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袋小路

  外国為替市場で、ドル・円は8月19日(米ニューヨーク時間)に1ドル=75.90円台と史上最高値をつけました。東日本大震災直後の3月17日につけた、76.25近辺がサポートと考えられており、3月以来、2度にわたる為替介入でこのラインを防衛していることから、簡単には割れないと(一般的には)思われていたラインであり、この事実を重く受け止める必要があります。
  なぜ、このタイミングで史上最高値をつけてきたのか、背景をよく考える必要があります。まず、バイデン米副大統領が中国、そして日本を歴訪のさなかに相場が動いた。そして、深押ししたり、安値でうろうろすることなく、75円台をつけてすぐに反発したということで、何らかのメッセージであるということです。
  金融市場では、S&Pによる米国のソブリン格付け引き下げにより、一時、米国の債務問題がクローズ・アップされましたが、目下、ユーロを取り巻く情勢の方が緊迫しており、米国よりもポルトガル、スペイン、イタリアの方が先に逝ってしまう可能性が高い。
  だから、世界中の資金が“質への逃避”ということで、米国債へと向かっている。米国債の償還、借り換えが相次いぎ、“Xデー”とされた8月15日を乗り切れたのも、ユーロ危機があったにほかならないということでしょう。
  一部のマーケットコメントでは、対円でのドル安の要因には、米国債が堅調で、利回りが極めて低く保たれているということものがあります。一面の真実ではありますが、では、なぜ米国債を買うためにドル資金需要があるにもかかわらず、ドルが売られるのか? それでは説明がつきません。
  欧州の次は米国。目端の利く世界の投資家は、もう気づいています。金価格の高騰は、それを裏付ける状況証拠ですね。資源価格も一時と比べると落ち着いていますが、米ドルの価値が下がっているので、実質的には(米国やドルの大量保有者にとっては)価格が上昇していることになります。
  円高、金価格高騰、資源、食糧価格の高止まりで、ドルはじわりじわりと紙屑と化しつつあります。だから、ドルを持っていても実質的には価値は目減りし、質への逃避になるのか疑問を投げかけざるを得ない状況になっています。ユーロから逃げ出したのはいいけど、泥船から泥船へと乗り移ったようなものです。
  最後の大きな泥船をどうやって沈まないようにするか? あるいは、沈むのを遅らせるか? バイデン副大統領が、中国、日本を行脚して、「何とかしてくれ」と頼みに来たということでしょう。日本に対しては、お願いというよりは恫喝であり、米国の都合通りに振付させられるに決まっています。
  中国は、外交辞令で、米ドル、米国債を支持し、信認するとの立場をとっていますが、バイデン副大統領が帰国すれば、何が話し合われたのか、米国にどう対峙していくか、ヒントを示してくれるでしょう。
  日本は、これから何度、為替介入させられるかですね。次の総理大臣は、間違いなく、米国のおめがねにかなった人物が就くのでしょうから、大量出血は免れないでしょうね。小沢一郎・民主党元代表のグループの動向が注目されますが、主導権を握れない以上、あまり期待できそうにありません。
  悲しいことに日本があてにならない以上、中国の動向に神経質にならざるを得ない。米国を植物状態でも何とか延命させる案があるのか? それとも、米国を計画倒産させて、中国が覇権を握るのか? 世界情勢は中国次第です。今まで以上に注意深くウォッチしなければなりません。
  いずれにせよ、米国が袋小路にあるという事実には変わりはなく、日本は巻き添えを食らって、悲劇的な状況に陥る危険性が極めて高い。国をあてにせず、厳しい時代を生き抜いていく覚悟が必要です。

テレビってすごいの?

  フジテレビの最近の韓流への傾倒ぶりが目に余るということで、週刊誌で批判的な記事が出たり、近々デモが予定されているようです。
  確かに、フジに限らず、どの局も多かれ少なかれ、韓流ソフトに頼っている部分もあり、「ちょっとうざったいな」と感じることもあります。竹島問題をめぐって、日韓がやや緊迫している時期でもあり、だからこそ、敏感になっている部分もあるのでしょう。
  韓国が国を挙げてソフト戦略を打ち出しているのに対し、日本はアジアをはじめ世界を魅了してやまないソフトが膨大にあるのに、それをうまく生かせていないことに対する、やっかみ、いら立ちみたいなものもあるかもしれません。
  ただ、日本が経済面でも、米国に対して弱い立場にあるのと同様、他国のマーケットに依存すると、逆にリスクを抱えることにもなります。韓国が対日ビジネスにずっぽりはまって、抜けられなくなったときに、例えば、「竹島を韓国領とする韓国人アーチストの活動を禁止する」みたいな政策を打ち出したらどうなるか? はしごを外されることになるでしょう。
  以前に別の記事で触れましたが、内需が弱く、外需頼みの経済というのは、あらゆる面でハンディキャップを負うのです。日本は自動車産業が米国市場に依存しているので、昨年、米国でクローズアップされた、プリウスの不具合問題では、ほとんどヤクザの因縁に近い、理不尽な要求に屈してしまったのです。
  だから、韓流については、こちらの方が立場が強いわけであって、むしろ「いざとなれば、肉を切らせて骨を断つよ」くらいの姿勢をちらつかせる程度でいいのではないでしょうか? 向こうはビビると思いますよ。
  まあ、それより何より、たかだかテレビのことじゃないですか。見たくなければテレビを消せばいいんですよ。そこまでして、テレビをつけっぱなしにしておかなければならない理由ってありますか? テレビ局はそれが一番怖いはずです。
  それにある試算によると、節電で一番効果があるのが、「テレビを消すこと」なのだそうです。テレビを消して、ほかに有意義な時間の使い方を見つければ、そちらの方がめっけもんなわけで。
  逆に言うと、これだけテレビのことで大騒ぎになるのは、私たちの生活が、テレビに相当食いこまれているということでもあるわけですよね。テレビに振り回される生活、人生なんて、さびしいし、情けないではないですか。
  テレビは一つの手段であって、目的ではないわけで、テレビのためにわざわざ、この暑い中、デモをやるなんて、それこそテレビが何よりも大切だと思っている証左でテレビ局の思うつぼではないでしょうか。
  テレビに限らず、何事も適当な距離感を持つことが大切ですよね。テレビというのは、情報を得たり、気軽にエンタテインメントを楽しんだりする、一つのツールであって、すべてではないわけです。
  北朝鮮みたいにメディアの選択の幅がなかったり、一種の洗脳の手段であったりするならば、それは問題ですけれど、テレビのスイッチを切っても、ほかにもたくさんの選択肢があります。テレビ局自体が、それを痛感しているはずです。
  最近は手っ取り早く結果を求める風潮にあるので、ニュース番組でも、バラエティーでも、ドラマでも雑なつくりの番組が多いのは事実で、テレビを見ていてつまらないなと思うことは多いです。韓流ブームも手軽かつ安全に視聴率をそこそこ稼げるからやっているのでしょう。
  でも、結局飽きられたり、つまらないとそっぽを向かれたりしたら、それで終わりなわけで、テレビ局が自分で自分の首を絞めているようなものです。
  たかだかテレビごときでたいそうに騒ぐのはどうかと思います。と言いつつ、長々と文章をかいてしまった。テレビに毒されてますね。完全に。

祈りの日



  お盆ということで、お墓参りに行けないということもあって、先人の労苦をしのび、敬意を表するために靖国神社に参拝してきました。8月15日は終戦記念日であるとともに、1971年のニクソンショックから40年を迎える日でもあります。
  今年は、東日本大震災、東京電力福島第1原子力発電所の事故が起き、そして、現下の緊迫した金融状況に見舞われるという特別な年であり、ぜひ参拝しなければならないと思っていました。


  昨年も8月15日に靖国を参拝したのですが、今年は平日ということもあり、東京メトロ・九段下駅の改札を出るとすぐに行列ができていた昨年と比べると、人出はかなり少ないようでした。とはいえ、毎年この日は靖国周辺は特別な雰囲気に包まれます。


  神社の本殿に向かう参道には、例年のように「戦没者追悼中央国民集会」のテントが設営され、愛国を鼓舞する集会が開かれていました。
  私が通りがかったのは11時半すぎでしたが、ひげの隊長こと佐藤正久・参院議員(自民)が演壇に立ち、一席ぶっていました。昭和天皇の玉音放送を引用し、「国民が団結して震災後の苦難を乗り越えていかなければならない」と呼びかけていましたが、わかりやすくいいメッセージだったと思います。大きな拍手が起きていました。


  人ごみの中、ようやく本殿にたどりつきましたが、参拝するには長い列に並ばないといけないので、横っちょの方でそっと手を合わせました。


  日本武道館の政府主催の追悼式と連動して、午前11時53分に君が代斉唱、菅直人総理大臣の式辞と続き、正午の時報の後に、1分間の黙とうがささげられ、天皇陛下のお言葉へと続きました。
  靖国の杜全体が祈りに包まれたのですが、遠くからかすかにアホ右翼の「天皇陛下、万歳!」が響き渡り、静寂が破られた感じ。目つきの悪いチンピラがたばこのポイ捨てするのもしっかり目撃し、神聖な日に何をするんだと怒りがこみ上げました。





  これも例年の光景なのですが、神社周辺には、法輪功の人たちや台湾独立派、尖閣、竹島を守れと叫ぶ人々、菅総理の北朝鮮関連団体献金を糾弾する署名・・・などなど、面倒くさい人たちがたむろしていました。
  こういうの、いい加減やめませんか? それそろ成熟してもいい頃だと思います。敵の敵は味方という発想があるのでしょうけど、何が大切か見極めるべきでしょう。
  今も昔も日本の敵はまず米国です。戦前は米国の罠にまんまとはまり、内通者が国を売ったことで、しなくてもいい戦争に引き込まれ、悲劇を味わったのです。日本に情状酌量の余地はあるにしても、やはり国策として間違った戦争だった。
  そして、今、再び金融詐欺国家、米国にだまされて、奈落の底に落ちようとしているのです。もちろん米国が世界帝国としてのプレゼンスを失えば、日本は自分の力で、尖閣や竹島、北方領土など、周辺国との間で、やっかいな問題を解決しなければなりませんが、目下、集中すべきなのは、どうやって米国と決別するかです。
  ただ、野田佳彦次期総理大臣就任が濃厚となる中、日本は堕ちるところまで堕ちるんだろうなと、私は半分あきらめています。繰り返しの為替介入や米国債購入で、どん底まで行ってしまうでしょう。
  戦前も今も、日本の指導者層やインテリがアホであることに変わりありません。靖国神社は過去の過ちと向き合い、国体を護持するためにどうすればいいか考える場でもあると思うのですが、まあ、また痛い目に遭わないと何も学ばないのでしょうね。
  なでしこジャパンの勝利は、胸のすく出来事でしたが、あれは実力ではなく、“神風”です。今の米国の凋落ぶりを表したものだったからこそ、ああいう不思議な勝ちが舞い込んできたのです。普通に考えると、日本の負け試合でした。その事実を忘れてはならない。
  いっときの幸運に浮かれ、結局、はしごを踏み外してしまう。これこそ、戦前戦後、私たち日本人が何度となく繰り返してきた過ちだと思うのですが。
  来年の8月15日はどういう状況で迎えることになるのでしょうか? 「靖国で会おう」。胸が苦しくなるほど、この国を愛し、散って行った戦没者の皆さんには今の日本はどのように映っているのでしょうか? こんな今の日本ですが、厳しく、温かく見守ってほしいと願います。

燃えるロンドン



  英国で警官が黒人男性を射殺したことを発端に、ロンドンをはじめ各地に広がった暴動。暴徒らが略奪、放火する様子をみると、教育水準の低さが起因している部分が大きいと思いますが、理不尽な経済社会システムに対する抗議の意味もあるでしょうね。
  これは明日の米国の姿でもあるでしょう。いずれ国民の不満を押さえられなくなる。そして、政治、経済、社会システムをめぐって、内乱、内戦、一部州の分離独立へと発展するのではないでしょうか。

日本の生きる道 その3 売れるモノづくり

  本日付のSankeiBizで目を引いたのは、「“絶対王者”サムスン、失速で岐路 日本勢は技術力で挽回図る」(http://www.sankeibiz.jp/macro/news/110809/mcb1108090503022-n1.htm)という記事でした。
  要旨は、世界で存在感を高めている韓国・サムスン電子の業績が、稼ぎ頭の液晶パネル、半導体事業の不振で失速、基幹部門の責任者が任期途中で更迭されるという異例の人事に踏み切ったことや、超人気商品のスマートフォン「ギャラクシー」が米アップルに「露骨な模倣だ」として、(特許?)訴訟に発展したことにも触れ、日本勢にも「付け入る隙が出てきた」というものです。
  まあ、基本的にはサンケーさんは、韓国に敵対的なので、この記事にもいたるところに、敵意がうかがえる箇所がありますし、サムスンの失速以上に日本メーカーは苦戦しています。液晶パネル、そして完成品のテレビは、日本メーカーもかなりの高稼働率で操業していますが、収益はほとんどが赤字。日本で製造できるかどうかの瀬戸際に立たされています。いったい、どこに付け込む隙があるのか?
  半導体も同様ですね。日本が技術で先行しても、価格下落で研究開発、設備投資の回収で四苦八苦だし、韓国、台湾勢は簡単に追いついてきます。
  努力して技術力で世界に存在感を示すという路線は、決して間違っていないですが、「技術力で優位に立つ日本が、後進国の韓国を再逆転する」といった、サンケーさんの考える単純な図式は、簡単に成立するとは思えません。日本の場合は、ハイスペックすぎて市場がついていけないという、ジレンマを抱えています。
  自動車の分野で、かつて日産自動車や三菱自動車は、高い技術力が売りで、優秀なエンジニアは、トヨタ自動車を蹴ってでも、日産、三菱に就職したのです。確かに日産、三菱の製品は今でも大変優れている。でも、それで儲かっているでしょうか?
  技術陣が技術力を過信して独りよがりな製品をつくり、市場のニーズにマッチした商品展開ができなかったため、両社とも一時、存亡の危機に陥ってしまった。逆にトヨタはその間隙を突いて、売れるものづくりを進めた結果、国内では敵なしだし、新興国でのシェアは低いという弱点は依然克服できていないものの、総じて、世界中で認知されるブランドとなりました。
  消費者が求めるものに応えるために日々努力をかさね、商品、技術を改良していくのが日本の強みでしたが、最近の日本メーカーからは、失われつつあるのがとても気がかりです。
  技術力は大切ですが、売れなければ意味はないし、それが広がらなければ、多くの人に恩恵はもたらされない。売れない技術というのは、基本的には役に立たない、あるいは必要とされない技術なのです。もちろん時間がたってから、価値が見直されるというケースも少なからずあるとは思いますが。
  ロシアや米国は軍事技術で、他の追随を許さないレベルにありますが、消費者は必要としていますか? 世界の人に広く受け入れられ、喜んでもらっていますか? 私は松下幸之助さんについて、手放しでは評価しませんが、人々の役に立つ商品をつくり、広めることが世の中を幸せにするという、素朴な信念については、非常に共感します。(それがソニーのぱくりになってしまったことはおくとして)
  だから、サンケーさんの「技術力で挽回」なんて、一見、耳ざわりのよいフレーズは、胡散臭さを感じますね。思考が単純すぎます。浮いた言葉で人々を信じ込ませるという、北朝鮮や、オウム真理教と、やっていることは変わらないではないですか。
  日本人のすごいところは、現場力です。欧米人のように自分たち以外の人を見下すような態度をとらず、“郷に入れば郷に従え”で、謙虚に人と付き合い、何を必要としているかを聞きだし、商品化し、それが受け入れられ、尊敬を集めた。
  でも、最近のサムスンの動きを見ていると、アジアやアフリカの奥地にどんどん分け入り、日本のお家芸だった現場力を自分のものにしてしまった。これはすごいことです。海外に行くとどんな僻地にもサムスン製品(LG電子や現代自動車も)があります。欧米の金持ちや、都会のセレブを相手に堅い商売しかしようとしなかった日本勢は大いに反省すべきです。
  先日触れましたが、中国の新幹線についてもいえることですね。あれだけのひどい事故を起こしても、中国は何とか改良して、廉価版の新幹線をアジアやアフリカ、中南米の途上国に売り込むでしょう。また、おそらくニーズもあると思います。「こんな安くつくれるんなら、中国の新幹線を買ってみようか」という国は多いと思います。中国政府が債務保証的なこともするでしょうし。
  だから、そういった世界の動きに対して、どう対応していくか。これからの日本の大きな課題ですね。技術力を否定はしませんが、技術がニーズに先行し過ぎるのは本末転倒です。もちろん将来に向けた基礎研究は必要ですが、浮世離れしてはいけません。
  人々の声に謙虚に耳を傾け、カイゼンに次ぐ、カイゼンを行っていく。それが私たちの強みであり、見失ってはいけない原点です。