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公の意識と絆

さんてつ: 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録 (バンチコミックス)
さんてつ: 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録 (バンチコミックス)
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  3月中旬くらいまでは東日本大震災から1年ということで、被災地の現状とか、検証とか、さまざまな人間模様とか、いろんな角度、切り口の各種報道があり、本当に辟易させられるくらい、何度も何度も「絆」とか「頑張ろう」という言葉を聞かされました。
  そろそろほとぼりが冷め、これからは急速に関心が薄れていくでしょうから、ここで一度くらい、「絆」について取り上げておこうかと思います。
  震災を伝える、新聞、雑誌記事、テレビ番組、ルポルタージュなどは、本当に星の数ほどあり、薄っぺらで明らかに偽善的な香りのするものから、ちょっと心を打つものまで玉石混交ありますが、時間をかけて対象と向き合い、取材しているものは、非常に心惹かれるものがあります。
  私が興味深く、読んだものの一つは漫画「さんてつ 日本鉄道旅行地図帳 三陸鉄道 大震災の記録」(新潮社、吉本浩二作、552円)です。津波で路線が寸断され、現在も一部区間が不通の三陸鉄道が震災からわずか5日で運転を再開し、現在も奮闘が続く様子を描いたドキュメンタリーです。
  普段、漫画など、行きつけのラーメン店で少年ジャンプが置いてあるので、こち亀とワンピースその他をぺらぺらと読む程度なのですが、この作品は「日本の漫画ってすごいな」としみじみと思わせました。
  正直、この「さんてつ」は、絵が取り立てて印象的というわけでもなく、キャラクターが立ってるわけでもないのですが、全体にぬくもりが感じられ、丁寧に取材が行われ、事実に基づいた人間ドラマは迫力があり、胸を打つものがあります。
  また、具体的な鉄道の被害を通じて、大津波の威力がリアルに実感でき、あの災害がどのくらい恐ろしいものであったのか、ストレートに伝わってきますし、併せて三陸鉄道の社長、社員や沿線住民の生活がどう変わったか、そして過疎化が進む地域にとっていかに公共交通が大切なものであるかということを教えてくれます。
  小林よしのりさんなんかも震災直後に被災地入りし、漫画に描いていますが、画力、構成力もあり、それなりに迫力があるのですが、自衛隊の広報漫画かと思わせるほど、自衛隊寄りだし、立場は理解しているつもりですが、政治色もただようので、それほどは共感を寄せられませんでした。
  「さんてつ」も三陸鉄道応援漫画なのですが、列車を動かす現場や生活者など、目線が低く、非常に感情移入しやすいです。
  私が一番、心を打たれたのは、駅舎が破壊され、至るところで線路をがれきが覆い、社員全体に絶望的な空気が覆う中、望月正彦社長が「早く列車を走らせるぞ!」と檄を飛ばすシーンです。しかも運賃は1週間無料で。「地元の人が緊急事態で困っている時は金を取るべきではない」「それが、第3セクター、公共交通機関の使命」なのだと。
  原爆投下から3日後に広島では路面電車の運転が再開されました。それがどれだけ壊滅的な打撃を受けて、傷ついた被爆者を勇気づけたことか、さまざまな証言からも明らかです。
  震災後、三陸鉄道の片道運賃500円の切符を往路、復路500枚ずつ、1000枚購入し復興を応援した明治学院大の原武史教授は、三陸鉄道は、非常事態の中、いち早く走る姿を沿線住民に見せることで、地域に「安心」を与えたのだと、早期の運転再開した意義を強調し、「地域を支える鑑」だと英断をたたえておられます。
  JR尼崎線脱線事故以降、100%安全が確認されないと列車の運行は許されないという意識が高まり、JR東日本などは、復旧に慎重な姿勢を取っていますが(首都圏での運転再開も東京都営地下鉄、私鉄と比べ格段に遅れました)、安全を確保しつつも、大災害時により優先すべきことは何か、そして迅速に決断できることの大切さを三陸鉄道は提起した言えるでしょう。
  また、JRなんかだと、復旧に費用がかかり、採算が取れない場合は、そのまま廃線にしてしまうのではないかという懸念があります。合理化、経営効率化の名のもと多くの赤字ローカル線が廃止されましたが、鉄道が消えた地域は、より過疎化が進むという現実もあります。
  「さんてつ」では、震災後の一番列車には、大勢の乗客が詰めかけ、被災者の間には、安どの表情と久しぶりの笑顔が広がり、沿線の人ががれき撤去作業の手を止めて列車に大きく手を振るとともに、高台を見下ろす区間からは、津波が町を破壊し尽くした光景に乗客一同が絶句する様子が描かれています。
  また、鉄道の話とは別に、雪が降る中、学校を卒業したての若い警察官がペットボトルのわずかな水で、津波でヘドロをかぶった犠牲者の遺体を清める作業に一日中従事する話や、地域の民生委員の方が、ボランティアで遺体収容に携わり、一体一体に「頑張ってくれてありがとうね」「寒いけどがまんしてね」と声を掛けるエピソードも紹介されています。思わず涙腺がゆるんでしまいます。
  列車のこない駅舎を毎日掃除する近隣の人たちもいて、一人一人が三陸鉄道と地域を愛し、復興させたいという切実な思いがじわじわと伝わってきます。そういう人たちの思いが「絆」なのではないでしょうか。
  そしてその絆が、地域のことは地域で考える、何とかしたいという「公」の意識につながっています。地域の人の暮らしを支え、人々が災害で傷つき、心細さを抱えている時に、公が一人一人を照らす光となる。三陸鉄道はまさにその役割を担いました。
  津波よりずっと前に、卑しい欧米流の金融資本主義の波が世界を席巻し、地域社会や素朴な人と人との結びつきを破壊しましたが、日本にはまだ、金では買えない、かけがえのないものがかろうじて残っていたということでしょう。
  三陸鉄道の完全復旧には108億円がかかるそうです。地元では「そんな金があれば高速道路をつくれ」という声もあるそうですが、108億円で道路をつくれる距離は知れています。鉄道がなくなった地域が簡単に寂れてしまうのは先述の通りです。それよりも108億円で鉄道を復旧させ、地域の「絆」を再確認できれば、それこそ金には替えられない価値があるのではないでしょうか。
  「さんてつ」は定価552円。これだけの内容の漫画としては、破格の安さと考えていいでしょう。収益は三陸鉄道の復旧に役立てられるのだそうです。
  被災地の人と簡単に「絆」を結べるとは思えませんし、地域のことはその地域の人たちが考えるべきで、よそ者が必要以上に口出しする話ではありません。私たちにできるとしたら、地域の絆を再び復活できるように手助けすることだと思います。私が買った漫画がほんのごくわずかですが役に立てればと願います。偽善的行為なのですが、しないよりもした方が絶対にいい。ご興味のある方は今すぐにでも最寄りの書店に走ってご一読を。

危険な兆候

  スーパーの西友が3月から中国産米を5キロ1299円で発売しました。中国というと日本向けの農産品、加工食品の輸出が多く、食料基地なのですが、過去にさまざまな食の安全をめぐる問題が起きたことで、決していいイメージは浸透しておらず、消費者の側も安いけれども、恐る恐る手を出すという感じでしょうか。
  中国産米といっても、品質管理は日本側の基準に基づいて行われているでしょうし、米の品種もジャポニカ種だそうですから、土地や水の違いで、微妙に日本産米とは異なる部分はあるでしょうけど、それなりの品質は確保できているでしょうから、総合的に判断すると決して悪くはないと思います。
  個人的には、昨年末に正月用にと中国産の落花生をいただいたのですが、おそらく日本人の高い要求に応える基準をクリアして出荷されたのだと思うのですけれども、とてもおいしくて、本当に食べだすと止まりませんでした。
  落花生がやみつきになってしまい、JR上野駅でやっていた千葉県物産展で、高級とされる特産の落花生を買って食べたら、中国産に慣れたせいもあって、そんなにおいしいとは感じられなかったんですよね。千葉県産の落花生を食べ終わった後、中国産の有機栽培の落花生を近くのスーパーで買って食べたら、これがまたおいしかった。
  こういう経緯もあるので、私自身は、中国産に対する抵抗はあまりないのですが、主食の米となると、ちょっと別ではないかと思っています。
  西友で中国産米が発売された初日、夕方のニュース番組で日本産、中国産、米国産の米を街で食べ比べてもらう調査をやっていたのですが、日本産米がそれなりに評価を受けたものの、中国産、さらには米国産もそこそこ好評で、「あまり味に違いはない」という声が出ていました。
  中国、米国でも、日本人の嗜好に合わせた米について研究しているし、栽培方法も工夫しているので、ちょっと食べ比べただけでは、よほど敏感な人でないと、違いが感じられないかもしれません。でも、日本産の総じて品質の高い米を食べ続けていると、微妙な味の違いは識別できるのではないかと思います。
  人それぞれ生まれついた体質があって、穀物は合う合わないが顕著です。私の場合は、まさに米が体質に合わないと、絶大な信頼を置くかかりつけ医から言われていて、小麦粉やそば粉を中心とした食生活だったのですが、漢方薬で体質改善し、現在では体に合わない食物はなくなりました。
  また、同じ穀物でも、産地によってこれまた、その人に合う合わないがあるようで、日本産米が合わないけれども、中国産米は合うという人もいて、そういう人にとっては、中国産米の発売開始は、まさに朗報と言えるでしょう。
  そうは言うものの、地元でつくられた食物にこだわりを持ち、食べ続けるというのは、地域や日本全体の一体感を保つ、重要かつ数少ない機会だし、B級グルメブームに象徴されるように、地域活性化、ひいては日本経済の活性化につながるポテンシャルを持っています。学校給食なども大切な役割を果たしていますね。
  日本人が生産に関与しているので、中国産にせよ米国産にせよ、作られた米はかなり完成度が高いと思います。ただ、作り手の思いや、生産地、生産者が見えるという点では日本産米には太刀打ちできないと思います。
  日本人の気質や風土、めぐまれた環境、きれいな水によってはぐくまれた日本米は、どんなに肥沃な土地であろうと、低農薬で効率的に生産されようと、中国や米国の米とはモノが違います。
  私は体質的に合わなかった米を控えていたのですが、気にせずに食べられるようになり、米にはそれなりにお金をかけています。現在は、高級炊飯器と5キロ3500円の魚沼産米を毎日のように食べています。食生活自体は米と味噌汁と納豆が基本で、シンプルなのですが、おいしい米を食べると、十分満足感が得られ、テンションが上がります。外食すると、米の質がやはり気になりますね。
  安価でそこそこ質が良い輸入米が流入することで、何より気になるのは、食を通じて格差が広がり、さらに国が分断されることですね。
  これまでは所得の差はあっても、日本人ならば、食べているものにそれほど差はなかったのですが、格差が固定化することで、明らかに生活圏、生活の質が分断されようとしています。日本の流通、外食産業は一生懸命頑張ってしまうので、安くてそれなりに満足感が得られる食品を提供してくれ、頭が下がるのですが、それでも限界があります。
  やはりいいものを食べようとなると、それなりにコストがかかります。細かいところの気配りや心の込め方も違いますから、同じようなものを食べても食後感は異なり、質のいいものを食べると、気の持ちようが違うし、おざなりなものを食べると、やはりどこかですさんでしまう部分があります。
  すでにいろんな形で入り込んでいると思いますが、米国産なんかの得体のしれない遺伝子組み換えや、農薬が使われている食品がこれからもどんどん輸入されるでしょうね。今はまだアレルギーが強いですが、徐々に抵抗感がなくなり、違和感なく溶け込んでしまう日がそう遠くない将来来る可能性が高そうです。
  食に関して平等で、しかも質に敏感であったからこそ、日本人独特の感性がはぐくまれ、日本経済が長きにわたって強さを維持できた部分は大いにあると思います。日本のマーケットは日本人の品質に対する厳しさを反映して、世界一レベルが高いのです。それが、安物の輸入品の流入で崩れるのは、憂慮すべき事態ではないでしょうか。

桜散りゆく



  先週から、いつの間にか始まった、“桜シリーズ”ですが、そろそろ桜散る時期になってきたので、いったんここで一区切りとしたいと思います。
  せっかく春が訪れ、これからプラスのエネルギーが本格的に充満する季節なのに、世の中、あちらこちらにマイナスの気が充満しています。金融市場なんてその最たるものですよね。落ちぶれた欧米人が延命を図るために運営しているわけですから、そんなものからまともにエネルギーを取り込めるわけがありません。というか、気を奪い取られてしまいます。
  普通に仕事をしていても、世界全体がどんよりしたムードに覆われているので、プラスの気に包まれた、幸せな人と接する機会なんて稀です。だから、対人関係にも気を使わないと、こちらまで沈んでしまいます。
  自然は本当に素直です。春が来て空気が暖まれば、生命活動が活発になります。桜の花はその象徴ですね。だから、せめて桜の生命のエネルギーにあやかって、乱れた気を整えたり、活力を受け取りましょう。
  桜に限らず、これから咲く花や、生まれたばかりの赤ちゃんは、存分に恵みを受け、命の輝きを放っています。小難しいことを考えず、心の底から新しい生命、命の息吹を祝福できることこそ、自分自身が幸せになれる第一歩でしょう。




  学生時代、年配の先生が「この歳になると満開の桜を見ることができるうれしさをしみじみと感じる。来年は果たして同じように桜を見られるか分からないから。君たちのような若い人にはまだこの感覚は理解できないだろうけど」とおっしゃっていたことを思い出します。
  まだその先生の年齢には達しないものの、最近は少しずつ、その言葉の意味が分かるようになってきました。昨年は3月に東日本大震災が起き、東京電力福島第1原発事故の収束の見通しも立たず、その中で迎えた桜のシーズンでしたが、大きな余震が続き、東海、東南海地震、首都圏直下地震を誘引し、「地震で死んでしまうのかなぁ」と思ってみたり、「放射能を浴びて長生きできないかも」と思っていただけに、何とか震災を生き延び、満開の桜を見られたことに、何か運命を感じました。
  今年は、昨年ほどの緊迫感はないものの、“人災”による大パニックが目前に控えており、自分自身のみならず、日本全体が難局を乗り切っていけるか、祈るような気持ちです。今年は何とか平穏の中で、桜のシーズンを終えつつありますが、来年の今頃は、どうなっているだろうかということを考えると、桜吹雪がとても切なく感じます。




  それにしても、今年ほど桜をよく観た年は、人生でもありませんね。とにかく、金融市場はじめ俗世間とかかわっているとろくなことがありません。
  みんなはっきりと何が起きるかということは分からないものの、うすうすと感じているんですよね。「このまま平穏に物事が進むはずはない」と。だから、世の中全体、どんよりとした空気に覆われています。
  マイナスの気を払しょくするためには、自然のプラスの気を受けるしかありません。人間の小賢しく、浅はかな考え、行動、営みなど超越し、素直で純粋な生命活動の息吹を感じることで、癒され、活力を得るのです。私たちだって自然の一部にほかならないわけですから、自然が発するプラスの気を受ければ、いい影響があるに決まっています。
  ということで、冬場に活動力が落ちたこともあり、体全体を目覚まさせるために、時間を見つけて、都内各所の桜の名所をできる限り訪れてみました。




  上野公園、深川(門前仲町、森下)、隅田川周辺、浅草、井の頭公園、国立、芝・大門、六本木、飛鳥山公園、新宿御苑といったところです。
  急に思い立って行動したので、事前にいろいろと調べていれば、都内に限らず、近郊の名所などにも行けたでしょうが、これは来年の課題ということで。
  桜がどのように咲いて、満開になり、散っていくか、つぶさに観察したのは、初めての経験でしたし、普段、見過ごしてしまいますが、「さくら通り」「さくら街道」「さくら広場」「さくら公園」などなど、「桜」を関した地名、ランドマークがいかに多いか、そしてそういう場所は名前にたがわず、桜が咲き誇り、印象的です。こういうことに気付くのも桜のシーズンならではですね。いろいろ勉強になりました。


  桜が咲いているのは10日ほど、遅咲きのつぼみも含めればせいぜい2週間といったところでしょうか。1年のほとんど、300日以上は、桜には無関心だし、蛾が好んで卵を産み付けて毛虫がわいたり、私の祖父母が住んでいた空き家は、庭先の桜にシロアリが棲みつき、結局、昨年取り壊す羽目になるという、実は面倒くさい植物なのです。
  それでも、桜はパッと咲き、パッと散っていき、その様がとても潔く、日本人の心情にとても訴えかけるものがあります。
  来年まで桜が咲き誇る風景を見ることができないと思うと、さびしい限りですが、名残惜しさがまた桜の美しさを引き立てるのでしょうね。
  桜に限らず、これからは、いろんな命が輝く季節ですから、いろんな風景を楽しみながら、季節の移り変わりを楽しみたいものです。そして自然からたくさんの気を受け取りましょう。

お天道様はみている



  地球上のすべての生物は太陽の光なしでは生きていけない-。欧米人の最も醜い部分は、自分たちが生き残るためには、なりふり構わず、何をやっても許されると考えられていることです。経済がうまく回っていた時代は、そういう野蛮な性質は鳴りを潜め、政治、経済システムは世界のお手本となり、文化的にも世界の先を行く“文明人”だと思われてきましたけど、この10年ほど、特にリーマンショック以降は行き詰まりがはっきりしてきて、再び本性を現そうとしています。
  彼らの行動原理はシンプルです。自分たちの保身のためには、他人から搾取することなど日常茶飯事だし、人を殺す(結果になる)ことだって平気です。自分さえよければいいのです。




  欧州全体、あるいは米国が復活するために、一丸となるというのであればまだしも、欧米の中でもほんの一部の指導者層、貴族、エリートが自分たちの立場を守ることだけに汲々とし、一般大衆を救済し、底上げを図ることで復活を図るという発想は皆無で、インチキを仕掛けて、あり得もしない“一発逆転”を狙っています。そんなことをしてまで生き残りたいのか、生き残った後どうしたいのか? 疑問ですね。
  ただ、いたずらに他人を支配したい、世界の主導権を握りたいという意地汚い思惑だけは見え隠れしますが、世界全体のことを考えて、どうすれば幸せになれるかという視点はみじんもなありません。果たして、支配欲を満たすだけで、当の本人たち自身が幸せなのか? 本人たちはそれが楽しくて仕方がないのかもしれませんが、根性がひん曲がっているし、やはり、本質的には精神的に問題があるか、頭が悪いのではないかと思わざるを得ません。






  最近の日本人は、欧米のスタイルに感化され、伝統的な価値観からすると、「恥ずかしい」と思われることも、違和感がなくなってしまい、本当におかしくなりました。
  貧すれば鈍するというか、冷戦終結で米国の外交方針が「日本叩き」「金融支配」に方向転換し、徹底的に経済が破壊され、国富を搾取された結果、間違った方向に欧米に感化され、あるいは洗脳、マインドコントロールされてしまいました。
  1997年に山一證券が経営破たんした時、「社員は悪くない」と涙ながらに訴えて、かばった社長は、「人前で泣くなんて、欧米のビジネス常識からは考えられない」と欧米人のみならず、日本人からも嘲笑の的となりましたが、実に立派でした。今、社員の生活のことまで考えて、涙を流せる経営者が世界のどこにいるでしょうか?
  リーマン・ショック後、山一の社長に卑しい笑いを浴びせていた連中は、虚業からの撤退を余儀なくされ、元々は能力がないので誰からも相手にされず、醜態をさらしています。
  モノづくり大国を掲げながら、リストラや派遣切りを断行した、自動車、電機メーカーの経営陣も罪深いですね。過酷な負担を弱者に押し付け、自分たちの経営責任は棚に上げ、高い報酬だけもらって逃げてしまうという、それこそ山一の社長の爪の垢を煎じて飲んでみてはどうか。
  ずさんな安全管理から、深刻な原発事故を起こし、多くの人の生命、健康を危機に陥れ、財産を奪い、日本経済を混乱させた東京電力の会長、社長は、史上最悪の不祥事を起こしながら、「切腹」(自殺)せず、のうのうと生き残り、組織の温存を画策さえしています。




  欧米の支配者層、それに盲従する日本の政治家、官僚、大企業トップは、天地神明に誓って後ろ暗いことはしていないと言えるでしょうか? 骨の髄まで荒廃してしまった彼らのことだから、その認識すらなく、何事も前向き思考でポジティブに考えてしまうんでしょうね。たとえそれが他人に害悪をもたらすことであっても。
  借金返済能力のない人に、無理やりローンを組ませたり、あるいは消費意欲をいたずらに煽って、住宅や車、家電製品を買わせて、それで売り上げや利益を上げることに対して、罪悪感とまではいかないまでも、違和感を感じなかったんでしょうかね。そんな経済が長続きするとでも思っていたんでしょうかね。もし、「そんなことはみじんも感じなかった」と言うのであれば、為政者、経営者としては失格です。
  民間がリスク抱えながら事業を行うのではなく、国が借金を繰り返して公共事業を行うことで、金融機関がほぼノーリスクで利子収入を得て、事業を受注した人たちが細々と延命していく、こんな経済体制をいつまで続けられるのでしょうか?
  後ろめたさを抱えながら、やっているのならばいいですが、日本のエリート層は何の疑問を感じない、無自覚な人がほとんどなので、救いようがないですね。米国に完全支配されたことによる最大の弊害です。


  何も聖人君子になれと言っているわけではありません。いつの時代も、生きて行くということは、大変なことだし、きれいごとだけではやっていけません。
  ただ、明らかにおかしいこと、自然の法則に反していること、むやみに他人、他者(物)に犠牲を強いることを続けているといずれは破たんが訪れます。
  さまざまな矛盾、歪みが積み重なり、にっちもさっちも行かなくなってしまったのが、欧米主導の現在の世界の現状です。本来あるべき姿、自然の状態、あるいは均衡点からかけ離れており、いずれ揺り戻しが起きるでしょうし、その過程で激しい波乱、混乱が起きることでしょう。
  自然の法則を無視してまで、現在の状態を続けることはあり得ないし、無能で他人に不幸を押し付ける欧米の指導者層がいつまでものさばっていられるほど甘くはありません。お天道様はちゃんと見ているのです。

やっておくべきこと



  春になると、リフレッシュして何か新しいことが始まる予感がします。実際に新年度に入り、進学や就職、転勤、配属替え、独立などなど、新生活がスタートした人も少なくないと思います。
  これからエネルギーが充満する季節であり、期待で胸が躍りますが、世界情勢や金融市場に関しては、残念ながら従来の延長上で、何ら新しいことは始まりそうにないということだけは確認しておきたいと思います。
  せっかくテンションが上がりつつある時期に、腰を折るようでとても恐縮ですが、このことは厳然たる事実であり、こういうところを客観視できないようだと、前のめりになりすぎて、あまりいい結果をもたらさないでしょう。




  基本スタンスとしては、以前にも触れましたが、①乗れるところだけ乗る②わずかな利益でも勝ち逃げする-の2点ですね。大きなチャンスは2、3カ月に1回あるかどうかですから、あまり欲張らず、風向きが変わりそうなら、さっさと利食いしてしまうというのがベストだと思います。
  欧米の経済状況が悪化の一途をたどっていることに変わりはなく、ここから改善する見通しは何一つありません。そもそも、欧米人がつくった世界経済の枠組みはもはや持続不可能なところまで来ており、今までの延長上では、何も新しいものは生まれないと考えた方がいいでしょう。
  一人一人の能力を高め、経済全体を強くしていこうという発想はなく、もう一度金融ばくちをやって負けを取り戻そうとか、塩漬けになった不動産をどう処分するかというような視点でしか物を考えていないので、これが続く限り、欧米が復活するということはありえないのです。
  戦争や混乱を起こして、一時的に存在感を示すことはあるかもしれませんが、イラク戦争当時同様、錯覚にすぎず、勤勉とか地道な努力といった、真っ当な考えを捨てた欧米人に明るい未来が訪れるはずはありません。
もうそろそろ、世界全体が疲弊しつつあるので、本当に新しいことを始めたいと皆が思っているのですが、ダメ人間が主導権を手放そうとせず、もうしばらく、理不尽な状況が続くことになりそうです。




  こういう状況では、いずれ矛盾が限界点に達して、大崩壊とパニックが訪れ、乱気流に巻き込まれることは必至でしょうから、本格的な資産形成などという下手な考えは起こさない方がいいと思います。
  短期的に稼げるところで稼ぐ、そして高望みしないというのが賢明な行動でしょうね。やりにくい環境なのですが、時々は値動きが分かりやすい局面もあります。数少ないチャンスをものにするための努力が必要です。
  そのためには、分かりにくいところでは放置する。先日、「プロとしてありえない」云々のコメントをいただきましたが、値動きをリアルタイムで把握するなど不可能と思った方がいい。一般投資家でもしかしたら世界に一人くらいそういう人はいるかもしれませんが、実力なんてピンからキリまでで、ずば抜けた人はいるにはいるのでしょうが、生き残っていくには、どこまで確実性の高いトレードをできるかが分かれ道ですね。
  プロだったら相場の値動きが分かるというのは勘違いも甚だしいし、相場のことを何も分かっていないから、ああいうコメントになるのでしょう。頭悪いことはなはだしいですが。
  本当に数少なくなってしまいましたが、確実に稼げるチャンスはあります。それを根気強く待つしかありませんね。
  



  それとこれも基本認識として押さえておきたいのですが、金融市場は完全にバクチ場と化しているということです。お金という紙切れを取り合いしているにすぎません。実体経済の動きに裏打ちされた、景気循環の要素ももちろんあるのですが、その要素はどんどん薄れて行っています。
  要は「金利相場」だということです。金融緩和でお金の蛇口が緩んだり、金利低下でお金が流通しやすくなると、株価が上がるという。為替の場合はドルの価値が下がってしまうので、それに合わせて日銀が金融緩和すれば(あるいは為替介入すれば)ドルの価値が維持されるというからくりです。それさえ把握していれば、大きく振り回されることはありません。




  日経平均が9000円を超えようかというとき、「ショート仕込みましたがどうでしょうか」「何で買っているのか分かりません」という、これも“頭の悪い”コメントをいただき、厳しく切り返してしまいましたが、感覚としては間違っていないんですよ。
  人為的な政策介入を行うなどして、何らかの手を打たないと、現在のような形で金融市場を維持できないのです。放置したら奈落の底に行くしかありません。本当はショートが正解なのです。
  ただ、あの場面では、上下どっちにいってもおかしくないので、安易に一方向に賭けるというのはやってはいけないし、前後の状況から、テクニカル面も含めて、上昇期待が高まっていたので、動いた方に乗るべきです。下がる根拠もあるし、心情も理解できなくはないのですが、勝手な思い込みだけでポジションを取るのは危険です。
  「このままいくと下に落ちるぞ」と脅して政策介入を催促し、結局、2月14日の金融緩和で、決着がつきましたね。ショートがしにくい局面では、何かあると考えた方がいいでしょう。




  相場に関しては、しばらくは今のままの状況が続きそうだし、新しいことは何一つ始まりそうにありません。だから、あまりのめり込まず、肩の力を抜き、適当にお付き合いするというスタンスでいいと思います。
  今のうちやっておくべきことがあるとしたら、やはり、“有事”に備えておくべきですかね。この金利相場はいつまでも続かないでしょう。続くとしたら猛烈なインフレーションが起きることを覚悟しなければなりません。そうなると、紙のお金に対する信用は著しく低下するでしょう。
  どういう展開になるのか想像がつきませんが、いずれにせよ、紙幣のように浮ついたものでなく、資産は価値が安定するものに替えておいた方が無難です。
  数カ月に一回、相場の波に乗り、利益が出たら、ゴールドや、価値が安定した貴金属なり商品なりをコツコツと買っておく、これしかないですね。
  春になったからといって、何かを刷新したり、全く新しいことを始めるというのは難しいし、下手に動かない方がいいと思いますが、地道に次の時代に向けて準備することは大切です。