低く抑えつけられていました。
欧米人は仕事もせずぶらぶらし、他人の労働の果実を収奪することしか考えない、どうしようもない連中ですが、日銀に追加緩和を迫ったり、ギリシャ問題を動かした(実質的には何も動いていないのですが)タイミングは絶妙で、「さすがは錬金術師」と、思わずうなってしまいました。
日経平均は直近ピークの18000円、ドル・円は1ドル=120円台から一貫して下落してきたわけですが、ショートで稼ぐのは難しいんですよね。もちろん、うまくはまる局面もあるのですが、基本的にはショートは張りづらい。なぜか?
大手金融機関、ファンドは空売りに対して規制がかけられているからです。だからどんな局面でもショートで稼ぐというよりは、暴落したところを底値で拾うとか、踏み上げも利用して上昇相場を演出するとか、ロングでいかに利益を上げるかという視点にならざるをえない。
相場格言に「3日上昇、1日下落」みたいなのがありますが、圧倒的に上昇する日の方が多いはずです。下落する日が多いように見えるのは、下げる時は一気に値幅を伴って下げるからです。システムトレードの人なんかはその辺のロジックを利用しているのでしょうね。あまりかしこい投資方法ではありませんが。
年初から、「暴落」だの「恐慌」と言い立ててきて、現時点では、予想に反する方向に事態は進行しているのですが、上昇相場でロングで稼ぐのが投資の王道であり、ロングで利益を上げられるのは、とても気分がいいです。
とはいえ、現実に目を向けると、大手金融機関の人たちや、アナリストさん、エコノミストさんたちが浮き足立つほど、世の中すべてがいい方向に向かっているわけではありません。
欧米、日本ともに、金融緩和という、しかもただの金融緩和ではなく、紙幣を刷りまくるという(実際には銀行の預金口座間のやりとりなのですが)、かなり踏み込んだ対策をとって、目くらましをしているにすぎないのです。普通はお金を借りると金利が生じるというのが、経済の常識なのですが、無理やり金利を抑えるわけですから、非常手段といっていいでしょうね。
為替介入に対して批判がありましたが、これだって金融当局が自由な市場をゆがめる不当な政策介入なのです。
市中にあふれた(実際は金融機関に滞留している)、じゃぶじゃぶの資金が金融市場に流れて、株価を押し上げ、金利差を利用した通貨取引が活発化しているにすぎないのです。
金融緩和をした当初は、それなりの効果が出るのですが、いずれ、インフレや通貨安といった副作用に直面しなければなりません。しかも、クスリの効果が切れたら、元々の金融恐慌、経済荒廃の現実に引き戻されるわけです。
たから、金融緩和は、目先の苦境を緩和するための時間稼ぎにすぎません。中には辛辣なコメントをするアナリストやエコノミストもいて、「時間を買った」と揶揄しますが、まさにその通りです。
さまざまな不都合な現実を見るにつけ、金融緩和ごときで、何か変わるのだろうかと、私は半信半疑な部分がありましたが、ドル、日経平均が上昇しているのを見ると、結果として出ているので、「時間は買えた」のだということになります。
偽りの上昇ということも言えますが、せっかく、大きな犠牲を払ってまで、上昇相場を演出してくれたのだから、これには乗るしかありません。ただ、買うだけで大儲けできるんですから、こんなおいしい話はありませんよね。
考えておかなければならないのはその先のこと。しばらくはいいムードが続くんでしょうけど、クスリが切れるまでに、体質が改善し、病気が完治しているかどうかです。
私は症状は緩和しても、完治は難しく、クスリが切れて、さらにクスリを投与しても、いずれ効果が出なくなるのではないかと予測しています。だから、ベースは欧米連鎖破綻、金融恐慌入りという、見立ては変わっていません。
目先に関しては、3月にも大崩れがあると予想していましたが、大幅な修正が必要のようです。クスリの効果が半年持つか、1年持つか分かりませんが、その間は、状況に応じた対応をするべきでしょうね。
米国がもうしばらくのさばることになると思うと、憂鬱極まりないのですが、時間的、経済的に余裕ができるのもいいかなとも思っています。どんな状況にも適応し、うまく波に乗るのが、プロ個人トレーダー(私は兼業ですが)のあるべき姿ではないでしょうかね。乗れるものには何でも乗って、うまく利用しましょう。
根拠もなくショートにこだわったり、ユダ金だの、世界の終末だのとうじうじと陰謀論を信奉している連中は、バカです。
情熱
好きなことがあって、情熱をもって一つのことに打ち込める人は本当にうらやましいと思います。それが一生の仕事に結び付けられる人は本当に幸せですよね。
私が一番典型的だなあと思うのは、さなかクンですね。魚が好きで好きでたまらず、豊富な知識を買われて大学で教えたり、自分で漁船を操縦して漁に出たりと、魚のことになると生き生きとしていて、目の輝きも違います。(とってもくだらない余談なのですが、都内某所の焼き肉店で、さかなクンを目撃した人がいて、心なしかテンションが低かったと・・・)
音楽でも、サブカルチャーでも、スポーツでも、料理でも、いろんな分野で、好きで好きでたまらないという人がいて、神が舞い降りたような存在です。日本人は特に、細かいことにこだわりを持つ人が多く、その道の達人みたいな人が意外なところに、思いもよらなかった分野にたくさんいますね。
一つのことに打ち込めるのは、才能、資質であり、なかなか普通の人にマネできることではありませんが、誰にでも、好きなこと、これだけはちょっと人には負けないよというものは一つくらいはあるはずです。その道の第一人者になるのはさすがに難しいにしても、それなりに能力を磨けば、輝きを放つ人は少なからずいるはずです。
ただ、それを仕事や生活の糧に結び付けるのはなかなか難しいですね。しかも、残念ながら今の日本の教育システムや、政治、経済の仕組みは、個々人の資質や能力を最大限に生かすようにはできていません。
だから、進学にしても、就職にしても、どんなにうまく行っている人でも、何となく「やらされて仕方なく」感がただよっていますよね。うまく行かない人はさらに悲惨でドロップアウトしてニートや引きこもりにでもならざるを得ないと。
一時期、「自分探し」みたいなのがはやって(今もそう?)、海外に行くと、汚らしい格好をした日本の若者を見ることが多かったですが、自分は何なのか、何がしたいのかを見つけたくて、必死にあがいていたのでしょうね。
まあ、単に海外に出たからといって、その人の才能が開花するものでもなく、むしろダメさ加減を再認識した方がその人のためだろうし、多少、意に沿わなくても、社会に飛び込んでみるくらいの度量の大きさ、要領のよさがないと生き残っていけないとは思いますが、迷走する(したい)気持ちは分からなくはありません。
必ずしも、自分は何をしたいか、何が好きかということと、自分は何に向いているかということとは一致しないですが、なるべく、好きなことを仕事にできるようにする努力は必要だと思います。気持ちが入らないと長続きしないですからね。
本人はそう考えているかどうかは分かりませんが、私は元ヤクルトの古田敦也さんとか、見ていてかわいそうですね。野球がうまい人なのですが、この人は本当に野球が好きなのか? 普段の言動から疑問があります。単に周囲からちやほやされ、かっこよくふるまうのが好きなだけではないのか、しかも高収入だしというのが、なんとなく感じさせられますね。
師匠(古田さんはあまり認めたがりませんが)の野村克也氏は、野球が好きで好きで、グラウンドが死ぬのが本望だそうで、好きな野球を追求し続けた結果、今や世界も注目するID野球を確立しました。70歳を超えてなお、情熱を失わず、分析も的確でシャープですね。生涯野球に深くかかわれるという、うらやましい人生です。
私たちがかかわっているトレード、投資の世界もそうですね。決定的なのは、お金、ギャンブルが好きなのか、トレード、投資が好きなのか、ということです。本人は自覚がないのでしょうが、お金、ギャンブルが好きな人は大体、長続きしません。中にはお金の神様がとりついていたり、天性のギャンブル運に恵まれていて、そういう人は何も考えずにのめりこんだらいいと思いますが、めったにいませんからね。
私の場合、お金も好きですが、値が読書好きで過去の分析や未来予想をするのが好きというのが根底にあり、それがトレード、投資好きに結びついているので、派手ではないですが、ささやかな利益という結果がついてくる程度に、まあまあうまくやっています。
時々、「交通事故で収入の道が断たれました」とか「夫の経営している会社が借金を重ね」とか言って、トレードの教えを乞う人がいますが、やめた方がいいです。単にお金を目的にすると、十中八九失敗するのが落ちだし、さらに窮地に追い込まれることになります。
値動きをテクニカル分析するのが面白くて仕方がないとか、国際情勢やファンダメンタルを研究しているうちに米国が没落するのが楽しみになったという、その延長上にトレード、投資をしている方が理にかなっていると思います。
あとは、トレード、投資に向いている人は、常に新しいものに関心があるということですかね。人の行動とか、考えというのはリアルタイムに変わります。だから、しっかりウォッチしていないと時代から取り残されますね。まさに時代の流れにうまく乗るのが、トレード、投資の極意です。
私は占いに詳しい人から「骨董好き」「歴史好き」と言われたことがあり、確かにそういう部分もあるのですが、新し物好きでもあるんですよね。普段ブログを読まれている方は感じているかもしれませんが、目新しいものに簡単に飛びつく、薄っぺらさもあります。
最近、やたらと「中国」「中国」言うのも、総合的に分析して、ブレイクするのは間違いないと思っているし(すでにブレイクしてますけどね)、単に流行、ファッション感覚みたいな部分もありますからね。
時代の流れというのは、過去のしがらみと、そこから脱しようとする新しい動きのせめぎあいみたいなところもあるので、古い物好きと新し物好きが同居するのは、悪いことではないと思っています。私の場合は、時代の流れを感じ、新しい流行に乗るのが好きということです。
皆さんも、本当は何が好きなのか、少しでも情熱を傾けられるものは何なのか、分析してみるといいと思います。
私が一番典型的だなあと思うのは、さなかクンですね。魚が好きで好きでたまらず、豊富な知識を買われて大学で教えたり、自分で漁船を操縦して漁に出たりと、魚のことになると生き生きとしていて、目の輝きも違います。(とってもくだらない余談なのですが、都内某所の焼き肉店で、さかなクンを目撃した人がいて、心なしかテンションが低かったと・・・)
音楽でも、サブカルチャーでも、スポーツでも、料理でも、いろんな分野で、好きで好きでたまらないという人がいて、神が舞い降りたような存在です。日本人は特に、細かいことにこだわりを持つ人が多く、その道の達人みたいな人が意外なところに、思いもよらなかった分野にたくさんいますね。
一つのことに打ち込めるのは、才能、資質であり、なかなか普通の人にマネできることではありませんが、誰にでも、好きなこと、これだけはちょっと人には負けないよというものは一つくらいはあるはずです。その道の第一人者になるのはさすがに難しいにしても、それなりに能力を磨けば、輝きを放つ人は少なからずいるはずです。
ただ、それを仕事や生活の糧に結び付けるのはなかなか難しいですね。しかも、残念ながら今の日本の教育システムや、政治、経済の仕組みは、個々人の資質や能力を最大限に生かすようにはできていません。
だから、進学にしても、就職にしても、どんなにうまく行っている人でも、何となく「やらされて仕方なく」感がただよっていますよね。うまく行かない人はさらに悲惨でドロップアウトしてニートや引きこもりにでもならざるを得ないと。
一時期、「自分探し」みたいなのがはやって(今もそう?)、海外に行くと、汚らしい格好をした日本の若者を見ることが多かったですが、自分は何なのか、何がしたいのかを見つけたくて、必死にあがいていたのでしょうね。
まあ、単に海外に出たからといって、その人の才能が開花するものでもなく、むしろダメさ加減を再認識した方がその人のためだろうし、多少、意に沿わなくても、社会に飛び込んでみるくらいの度量の大きさ、要領のよさがないと生き残っていけないとは思いますが、迷走する(したい)気持ちは分からなくはありません。
必ずしも、自分は何をしたいか、何が好きかということと、自分は何に向いているかということとは一致しないですが、なるべく、好きなことを仕事にできるようにする努力は必要だと思います。気持ちが入らないと長続きしないですからね。
本人はそう考えているかどうかは分かりませんが、私は元ヤクルトの古田敦也さんとか、見ていてかわいそうですね。野球がうまい人なのですが、この人は本当に野球が好きなのか? 普段の言動から疑問があります。単に周囲からちやほやされ、かっこよくふるまうのが好きなだけではないのか、しかも高収入だしというのが、なんとなく感じさせられますね。
師匠(古田さんはあまり認めたがりませんが)の野村克也氏は、野球が好きで好きで、グラウンドが死ぬのが本望だそうで、好きな野球を追求し続けた結果、今や世界も注目するID野球を確立しました。70歳を超えてなお、情熱を失わず、分析も的確でシャープですね。生涯野球に深くかかわれるという、うらやましい人生です。
私たちがかかわっているトレード、投資の世界もそうですね。決定的なのは、お金、ギャンブルが好きなのか、トレード、投資が好きなのか、ということです。本人は自覚がないのでしょうが、お金、ギャンブルが好きな人は大体、長続きしません。中にはお金の神様がとりついていたり、天性のギャンブル運に恵まれていて、そういう人は何も考えずにのめりこんだらいいと思いますが、めったにいませんからね。
私の場合、お金も好きですが、値が読書好きで過去の分析や未来予想をするのが好きというのが根底にあり、それがトレード、投資好きに結びついているので、派手ではないですが、ささやかな利益という結果がついてくる程度に、まあまあうまくやっています。
時々、「交通事故で収入の道が断たれました」とか「夫の経営している会社が借金を重ね」とか言って、トレードの教えを乞う人がいますが、やめた方がいいです。単にお金を目的にすると、十中八九失敗するのが落ちだし、さらに窮地に追い込まれることになります。
値動きをテクニカル分析するのが面白くて仕方がないとか、国際情勢やファンダメンタルを研究しているうちに米国が没落するのが楽しみになったという、その延長上にトレード、投資をしている方が理にかなっていると思います。
あとは、トレード、投資に向いている人は、常に新しいものに関心があるということですかね。人の行動とか、考えというのはリアルタイムに変わります。だから、しっかりウォッチしていないと時代から取り残されますね。まさに時代の流れにうまく乗るのが、トレード、投資の極意です。
私は占いに詳しい人から「骨董好き」「歴史好き」と言われたことがあり、確かにそういう部分もあるのですが、新し物好きでもあるんですよね。普段ブログを読まれている方は感じているかもしれませんが、目新しいものに簡単に飛びつく、薄っぺらさもあります。
最近、やたらと「中国」「中国」言うのも、総合的に分析して、ブレイクするのは間違いないと思っているし(すでにブレイクしてますけどね)、単に流行、ファッション感覚みたいな部分もありますからね。
時代の流れというのは、過去のしがらみと、そこから脱しようとする新しい動きのせめぎあいみたいなところもあるので、古い物好きと新し物好きが同居するのは、悪いことではないと思っています。私の場合は、時代の流れを感じ、新しい流行に乗るのが好きということです。
皆さんも、本当は何が好きなのか、少しでも情熱を傾けられるものは何なのか、分析してみるといいと思います。
暴力装置
民主党が政権交代した直後に、米国の操り人形の一人(官房長官)が「自衛隊は暴力装置」と言って物議を醸しましたが、この発言は何が問題なのでしょうかね? 権力の中枢にいる人がこういう発言を軽々にするのはたしかに問題ですが、内容自体は全く持って正しいし、正直ですよね。
私たちが生きていくにあたって、この“暴力”とどう付き合うかということを真剣に考える必要があります。私たちの社会というのは、わざわざ引用するのもおこがましいですが、英国の思想家、トマス・ホッブスがいみじくも指摘した通り、「万人の万人に対する闘争状態」であるということをまず認識しておく必要があります。
暴力には至らないまでも、何らかの法律や規制、社会規範、道徳が確立していないと、社会の秩序は確立できないということです。最近、「モンスター~」みたいな、勘違いした人々の存在がことさらに取り上げられますが、世の中、きれいごとばかりがまかり通るようになって、暴力の存在が見えにくくなっているというのが背景にはあるでしょうね。
妙に権利意識が強く、無茶が簡単に通ると思っている人たちが増えている(まあ、メディアがやたらと大きく取り上げるので、本当はそれほどでもないのでしょうけど)のは、日本の戦後教育の行き着いた先なんでしょうね。
ちょっと前までだと、たとえばお店に入って、しつこく理不尽な要求を通そうものなら、バックヤードに通されて、ちょっとこわもての人が対応し、事を丸く収めるみたいなことがあったのでしょうけど、最近はコミュニケーションが下手になっていて客あしらいが下手な上に、イメージとか風評とかを気にするから、モンスターの言いなりになるケースも多そうですね。モンスターが取りざたされる背景にはそういう事情があるのでしょう。もちろん「大人の」対応ができるところも少なくないとは思いますが。
平たく言えば、昔は変な奴がいたら、まずは周りの人がなだめて、排除する形で動くし、それでもだめならヤクザが「もめ事を解決するため」に乗り出してきたわけです。それが暴力団を排除する法律やなんかができ、そうなると警察の役割になるわけですが、サービス精神がないというか、「民事不介入」とやらで、腰が引けるというか、ややこしいことにはかかわろうとせず、余計におかしなことになってしまいます。
昨年の年末でしたかね。長崎でストーカーが付け狙っていた女性の実家にまで押しかけて、家族を惨殺するという事件がありましたが、警察はどうでもいいところで暴力を行使するくせに、本当に必要とする人のために暴力を使わないから、こういう悲劇が起きるのです。国家機関はわざわざ暴力団を排除するのだから、もっと自分たちの暴力の使い方を考えた方がいい。
日本人はストーカーとかカツアゲにでも遭わない限り、身近に暴力を感じることがないので、平和ボケしていますが、世界には暴力が満ち溢れていて、微妙なパワーバランスの上で秩序が保たれています。
私たちからみて分かりやすい例は中国でしょうかね。あの国は経済的には豊かになりつつありますが、下手に人権拡大要求などしようものならひどい目に遭います。でも、一人一人が権利を言い始めたらどうなるか? 人権弾圧は残念なことですが、あれはあれで理由がないわけではないのです。まさに国家は秩序を守るための暴力装置として機能していますよね。だから、「自衛隊は暴力装置」というのは、非常にまっとうで、正直な発言なのです。
暴力と言ってもいろんな形がありますね。自衛隊や警察は物理的な力を行使するので分かりやすいですが、政府や自治体なんかもそうですね。納税という義務をすべての人に課すのは、暴力以外の何物でもありません。目に見えない暴力ですが、拒めば実際に司法(検察)、警察権力を使って物理的に拘束されます。納税だけでなくいろいろと義務があるので、あらゆるところに暴力が隠れています。
こうして暴力を使って、秩序が保たれているわけですが、国際社会でもそうですね。強い国が弱い国を従えて、現在の世界があるわけです。日本人の「国際友好親善大使」的な国際感覚ではとても理解できませんが、厳然たる事実です。
米国という世界でも最も狂悪な暴力に支配されているにもかかわらず、政治家や官僚によって巧妙に覆い隠されています。日本人はおめでたいというか、それはそれでいいのかもしれませんが、そのことに目を向けようとはしません。米国に過度に支配されることでどういう目に遭っているかということは、皆さんお分かりだと思いますので、あえては触れません。
とにかく、好むと好まざるとにかかわらず、私たちが暴力に支配されるのは宿命なのです。そのことをよく考えておく必要があります。ただ、支配されるにしても、過剰な介入は許されないし、その場合は、しっかりと声を上げていくべきです。そして声を上げることで暴力に対して牽制し、すこしでもましな形に変えることは可能でしょう(と信じます)。
私たちはこういう世界に生きているのです。
私たちが生きていくにあたって、この“暴力”とどう付き合うかということを真剣に考える必要があります。私たちの社会というのは、わざわざ引用するのもおこがましいですが、英国の思想家、トマス・ホッブスがいみじくも指摘した通り、「万人の万人に対する闘争状態」であるということをまず認識しておく必要があります。
暴力には至らないまでも、何らかの法律や規制、社会規範、道徳が確立していないと、社会の秩序は確立できないということです。最近、「モンスター~」みたいな、勘違いした人々の存在がことさらに取り上げられますが、世の中、きれいごとばかりがまかり通るようになって、暴力の存在が見えにくくなっているというのが背景にはあるでしょうね。
妙に権利意識が強く、無茶が簡単に通ると思っている人たちが増えている(まあ、メディアがやたらと大きく取り上げるので、本当はそれほどでもないのでしょうけど)のは、日本の戦後教育の行き着いた先なんでしょうね。
ちょっと前までだと、たとえばお店に入って、しつこく理不尽な要求を通そうものなら、バックヤードに通されて、ちょっとこわもての人が対応し、事を丸く収めるみたいなことがあったのでしょうけど、最近はコミュニケーションが下手になっていて客あしらいが下手な上に、イメージとか風評とかを気にするから、モンスターの言いなりになるケースも多そうですね。モンスターが取りざたされる背景にはそういう事情があるのでしょう。もちろん「大人の」対応ができるところも少なくないとは思いますが。
平たく言えば、昔は変な奴がいたら、まずは周りの人がなだめて、排除する形で動くし、それでもだめならヤクザが「もめ事を解決するため」に乗り出してきたわけです。それが暴力団を排除する法律やなんかができ、そうなると警察の役割になるわけですが、サービス精神がないというか、「民事不介入」とやらで、腰が引けるというか、ややこしいことにはかかわろうとせず、余計におかしなことになってしまいます。
昨年の年末でしたかね。長崎でストーカーが付け狙っていた女性の実家にまで押しかけて、家族を惨殺するという事件がありましたが、警察はどうでもいいところで暴力を行使するくせに、本当に必要とする人のために暴力を使わないから、こういう悲劇が起きるのです。国家機関はわざわざ暴力団を排除するのだから、もっと自分たちの暴力の使い方を考えた方がいい。
日本人はストーカーとかカツアゲにでも遭わない限り、身近に暴力を感じることがないので、平和ボケしていますが、世界には暴力が満ち溢れていて、微妙なパワーバランスの上で秩序が保たれています。
私たちからみて分かりやすい例は中国でしょうかね。あの国は経済的には豊かになりつつありますが、下手に人権拡大要求などしようものならひどい目に遭います。でも、一人一人が権利を言い始めたらどうなるか? 人権弾圧は残念なことですが、あれはあれで理由がないわけではないのです。まさに国家は秩序を守るための暴力装置として機能していますよね。だから、「自衛隊は暴力装置」というのは、非常にまっとうで、正直な発言なのです。
暴力と言ってもいろんな形がありますね。自衛隊や警察は物理的な力を行使するので分かりやすいですが、政府や自治体なんかもそうですね。納税という義務をすべての人に課すのは、暴力以外の何物でもありません。目に見えない暴力ですが、拒めば実際に司法(検察)、警察権力を使って物理的に拘束されます。納税だけでなくいろいろと義務があるので、あらゆるところに暴力が隠れています。
こうして暴力を使って、秩序が保たれているわけですが、国際社会でもそうですね。強い国が弱い国を従えて、現在の世界があるわけです。日本人の「国際友好親善大使」的な国際感覚ではとても理解できませんが、厳然たる事実です。
米国という世界でも最も狂悪な暴力に支配されているにもかかわらず、政治家や官僚によって巧妙に覆い隠されています。日本人はおめでたいというか、それはそれでいいのかもしれませんが、そのことに目を向けようとはしません。米国に過度に支配されることでどういう目に遭っているかということは、皆さんお分かりだと思いますので、あえては触れません。
とにかく、好むと好まざるとにかかわらず、私たちが暴力に支配されるのは宿命なのです。そのことをよく考えておく必要があります。ただ、支配されるにしても、過剰な介入は許されないし、その場合は、しっかりと声を上げていくべきです。そして声を上げることで暴力に対して牽制し、すこしでもましな形に変えることは可能でしょう(と信じます)。
私たちはこういう世界に生きているのです。
帝国の没落
このところ堅調に推移していますけど、それでも、金融市場を日々ウォッチしていると、昨年来、米国の株式市場をはじめ、世界の金融市場は、訳の分からない動きを続けています。私たちの身近な日経平均、ドル・円、ユーロ・円をはじめ、欧州株や欧州危機の影響をそれなりに受ける中国株に至るまで、ちょっとした材料で一喜一憂し、迷走状態です。
私なんか特にそうですけど、トレーダーは基本的には短気な人が多いし、相場のわずかな変化や動きに乗らないと利益を上げられないので、意味のない動きをする時間帯が長いと、本当にストレスがたまりますね。丹念に値動きや売買動向を追って相場を読み解いていく必要があるのですが、その一方で、あまりのめり込むと、冗談抜きで精神を病んでしまう恐れがあるので適度な距離感が必要です。
現在は、長らく世界をしてきた、欧米が衰退し、没落する真っ只中にあります。単に株が上がっただの下がっただのという、せこいレベルで物を見ていると大局を見失います。今、注目が集まっている消費税や、年金、福祉、健康保険をどうするかといった問題や政局も同様、従来の延長では対処できない状況なので、なるようになる(欧米が堕ちるところまで堕ちる)のを待ち、そこからスタートしないと、何事も始まらないのです。
家が火事に遭い、まだ火が燃え盛っていて、隣近所にも迷惑をかける恐れがあるのに、新しい家をどうするかという話をしているようなもので、鎮火し、すべての状況が明らかになるまでは、具体的な行動を起こすべきではないでしょう。もちろんある程度の想定はしておいて、いざ行動を起こすべき段階になったら、迅速に動けるように心構え、準備をしておくことは大切ですが。
いつも言っているように、現在の段階は欧米が没落に向かってはいるのですが、悪あがきをしているので、ちょっとした乱気流が起きているような状態です。大きな流れは変わらないのですが、生存本能が残っていて最後の命の火をともしているような状態です。
そりゃ、欧州は500年、米国は100年も世界を支配してきたのです。覇権を握ることのうまみや利権の上に乗っかっており、そうやすやすとは覇権を手放すことはしたくないでしょう。また、豊かさボケで、自分たちが没落の途上にあるとは認識できていないし、認識したとしても簡単には事実を認めたがらないという面もあるでしょうね。
NYダウは米国の財政破たん懸念から、昨年8~10月にかけて10500ドル近辺まで下げ、そこから13000ドル手前まで上昇しました。上昇幅は実に2500ポイント。
翻って日経平均を見ると、ダウと連動する形で、8100円あたりまで下落し、一応反転はしましたが、反発の勢いは弱く、9000円台にちょっと戻すのがせいぜいです。底値からは900ポイント上げたにすぎません。
一方、ドルは為替介入が入るので面倒なのですが、基本的には軟調(円高)に推移し、7月の80円台から、76~77円台で滞留する時間が長く続き、5%ほどの円高が続いているでしょうか。
円高を加味しても、ダウの異常な高さと、日経平均の低迷が際立ちます。日経平均だけでなく欧州、中国なんかも概して株価指数は底ばう時間が長かったので、金融緩和とそれに伴う通貨切り下げで、不当に米国が株価を吊り上げている構図がありありとうかがえますね。
ダウの水準からして、私は日経平均はすんなり、9000円、9500円、あるいは1万円の水準を回復できるのかとちょっとだけ期待しましたが、なかなか動いてくれませんでした。政策対応の力を借りてようやく動いたという感じで、インチキがなければ成り立っていない相場です。
米国株だけ突出して高いという状況は、リーマン・ショック前もありました、ダウの上昇に比して、日経平均、欧州各国株の出遅れが目立つ局面は随所で見られました。
ただ、そんなときでも、最終的にはある程度は、日本、欧州は出遅れを取り戻し、米国株が伸びきったところで、追い上げましたが、もはやそういう状況は望めないようです。
まさに“パクス・アメリカーナ”の終焉と言えるでしょうね。いままでは、米国が豊かになれば、日本、欧州もおこぼれにあずかれるという「ウイン・ウイン」の関係でいられましたが、もはやなりふり構っていられないということでしょう。ついこの間まで米国が世界経済をけん引しているということを株価から実感できたのですが、もはやけん引する力がなくなったということです。株価の連動性が薄れたことが何よりも、厳しい現実を物語っています。
むしろ米国は自らが生き延びることに汲々としており、他国を蹴落とすことなど、いとわないでしょうね。金融緩和や通貨安で他国に迷惑を掛けたり、借金を踏み倒したりと、今後も手段を選ばず、何でもやってくるでしょう。
だから、いずれ大きな崩壊が訪れるでしょう。とはいうものの、いつまで米国株が高い水準を維持するのか、見通せず、長丁場も覚悟しなければなりません。一つ言えるのは、いつまでもこのような状態を続けるのは不可能でしょうから早かれ遅かれ、大きなツケを払わなければならない時が来ます。我慢強く待つしかありません。
米国の国家破綻に乗じて、あるいは蹴落として、生き残る準備を今から、しっかりしておく必要があります。テンションや根気を維持するのはなかなか大変ですが、信じて待つしかありません。
私なんか特にそうですけど、トレーダーは基本的には短気な人が多いし、相場のわずかな変化や動きに乗らないと利益を上げられないので、意味のない動きをする時間帯が長いと、本当にストレスがたまりますね。丹念に値動きや売買動向を追って相場を読み解いていく必要があるのですが、その一方で、あまりのめり込むと、冗談抜きで精神を病んでしまう恐れがあるので適度な距離感が必要です。
現在は、長らく世界をしてきた、欧米が衰退し、没落する真っ只中にあります。単に株が上がっただの下がっただのという、せこいレベルで物を見ていると大局を見失います。今、注目が集まっている消費税や、年金、福祉、健康保険をどうするかといった問題や政局も同様、従来の延長では対処できない状況なので、なるようになる(欧米が堕ちるところまで堕ちる)のを待ち、そこからスタートしないと、何事も始まらないのです。
家が火事に遭い、まだ火が燃え盛っていて、隣近所にも迷惑をかける恐れがあるのに、新しい家をどうするかという話をしているようなもので、鎮火し、すべての状況が明らかになるまでは、具体的な行動を起こすべきではないでしょう。もちろんある程度の想定はしておいて、いざ行動を起こすべき段階になったら、迅速に動けるように心構え、準備をしておくことは大切ですが。
いつも言っているように、現在の段階は欧米が没落に向かってはいるのですが、悪あがきをしているので、ちょっとした乱気流が起きているような状態です。大きな流れは変わらないのですが、生存本能が残っていて最後の命の火をともしているような状態です。
そりゃ、欧州は500年、米国は100年も世界を支配してきたのです。覇権を握ることのうまみや利権の上に乗っかっており、そうやすやすとは覇権を手放すことはしたくないでしょう。また、豊かさボケで、自分たちが没落の途上にあるとは認識できていないし、認識したとしても簡単には事実を認めたがらないという面もあるでしょうね。
NYダウは米国の財政破たん懸念から、昨年8~10月にかけて10500ドル近辺まで下げ、そこから13000ドル手前まで上昇しました。上昇幅は実に2500ポイント。
翻って日経平均を見ると、ダウと連動する形で、8100円あたりまで下落し、一応反転はしましたが、反発の勢いは弱く、9000円台にちょっと戻すのがせいぜいです。底値からは900ポイント上げたにすぎません。
一方、ドルは為替介入が入るので面倒なのですが、基本的には軟調(円高)に推移し、7月の80円台から、76~77円台で滞留する時間が長く続き、5%ほどの円高が続いているでしょうか。
円高を加味しても、ダウの異常な高さと、日経平均の低迷が際立ちます。日経平均だけでなく欧州、中国なんかも概して株価指数は底ばう時間が長かったので、金融緩和とそれに伴う通貨切り下げで、不当に米国が株価を吊り上げている構図がありありとうかがえますね。
ダウの水準からして、私は日経平均はすんなり、9000円、9500円、あるいは1万円の水準を回復できるのかとちょっとだけ期待しましたが、なかなか動いてくれませんでした。政策対応の力を借りてようやく動いたという感じで、インチキがなければ成り立っていない相場です。
米国株だけ突出して高いという状況は、リーマン・ショック前もありました、ダウの上昇に比して、日経平均、欧州各国株の出遅れが目立つ局面は随所で見られました。
ただ、そんなときでも、最終的にはある程度は、日本、欧州は出遅れを取り戻し、米国株が伸びきったところで、追い上げましたが、もはやそういう状況は望めないようです。
まさに“パクス・アメリカーナ”の終焉と言えるでしょうね。いままでは、米国が豊かになれば、日本、欧州もおこぼれにあずかれるという「ウイン・ウイン」の関係でいられましたが、もはやなりふり構っていられないということでしょう。ついこの間まで米国が世界経済をけん引しているということを株価から実感できたのですが、もはやけん引する力がなくなったということです。株価の連動性が薄れたことが何よりも、厳しい現実を物語っています。
むしろ米国は自らが生き延びることに汲々としており、他国を蹴落とすことなど、いとわないでしょうね。金融緩和や通貨安で他国に迷惑を掛けたり、借金を踏み倒したりと、今後も手段を選ばず、何でもやってくるでしょう。
だから、いずれ大きな崩壊が訪れるでしょう。とはいうものの、いつまで米国株が高い水準を維持するのか、見通せず、長丁場も覚悟しなければなりません。一つ言えるのは、いつまでもこのような状態を続けるのは不可能でしょうから早かれ遅かれ、大きなツケを払わなければならない時が来ます。我慢強く待つしかありません。
米国の国家破綻に乗じて、あるいは蹴落として、生き残る準備を今から、しっかりしておく必要があります。テンションや根気を維持するのはなかなか大変ですが、信じて待つしかありません。