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終わりの始まり

  8月2日が期限とされていた米国の債務上限問題は、米議会の与野党が財政赤字削減案で合意したことで、ひとまず、当面の危機は回避されました。合意内容については、詳細が分かりづらいのですが、ロイター通信によると、①裁量的支出(日本でいうと政策的経費のようなものか?)を今後10年間で9170億ドル削減②さらに最低1兆5千億ドル削減するための特別委員会を設置③特別委で十分な削減策がまとまらない場合、自動的に1兆2千億ドルの削減を実行する-ことが柱のようです。
  これにより今後、8~12カ月間、政府支出が賄えるようになるとのことですが、具体的に債務上限がどの程度引き上げられるのかは不明です。
  「8・2危機」は回避されたわけですが、米国債の償還、借り換えが相次ぐ、「8・15危機」を乗り越えられるかは依然、不透明な状況です。まあ、これも力技で乗り切りそうですが。
  債務上限問題がクローズ・アップされ、この1週間、アナリストやエコノミストは、さかんに「ギリシャとは違う」ということを強調していました。その理由として、米国経済に力があり、返済能力はあるのだということを挙げていました。
  農業と観光ぐらいしかまともな産業がないギリシャと比べると、そうでしょう。でも米国経済も、そんな大したものではない。もちろん、優良企業もたくさんありますが、移民受け入れで人口は大きい割には、それを養っていくのに十分な産業はあるとはとても思えない。
  先週発表された新規失業保険申請件数は数か月ぶりに40万件を割り込んで若干の改善はみられたものの、先週末発表された4~6月GDPは+1.3%と、市場予想(+1.8%)を大きく下回る状況。アナリストやエコノミストは、経済成長を根拠に「返済能力がある」としているようですが、これではおぼつかないですね。
  しかも、米国のGDPなど本当に実態を反映しているのか、疑わしい部分もある。しょせんは、金融ばくちと、不動産ころがしで成り立っている経済です。だからこそ、サブプライム問題で大変な事態に陥ったわけです。
  日本のバブル崩壊は、ちょっと行き過ぎた不動産、株価上昇に対するちょっとした反動にすぎなかったわけですが、米国の場合は、「自転車操業」が成り立たなくなったという、根本の違いがあります。
  さすがに米国債は最後の砦なので、現時点でそうやすやすと崩壊するわけにはいかないでしょうけど、フレディーマック、ファニーメイが乱発し、不良債権化した住宅ローンの問題はリーマン・ショック後、何も改善していないし、それどころか不動産価格の下げに歯止めがかからず、悪化の一途で、“隠れ借金”はどうにも手が付けられない状況です。
  さらに、米連邦政府は何とかなるにしても、地方レベルでは、どうにもならない状況。日本の金融機関なども相当ババをつかまされていると思いますが、不動産問題と合わせて、米地方債の問題も今後、注目されるでしょう。
  そうなると、リーマン・ショックをはるかに上回る規模の金融恐慌が起きる可能性は高い。そして、最終的に米国の国家破綻へと至るでしょう。
  一時的に、相場は盛り上がるだろうし、日本株に対しては、割安感があるのでしばらく、底堅く推移する可能性が高い。でも、一寸先は闇。あくまでも終末にむけての序曲にすぎない。心して臨む必要があります。

幸せな日々

  相場の推移を見る限り、米国の国家破綻は、一気に訪れるのではなく、じわじわと進行することになりそうです。さっさと、NYダウも、米国債も暴落すればいいものを、やはりそう簡単には、ゲーム・オーバーするわけにはいかないのでしょう。
  一見、相場は安定しているように見えますが、緊急事態に突入していると考えていいでしょう。小島慶子さんのTBSラジオ「キラ☆キラ」を聴きながら、ついでに昼ドラも見つつ、先物の板やドル・円チャートを気にして、あわよくば、ガッツリ儲けるという、まったりとした、平和な日々はもう来ないのでしょうね。さびしい限りです。
  普段から米国を敵視し、軽蔑し、馬鹿にしていますが、これまで、平和に暮らしていたのは、実は米国のおかげでもあります。米国が軍事的、経済的に世界のトップに立ち、それでつつがなく、安定した経済、社会生活を送れていた。そのことは率直に認めなければならない。
  でも、米国が他人の成功をねたみ、足をひっぱり、あろうことか露骨に資源の強奪や、金の無心や搾取を始めたところから、風向きは変わり始めました。米国が自らなすべき努力を放棄し、武力を背景に、身勝手なルールを押し付けるだけで楽に優位に立っていた時代は終わったのです。
  若者の内向き志向に対して懸念が高まっていますが、米国から学ぶべきことがあった時代は、もう20年ほど前に終わってしまいました。もちろん理工学、医学系の分野で、米国は世界一流の教育体制を維持しているし、政治、経済、社会などいわゆる文科系の分野でも、「帝国」の意向が反映されるため決して無視できません。
  でも、学ぶというよりは、ウォッチしてれば何とかなるというレベルなんですよね。心底、学びたい、学ばなければという分野は極めて少ない。一番大切なのは、学問を利用にして、いかに幸せになれるか、本当の豊かさを追求できるかでしょう。
  国民全体が欲ボケし、金融ばくちに興じ、そして没落していく米国には明るい未来があるとは思えない。一度、堕ちるところまで堕ちて、考え直してもらうしかないですね。
  私自身は、米国と一線を置いてきたつもりですが、やはり、今日この日に至るまで、直接、間接に良きにつけ悪しきにつけ、米国の影響からは逃れられないわけで、これは日本全体としてもそうでしょう。
  米国国家破綻のXデーと言われる、8月15日は、奇しくも太平洋戦争の終戦記念日です。日本ももう一度、焦土から復興するつもりで、国を建てなおさないとだめですね。
  個人的には、やはりどう考えても、日本が戦ったあの戦争は間違っていたと思いますが、間違った運命に翻弄されたとしても、日本のために戦った人たちには敬意を表さなければならないし、どういう状況でも、自分を犠牲にできる人がいないと、国家というものは成り立たないと思います。
  それは原発の収束作業にあたる決死隊の人たちも同様ですね。原発政策が誤っていたからといって、逃げ出すわけにはいかないのです。だから「心ならずも先の戦争で犠牲になった」という政府見解は間違っていると思います。
  8月15日には、戦没者に哀悼の意をささげたいと思います。

中国の底力

  中国浙江省・温州市で23日に起きた、高速鉄道の事故は世界に衝撃を与えました。日本でも翌日の新聞各紙は1面トップで大きく扱っていました。中でも朝日新聞は、中面や社会面でも、中国高速鉄道の技術上の問題点や、現場の模様を生々しく伝えており、かなり力が入っていました。
  全体的な論調としては、日本そして海外ともに、平たく言えば「中国そら見たことか」という感じでしょうかね。鉄道のスピードを上げることはできても、それを管理するシステムがしっかりしていないと、いずれ大事故が起きるであろうことは、事故前から各方面で指摘されていたことです。それに加えて中国では、「おから」と言われるずさんな工事もあちこちの現場で横行していて、建設上の不備も指摘されています。
  今回の事故については、海外のこうした論調に歩調を合わせるように中国国内でも批判が高まっています。そして何より、世界を驚かされたのは、事故原因の究明のあり方ではないでしょうか。衆人環視の中、事故があった先頭車両を地中に埋めてしまうという、世界的に見てありえない対応でした。いかに中国で、人命が軽んじられているかをうかがわせる象徴的なシーンであり、ショッキングでした。
  でも、こんなセンチメンタルな反応をしていても、中国という国とはまともには付き合えないでしょうね。中国は自分たちの目標に向かって意志を貫き通すでしょう。そのためには多少の犠牲を払っても何とも思わない。
  交通網を整備することは、国家運営上の重要な課題です。中国という国はやはり、長い歴史を持っているだけあってそれをよく熟知しています。かつて日本が満州国を建設した時、南満州鉄道が重要なファクターとなったことを思い出すべきでしょう。中国がチベットに鉄道を引いたのも同様です。鉄道、そして道路、現代では空路が政治、経済、社会、そして軍事面で、大きな意味を持ちます。
  日本でも、無駄と言われても、今でも道路整備に多額の公共事業予算が投入されているのは、やはり、それが必要だからです。東京都心と周辺部の高速道路網の貧弱さは、国力に直結する問題だし、今回の大震災で東北の日本海側の道路網が十分整備されていないことが分かり、人命や国土保全上問題があることが露呈した。ほかの地方でも同様の問題を抱えているでしょう。
  中国は、日本のようなナイーブな国ではなく、やると決めたことはやる国です。だから日本やヨーロッパから高速鉄道の技術を盗んででも、“独自”のものを確立してしまった。
  確かに、各国のメディアが指摘するように、今回の事故であらゆる分野で中国に対する信頼は失墜するでしょう。それでも、中国は意志を曲げることはないと断言します。
  貧しい国では、安上がりで高速鉄道を整備できるなら、のどから手が出るほどほしいわけです。ドイツや日本のように、金持ち相手にお公家様のような商売をしていては、物は売れません。中国はこれからも国内、ユーラシア大陸全体に高速鉄道網を拡大するだろうし、貧しい国にどんどん売り込んでいくでしょう。
  私たちは、そういう恐ろしい国と対峙して、生きていかなければならないのです。原発の放射能問題もそうですが、重箱の隅をつつくようなことをしていてはだめでしょうね。
  放射能は確かに人体に有害であるけれども、福島第1原発事故では、直ちに人が死ぬようなレベルではないし、すでに事故は収まりつつあり、現在まき散らされている放射能の量も、影響に個人差はあるでしょうが、がんになる確率を数パーセント引き上げる程度のものです。
  何よりも、私たちはこれから、セシウムの半減期である、30年後まで少なくとも、平常時より高い放射線量と付き合っていかねばならない。時々異常に放射線量が上昇するとかなら、警戒しなければならないですが、1号機、3号機の建屋爆発以降は、放出される放射能は一貫して減っているのです。なぜいたずらに不安をあおる必要があるのか?
  中国についても同様、個人の尊厳などというものは存在しないということを、今回の事故であらためてあぶりだされたわけですが、こんなことでめげる国ではない。すでに事故があった区間では、高速鉄道の運転を再開しているのです。1カ月も経てば、事故のことさえ、忘れてしまう人がほとんどではないでしょうか。
  はっきり言って、嫌な国なのですが、私たちは、中国からいろんなことを学ぶべきだし、付き合い方を考えるべきでしょう。しょうもない米国みたいな国と、つるむより、その方が、よほど刺激的だし、得るものは大きいはずです。
  日本も、これにめげず、世界中に「一番安全な」原発を売り込むくらいな貪欲さを見せてみてはどうか? 米国製の欠陥原発を即刻廃止する以外に、国内の原発を止める理由はないはずだが。

アナログ放送終了



  本日正午、東日本大震災で被災した、東北3県を除いて、地上アナログ放送が終了し、デジタル放送に移行しました。
  この数年で、薄型テレビの性能が格段に向上し、世帯普及率も高まっているので、時代の流れだと思います。しかし、“電子立国”日本としては、遅すぎはしないか。この意思決定の遅さは致命的とも言えるでしょうね。誰かがリーダーシップを取って、もっと早くやるべきだったと思いますし、まだ経済に勢いがあったリーマン・ショック前に実現していれば、日本の電機業界は違った展開をたどっていたことでしょう。
  韓国では、過去の植民地支配を許してしまった反省や、1990年代の経済危機を経験しているので、世界の流れに取り残されることに対して危機感が共有できており、国民全体に一体感がある。それがサムスン・グループや現代グループの活力につながっています。
  日本の場合は、米国に脅されたり、いかさま「グローバリゼーション」に対しては敏感ですが、本当に何が必要なのか、何をすべきかといったことについて、非常に鈍感です。
  当初、地デジ移行に難色を示していたというのが、ほかならぬ電機業界というのが、何ともやりきれませんよね。国全体の競争力向上や消費者のメリットよりも、ブラウン管テレビやアナログテレビ研究開発、投資回収にしか関心がなかった。巨額な投資を強いられる放送局側の意向も働いたともいわれています。
  こういう利害が対立する場面で、政治家が泥をかぶってでも、説得や調整に回らなければならないはずですが、だれも火中の栗を拾おうとしませんでした。

  意思決定の遅れが、国際競争力の低下に直結してしまう、同じような構図が、本当の意味での規制緩和、産業誘致、農業の国際展開、発電所などインフラの輸出、ハブ空港、中枢港湾整備などにあらわれていますよね。
  ブラウン管テレビが主流だった、10年前、シャープが日本のテレビをすべて壁掛け(薄型)にするという野心的な目標を打ち出しました。本来、業界をリードすべき、ソニー、パナソニック(当時は松下電器産業)などは、様子見を決め込んだわけです。
  それが市場に受け入れられるようになって、猫も杓子も薄型テレビに参入するようになりました。富士通やNEC、三洋電機、パイオニアなども、薄型テレビを出していたわけですが、体力のないメーカーは徐々に淘汰されていきました。国内市場だけではペイしないので、海外展開できる投資ができるかどうかということが分岐点となりました。
  薄型テレビ普及の過程で、液晶VSプラズマの戦いもあった。当初は、小型は液晶、大型はプラズマというすみわけがあり、シャープなんかもプラズマパネルを外部から購入し、商品ラインナップにプラズマテレビがあった時代がありました。ソニーもしかり。富士通なんかはむしろ、プラズマメーカーでした。
  ところが、薄型パネルの大型化の技術が急速に発展し、プラズマと品質、価格面でそん色のないレベルに達してしまった。プラズマテレビの筆頭格だったパナソニックは、液晶パネルの製造会社を日立と共同で設立する状況に追い込まれています。


  今では、テレビ用のパネルを自前でしかも国内で製造しているのはシャープと、パナソニックだけになってしまいました。他メーカーは台湾や韓国のメーカーからパネルを仕入れています。
  今年の株主総会でパナソニックは、プラズマと液晶の二正面戦略を余儀なくされていることに対して、株主から「過剰投資ではないか」と責め立てられました。しかし、プラズマ、液晶のいずれの工場も稼働率が非常に高い状態が続いており、現経営陣は2正面戦略を続ける方針をあらためて確認しています。
  しかし、今やテレビは「1インチ1000円」の時代です。売れ筋の32型や37型などは3~4万円も出せばかなりの性能のものを買えてしまいます。数年前まで「1インチ1万円」とか「5000円」と言われていたので、いかに価格破壊が進んでいるかがうかがえます。 
  日本企業は高い技術力を武器に、高付加価値のハードを売って稼げるところが強みでしたが、韓国、台湾勢に加え、中国が実力をつける中、そのビジネスモデルは崩れつつあります。
  私は物持ちがいい方なので、7~10年という長いサイクルでテレビを買い替えています。エコポイント制度を利用して、ようやく昨年11月に地デジ化し、3D機能も一応、導入しました、次に買い替える時は、どんなテレビになっているのか? 日本のメーカーは生き残っているのか? テレビの将来像がまったく見えません。
  おそらくネット接続機能やビデオ・オンデマンド機能なんかがさらに進化するのでしょうけど、それほど目新しい技術ではありません。何か画期的なブレークスルーはあるのか? 将来の道筋を示すことこそが、政治家や企業トップの仕事ではないでしょうか?

欧米の資産差し押さえを

  今朝発表された日本の6月の貿易統計は707億円の黒字。予想は1500億円の赤字だったので、かなりのサプライズということになります。大方、東日本大震災を引きずって、日本の経済活動が低迷していると予想していたのでしょうが、底力を見せつけたことになります。
  世界は日本を必要としているということです。日本の技術がなければハイテク分野は成り立たないのです。それと引きかえ、欧米って偉そうに威張っていますけれど、何か世界に貢献していますかね? 特に欧州。イラク、アフガン戦争や金融詐欺で暴走する米国を止めるわけでなく、今回の福島原発事故でも、とっくに最悪期は脱しているのに、情報収集能力の欠如から、いたずらに不安をあおる風説ばかり流していた。
  日々、マーケットに向きあっていると、欧米の動向に一喜一憂していますが、欧米が連鎖破たんするのはもはや明白で、日本は中国、ロシアなどと共同して、債権の保全に全力を傾けるべきです。血も涙もないと言われても、自己管理能力のない人間たちなのですから、仕方ありません。借りた金は返す、それこそがルールです。
  昨年、ノーベル平和賞をめぐって、欧州が中国に嫌がらせをしたのも、中国に対する警戒感があるためです。劉暁波氏はインテリなのですが、彼の思想や、論文などは別に何も目新しいことはない。彼の主張する中国人民の権利なんて、日本国憲法にすべて網羅されています。
  ギリシャショック後、中国が欧州に支援の手を差し伸べましたが、見返りにかなりえげつない要求をした。それは金を貸す側としては当然だと思うのですが、今まで日本のようなへなちょこな金貸しを相手にしていたので、欧州としては中国の態度にすっかりびびってしまった。こりゃいかんということで、ノーベル賞を使ってゆさぶりをかけたわけです。
  中国特有のがめつさはあるが、見習うべき点は多いと思います。欧州や米国と、仲良くしたところでこれ以上何のメリットもありません。借金を踏み倒されるだけのことです。そんな不毛な労力を費やすくらいなら、心を鬼にして、借金の回収に全力を傾けるべきでしょう。
  借金のカタに農地を接収するとか、有名企業の株を担保に入れさせるとか、中央銀行が保有する金を補償金に積ませるとか、積極的にやるべきです。
  来たるべき欧米の連鎖国家破綻の後、おそらく、欧米は中国人に席巻され、あちこちにチャイナタウンができることでしょう。我々もそれに負けてはいけません。さっさと、欧米での権益を確保できるようにするべきです。
  アラスカやカリブ海の油田、広大な小麦、大豆、トウモロコシ農場、優良企業の株式を、米国債の担保に差し出させるべきです。そのために日本は中国やロシアと共同しなければならない。そういう意味で、軍事力を強化する必要もあるかもしれない。
  欧米が世界を支配した時代は終わったのです。新しい時代は、役に立たない国家は淘汰されるということ。欧米はそう遠くない将来、アジアに占領されることになるでしょうし、日本は欧米での権益確保に本腰を入れるべきでしょう。