海外の人から見て、日本の首相がころころ変わるのはとても奇異に見えているようだし、マーケットやなんかでは一種のリスクととらえる向きもあるようですが、日本を支配したいと願う人にとってはこれほど都合のいい状況はないんだろうと思います。
政治に最も大切なものは、「継続性」だと思います。脈々と受け継がれた、歴史とか文化とか国柄のような大局的なものから、財政、行政の進め方といった実務的なものまで、過去があって現在があるわけで、何かを変えようと思っても、これまでの経緯を熟知した上で、しっかり検証し、何が問題なのかを的確にあぶりださないと、単に表面上だけ、物事を変えてもうまくいかないはずです。
郵政改革やら政権交代やら、毎度毎度、一過性のブームがあって、選挙のたびに盛り上がっても、その後、厳しい現実を見せつけられ落胆させられるのは、こういうことが背景にあるからでしょう。
政治がしっかりと受け継がれていたならば、もっと政治は重厚感のあるどっしりしたものになるだろうし、米国の世界戦略にやすやすと組み込まれ、去勢された猫のような、ふぬけな国にはならなかったはずです。
米国は表面上、日本に対して長期政権の誕生を望みつつも、政権が長続きしない状況を一番、うまく利用していますよね。米国の要求を唯々諾々と受け入れ、積極的に国益を売り渡す小泉政権なんかは長続きしましたけど、米国の意向に従わない政権は鳩山政権のようにあっけなく倒されます。
政権が長続きしないから、何も知らないで、首相や大臣にかつぎ上げられて意気揚々とのぼせ上がっている、頭の弱い連中をだまくらかし、やれ米国債購入だの、やれ為替介入だの、やれ普天間飛行場など、厚かましく要求をエスカレートするなんてたわいもないことでしょう。
よく「日本をダメにした政治家~」とか「政治家ワースト~」みたいな、政治家を“逆評価”する書籍や、ランキングサイトがありますが、消費税増税、普天間移設、環太平洋連携協定参加に、血道を上げる、野田佳彦首相はどのように評価されるのでしょうかね。
なかなか、多くの人の目に触れる場で評価するのは、勇気がいるし、それなりの根拠を示さないといけないので難しいですが、私の評価では「史上最悪」の部類に入るんだろうと思っています。
日本人の大きな美点は、謙虚であることにあると思うのですが、自分自身の器の大小を自己判断できるということは政治家だけでなく、人の上に立つうえで重要なことだと思います。ある意味、自己分析がしっかりできているということは「資質」と言ってもいいのではないかと思います。
野田氏に関しては、人間的には悪い人ではないです。たぶん。松下政経塾に入っていたということもあり、志も高い人だったんでしょうね。
でも、最近よくテレビやなんかでも面白おかしく取り上げられていますが、威勢が良かった野党時代との言動の差が激しすぎます。状況に応じて、方針を変えるというのは、場合によっては大切なことだし、それができるのは政治家やリーダーしかありません。ただ、基本姿勢や理念があっけなく変わるというのは、資質以前の問題で、薄っぺらく、節操のない人間だということになるでしょう。
端的に言うと、トップに立つ器でないということです。大臣ですら重責過ぎたのですが、民主党あるいは日本全体に人材が不足しているため、やむを得ず、選ばざるを得なかったという、「でもしか首相」だったわけです。こんな人物に日本のかじ取りを任せていると思うと、背筋が寒くなりますね。
私自身もそうでしたけど、若いころは、夢が多くて、自分自身の理想も高いんだけれども、実際に社会に出て、実践してみると、物事そう簡単に動くものでもないし、理想にこだわりすぎて、逆に状況を悪化させてしまうこともあり得ます。それはまさに「若気の至り」というものであり、失敗はむしろいい経験につながります。
ただ、ある程度、社会でいろいろと経験して、いい歳をした大人が、「理想に燃えすぎて失敗した」というのは、ちょっと情けないですよね。ましてや日本国すべての責任を負わなければならない首相なのですから、軽々に行動して失敗されては困ります。
これから世界に起きる激動を考えると、失敗は許されません。ちょっとした判断のミスが将来に禍根を残し、致命傷にならないとも限らないのです。
日本の首相なんて、よれよれの世界帝国ですが、今なお、君臨する米国のコマの一つにすぎないわけです。そして、いろいろと私たち一般国民の想像を絶する恫喝なんかも日々受けているでしょうから、帝国にあらがうことはそう簡単ではないとも思います。でも、そこで生きていく私たちにとって日本という国は、かけがえのない存在であり、何としても国を守り、生き延びていかなければなりません。
そんな厳しい現実があるのに、政治家の認識の甘さときたら、どうしうようもないですね。米国と刺し違え、文字通り命を掛けるぐらいの気概ではないと務まらない職業のはずですが、毎度毎度、風に乗ってどこかの政党がなりローカルパーティーが選挙で躍進するたびに「何とかチルドレン」みたいな連中が幅を利かせます。
次の総選挙こそ、本当の意味での「チェンジ」が求められるのですが、政治家の顔ぶれ、あるいは立候補しそうな人たちを考えると、ちょっと期待薄ですね。
一気に何もかも解決できるとも思えないので、はっきり言って遅きに失しているし、何をいまさらの世界なのですが、それでも地道に一つずつ問題を解決し、つくりあげていくしかないんでしょうね。私たちもなかなか思い通りにはならずにこらえられないこともあるでしょうが、それでも耐え忍ぶ長丁場の覚悟が必要です。
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夢がない
先日、大学時代の友人で、金融マンの友人2人と情報交換する機会がありました。一人はメガバンクの債券運用担当で、もう一人は大手証券会社系の資産運用会社の運用担当です。
メガバンク勤務の友人の方は、就職氷河期と言われた時代で、まさに“勝ち組”で、同期の間でも出世頭と目されており、本人も鼻高々、意気揚々だったのですが、就職後は、米国が本気で日本の金融機関を叩き始めた、最中だったため、大銀行に対する世間の目は冷たく、しかも業績も急落。本人は四国やら関西の地方勤務を転々とした後、入社10年以上たってようやく、丸の内にある本店(ということはどのメガバンクか類推できますね)に戻され、現在に至ります。
一方、資産運用会社の友人の方は、やや長い間大学にいて、石油タンクか何かのメーカーの海外営業担当をした後、アナリストに転向。さらに転職して、株式運用を中心に担当しています。
私が大学を出た頃は就職が厳しいといわれましたが、それでも今ほどではなく、えり好みしなければ、それなりに名の通った企業に勤めることができました。ただ、資産運用会社の友人は、当時はやった「自分探しの旅」に出たため、覚醒するのが遅れ、就職活動で苦労したのですが、今では、それなりにやりがいがある仕事ができるらしく喜々としていました。
私の本業は彼らの業界とはまったく異なりますが、日々、金融市場をウォッチし、アクティブ(笑)に仕掛けていくという点では、同じであり、彼らが現在の世界情勢、金融情勢をどのように分析し、どんな投資運用を行っているのか非常に興味があり、興味津々でした。
でも残念ながら、結論から言うと、この2人との情報交換は「くだらねぇ~」のひと言に尽きました。メガバンクの友人は、債券運用をやっているというので、大体想像はついていましたが、彼の仕事内容は簡単に言うと、「国債を安く買って高く売る」あるいは「国債を満期まで保有し利回りを得る」というものでした。
どこの金融機関も運用難なので、国債を買って利ざやを稼ぐくらいしかやることがないんですよね。予想はしていましたし、銀行の決算内容から、簡単に推測はできましたが、あらためて、現場にいる人から生の証言を聞くと、「やっぱりそうなのか」と、ある意味しみじみとした感慨を持ちました。
民間の投資活動が鈍いから、国が代わって公共事業をやることで、経済を下支えする。そしてメガバンクをはじめ金融機関は積極的にリスクを取らず、安全な運用に逃げるという、今の日本の閉塞感を見事に象徴していますね。
メガバンクの彼は「夢なんて何もねぇよな・・・」とぽつり。学生時代は、バックパック一つで世界中を旅し、中国や東南アジアの熱気を目の当たりにして、海外の舞台で、金融マンとして活躍したいという熱い思いを胸に社会に出たわけですが、現実は厳しかったわけです。
彼のような意欲的な人物を活用できなかった、会社の方にも大いに問題がありますよね。10年先、20年先を見据えるならば、成長の限界に差しかかっていた日本国内や先進国よりも、新興国に目を向けるべきでした。メーカーを中心に新興国への進出を積極的に支援するなど、やるべきことはたくさんあったはずで、いまさら中国だのベトナムだの行ってみたところで、後の祭りです。
資産運用会社の彼は、肌つやも良く、仕事にやりがいを感じているようでしたが、仕事内容はこれまたシンプルで、「株を安く買って、高く売ること」です。私たち個人トレーダーとやっていることは基本的に変わりません。
テレビ東京や日経CNBCにテレビコマーシャルを流し、名の知られた大手の運用会社なのですが、運用の際何を基準にしているかというと、「PBR1倍」がどうのこうの言っていましたので、はっきり言って、その辺のちょっと目端が利く、デイトレーダーに毛が生えた程度です。
彼の運用実績は知りませんが、フィボナッチだのエリオット波動だのチャートパターンだの細かくテクニカル分析をしている分、個人投資家の方が優秀かもしれません。
まして、普段から私が大騒ぎしているような「米国、国家破綻」なんてことは考えないみたいです。大手にいるとこういうことは荒唐無稽ととらえられるのでしょうね。
日本は1人当たりの資産保有高がおそらく世界最高で、「金融大国」だといえるわけですが、金融マンのやっていることは、債権を売買し、株をころがすという、ごくシンプルなことらしいということが分かりました。もしかしたら、私たち一般人の目の届かない場所で、ものすごい手法があるのかもとも思ったりもしたのですが、まあ、だいたいは想定の範囲内でした。
日本は世界で有数の債権国なのだから、やりようによっては、いくらでも世界にプレゼンスを示せると思うのですが、所詮はこの程度のようです。個人投資家としては、大手であれ、中小零細であれ、個人であれ、みなライバルなので、ちょっとほっとした部分もあるのですが、ちょっと情けなさも感じたりしました。
メガバンク勤務の友人の方は、就職氷河期と言われた時代で、まさに“勝ち組”で、同期の間でも出世頭と目されており、本人も鼻高々、意気揚々だったのですが、就職後は、米国が本気で日本の金融機関を叩き始めた、最中だったため、大銀行に対する世間の目は冷たく、しかも業績も急落。本人は四国やら関西の地方勤務を転々とした後、入社10年以上たってようやく、丸の内にある本店(ということはどのメガバンクか類推できますね)に戻され、現在に至ります。
一方、資産運用会社の友人の方は、やや長い間大学にいて、石油タンクか何かのメーカーの海外営業担当をした後、アナリストに転向。さらに転職して、株式運用を中心に担当しています。
私が大学を出た頃は就職が厳しいといわれましたが、それでも今ほどではなく、えり好みしなければ、それなりに名の通った企業に勤めることができました。ただ、資産運用会社の友人は、当時はやった「自分探しの旅」に出たため、覚醒するのが遅れ、就職活動で苦労したのですが、今では、それなりにやりがいがある仕事ができるらしく喜々としていました。
私の本業は彼らの業界とはまったく異なりますが、日々、金融市場をウォッチし、アクティブ(笑)に仕掛けていくという点では、同じであり、彼らが現在の世界情勢、金融情勢をどのように分析し、どんな投資運用を行っているのか非常に興味があり、興味津々でした。
でも残念ながら、結論から言うと、この2人との情報交換は「くだらねぇ~」のひと言に尽きました。メガバンクの友人は、債券運用をやっているというので、大体想像はついていましたが、彼の仕事内容は簡単に言うと、「国債を安く買って高く売る」あるいは「国債を満期まで保有し利回りを得る」というものでした。
どこの金融機関も運用難なので、国債を買って利ざやを稼ぐくらいしかやることがないんですよね。予想はしていましたし、銀行の決算内容から、簡単に推測はできましたが、あらためて、現場にいる人から生の証言を聞くと、「やっぱりそうなのか」と、ある意味しみじみとした感慨を持ちました。
民間の投資活動が鈍いから、国が代わって公共事業をやることで、経済を下支えする。そしてメガバンクをはじめ金融機関は積極的にリスクを取らず、安全な運用に逃げるという、今の日本の閉塞感を見事に象徴していますね。
メガバンクの彼は「夢なんて何もねぇよな・・・」とぽつり。学生時代は、バックパック一つで世界中を旅し、中国や東南アジアの熱気を目の当たりにして、海外の舞台で、金融マンとして活躍したいという熱い思いを胸に社会に出たわけですが、現実は厳しかったわけです。
彼のような意欲的な人物を活用できなかった、会社の方にも大いに問題がありますよね。10年先、20年先を見据えるならば、成長の限界に差しかかっていた日本国内や先進国よりも、新興国に目を向けるべきでした。メーカーを中心に新興国への進出を積極的に支援するなど、やるべきことはたくさんあったはずで、いまさら中国だのベトナムだの行ってみたところで、後の祭りです。
資産運用会社の彼は、肌つやも良く、仕事にやりがいを感じているようでしたが、仕事内容はこれまたシンプルで、「株を安く買って、高く売ること」です。私たち個人トレーダーとやっていることは基本的に変わりません。
テレビ東京や日経CNBCにテレビコマーシャルを流し、名の知られた大手の運用会社なのですが、運用の際何を基準にしているかというと、「PBR1倍」がどうのこうの言っていましたので、はっきり言って、その辺のちょっと目端が利く、デイトレーダーに毛が生えた程度です。
彼の運用実績は知りませんが、フィボナッチだのエリオット波動だのチャートパターンだの細かくテクニカル分析をしている分、個人投資家の方が優秀かもしれません。
まして、普段から私が大騒ぎしているような「米国、国家破綻」なんてことは考えないみたいです。大手にいるとこういうことは荒唐無稽ととらえられるのでしょうね。
日本は1人当たりの資産保有高がおそらく世界最高で、「金融大国」だといえるわけですが、金融マンのやっていることは、債権を売買し、株をころがすという、ごくシンプルなことらしいということが分かりました。もしかしたら、私たち一般人の目の届かない場所で、ものすごい手法があるのかもとも思ったりもしたのですが、まあ、だいたいは想定の範囲内でした。
日本は世界で有数の債権国なのだから、やりようによっては、いくらでも世界にプレゼンスを示せると思うのですが、所詮はこの程度のようです。個人投資家としては、大手であれ、中小零細であれ、個人であれ、みなライバルなので、ちょっとほっとした部分もあるのですが、ちょっと情けなさも感じたりしました。
ギャップ
私はせっかちな性格で、しかも先を読み過ぎるので、常に現実とのギャップに悩まされます。金融市場ではショートだと思っていても、逆の行動(ロング)をとらざるを得ない局面が多々あり、非常にストレスを感じますね。
このブログは、自分の考え方を整理したり、現実を乖離している部分については反省して、軌道修正するために設けたのですが、不満のはけ口みたいな部分もあります。普段、「米国破綻」「金融恐慌」「中国経済は強い」みたいなことを警鐘を鳴らす意味もあって、しつこく叫んでいますが、仕事先や一般の人の前であまり声高にそういうことは口にはできませんからね。
以前、大きな住宅ローンを抱える人の前で「次の金融危機は、リーマン・ショックの比ではない」みたいな話をしたら露骨に嫌な顔をされましたし、中国嫌いでしかも投資信託で大損した人に「中国株持っていたら値上がりして、しかも配当が安定している」とプチ自慢した時は、顔を真っ赤にして「中国なんて信用できるか!」と反論されてしまいました。
よく偉人伝とか立志伝のたぐいで、時代の先頭に立つ人が周囲から理解されず、偉大な業績を残しつつも、孤独感を感じるという場面を見かけますが、あれと似ていますよね。私自身は別に時代を背負っているわけでもないし、取るに足らない人物ではありますが。
ちょっと前までは、インターネットのように、優れた知識を共有したり、新しい知識に触れる手段が限られていたので、世界を知ることは難しかったですが、今ではかなりハードルは低くなりつつあります。もちろん、最先端の知識や国家の存亡を左右しかねない情報などには、なかなか容易にはアクセスできず、断片的な情報を集めて、深読みしていく以外に方法はないのですが。
とにかく、インターネットさえあれば、簡単に情報収集できるし、今までは国のリーダーとか、企業トップくらいしかできなかった、世界を俯瞰するということを、一般人でもかなりできるようになりました。
それどころか、政治家や会社社長といった人たちが、必要な情報を見落とし、将来見通しを誤って、国や企業を誤った方向に導きつつあるということさえ露見し、それなりの地位、立場にいる人たちが案外無能で、街場の一般市民の方が、時代を的確に見通していることさえ、ままあります。
米国から中国へと世界の重心がシフトしつつあるのに、いまだに米国に支配されている政治家などは好例だし、新興国の台頭を見通せず、市場開拓やマーケティングで韓国企業に大きく後れを取った、自動車、電機メーカーのトップなんかは、経営者としては失格ですね。民間企業こそ、時代の流れ、世界情勢に敏感であるべきなのですが、それを見極められなかったのは無能以外の何物でもありません。
こういうところも、私自身の認識と世間の深刻なギャップだし、政治家のアホ面、企業トップのマヌケで、この期に及んでトンチンカンな言動をするのをみると、反吐が出るほど、むかつきますね。
だから、せっかく、時代を見通せているというアドバンテージがあるのだから、どんな小さなものでもいいから形にしたいし、世間に先駆ける形の結果を残したいですね。
まずは、身近なことから、トレードでしかるべき結果を残したいですし、さんざん暴落した後に底値ざらえをしたい。次の時代を見据えて新しいビジネスの種をまいておきたい。取り付け騒ぎが起きるなら、手元に現金を残して、涼しい顔をして過ごしたいし、昨年の東日本大震災直後のように食料が消え、飲料水が消えるなら、備蓄しておいて、楽に暮らしたい。もし紙幣が紙切れになるのなら、ささやかな金準備を有効に生かす方法を考えたい・・・。
取りとめもなく、並べ立ててみましたけど、世間との認識の違い、ギャップに対する不満をプラスのエネルギーに変えて、前に進みたいと思っています。
このブログは、自分の考え方を整理したり、現実を乖離している部分については反省して、軌道修正するために設けたのですが、不満のはけ口みたいな部分もあります。普段、「米国破綻」「金融恐慌」「中国経済は強い」みたいなことを警鐘を鳴らす意味もあって、しつこく叫んでいますが、仕事先や一般の人の前であまり声高にそういうことは口にはできませんからね。
以前、大きな住宅ローンを抱える人の前で「次の金融危機は、リーマン・ショックの比ではない」みたいな話をしたら露骨に嫌な顔をされましたし、中国嫌いでしかも投資信託で大損した人に「中国株持っていたら値上がりして、しかも配当が安定している」とプチ自慢した時は、顔を真っ赤にして「中国なんて信用できるか!」と反論されてしまいました。
よく偉人伝とか立志伝のたぐいで、時代の先頭に立つ人が周囲から理解されず、偉大な業績を残しつつも、孤独感を感じるという場面を見かけますが、あれと似ていますよね。私自身は別に時代を背負っているわけでもないし、取るに足らない人物ではありますが。
ちょっと前までは、インターネットのように、優れた知識を共有したり、新しい知識に触れる手段が限られていたので、世界を知ることは難しかったですが、今ではかなりハードルは低くなりつつあります。もちろん、最先端の知識や国家の存亡を左右しかねない情報などには、なかなか容易にはアクセスできず、断片的な情報を集めて、深読みしていく以外に方法はないのですが。
とにかく、インターネットさえあれば、簡単に情報収集できるし、今までは国のリーダーとか、企業トップくらいしかできなかった、世界を俯瞰するということを、一般人でもかなりできるようになりました。
それどころか、政治家や会社社長といった人たちが、必要な情報を見落とし、将来見通しを誤って、国や企業を誤った方向に導きつつあるということさえ露見し、それなりの地位、立場にいる人たちが案外無能で、街場の一般市民の方が、時代を的確に見通していることさえ、ままあります。
米国から中国へと世界の重心がシフトしつつあるのに、いまだに米国に支配されている政治家などは好例だし、新興国の台頭を見通せず、市場開拓やマーケティングで韓国企業に大きく後れを取った、自動車、電機メーカーのトップなんかは、経営者としては失格ですね。民間企業こそ、時代の流れ、世界情勢に敏感であるべきなのですが、それを見極められなかったのは無能以外の何物でもありません。
こういうところも、私自身の認識と世間の深刻なギャップだし、政治家のアホ面、企業トップのマヌケで、この期に及んでトンチンカンな言動をするのをみると、反吐が出るほど、むかつきますね。
だから、せっかく、時代を見通せているというアドバンテージがあるのだから、どんな小さなものでもいいから形にしたいし、世間に先駆ける形の結果を残したいですね。
まずは、身近なことから、トレードでしかるべき結果を残したいですし、さんざん暴落した後に底値ざらえをしたい。次の時代を見据えて新しいビジネスの種をまいておきたい。取り付け騒ぎが起きるなら、手元に現金を残して、涼しい顔をして過ごしたいし、昨年の東日本大震災直後のように食料が消え、飲料水が消えるなら、備蓄しておいて、楽に暮らしたい。もし紙幣が紙切れになるのなら、ささやかな金準備を有効に生かす方法を考えたい・・・。
取りとめもなく、並べ立ててみましたけど、世間との認識の違い、ギャップに対する不満をプラスのエネルギーに変えて、前に進みたいと思っています。
泥臭さ
公共事業は「悪」というレッテルが貼られ、世間一般のイメージは良くありませんが、手っ取り早く、景気を良くするには、土木工事をするのがベスト。東日本大震災が見事に証明してくれました。テレビやなんかでも最近よく取り上げられるようになりましたが、仙台の繁華街はバブル期のような好景気に沸いているようです。
また、日本では、「国土の均衡ある発展」が国是のように言われてきましたが、もちろん都市部への集中、過疎などの問題を抱えてはいるものの、日本は比較的、格差の少ない社会を実現してきました。公共事業の果たした役割は大きいでしょう。
小泉政権以降、公共事業に対する風当たりが厳しくなり、予算も大幅にカットされたため、地方の疲弊が激しくなっていますが、それでも日本の地方は諸外国と比べると余裕があり、自助努力で活性化しようという動きも活発で、地方の力は侮れないものがあります。それも、長年、公共事業によって所得の再分配がされ、地方にもお金が回り、蓄積してきたものがあったからこそでしょう。
日本に限らず、どこの国も国民に広く富が行きわたるようにするには、どうすればいいのかは課題です。国土のどこを掘れっても石油が出るみたいな状況であれば別ですが、自動車、ハイテクなど稼ぎ頭の産業があったとしても、すべての国民を養っていくのは至難です。
普通に衣食住を満たすだけの経済活動をしていても、なかなか豊かにはなれないのです。だから、欧米では、定期的に外国に戦争を仕掛け、軍需産業をけん引役に経済を活性化させたり、他国の資源や権益を奪い取って自分のものにすることで、経済を下支えしてきました。世界恐慌から世界経済が立ち直ったのは、第2次世界大戦で、派手にドンパチをやって、街という街を破壊しつくした後に、再建したのが大きいですね。
それは極端にしても、米国は戦争経済をすることによって、景気を浮揚させ、なんとかここまでやってきました。欧州もすました顔をしていますが、米国ほど露骨でないにしても、米国に追従したり、海外でちょこちょこといろんなちょっかいをかけて、せこく利益を得ています。
日本も戦後、急速に復興したのは、朝鮮戦争やベトナム戦争による特需が大きいですが、一応、「平和主義国家」なので、積極的に戦争に参加することはできません。代わりに公共事業に活路を見出すようになりました。中国も日本のモデルをよく研究していますね。
海外で人を殺したり、資源を奪ったりするより、公共工事をした方が誰も傷つけないし、多くの人の役にも立つではありませんか。しかも、広範囲に恩恵を与えることができます。国民の所得を底上げするには賢いやり方なのです。一部の利権屋が暴利をむさぼる欧米のやり方より、民主的でもあります。
ただ、公共事業批判にも一定の理があります。東海道新幹線とか東名、名神高速道路といった、経済効果の高い、筋のいい事業が少なくなる一方、効率の悪い事業にも乗り出さざるを得なくなりました。それに、右肩上がりの時代が続いてコスト感覚が失われ、分不相応で不必要な役所の庁舎、ホールの類や、国道と並行する農道、林道、必要とされないダムなんかもつくられるようになったのです。
産業を育成したり、企業や優秀な人材を誘致するという観点も欠けていましたね。空港や港湾に戦略性もなく金がつぎ込まれ、韓国や中国など近隣の国との競争に敗れるという事態も起きました。
小泉政権が発足した当初、何も知らなかった私は、こうした状況が是正され、効率よく公共事業が再編されるものと期待して、「改革」を支持したこともあります。多くの有権者も同じような思いを持っていたのではないでしょうか? ただ、その先に待っていたものは米国への国富の献上でした。
公共工事の経済効果は大きいですが、従来の延長上ではなく、時代やニーズに合った、戦略的なインフラ整備が求められるでしょう。やるべきことはまだまだたくさんあるはずです。リニア新幹線なんか、さっさとつくってしまえばいいのです。完成が遅くなることによる経済的損失の方が大きいです。震災に備えて、人の移動や物流を円滑にするための最低限の道路網もまだまだ必要です。
そして現実問題として、これからも地方を食わせていかなければなりません。なりふりかまわず泥臭く公共事業を続けていかなければならないのです。それには、米国に搾取される金を減らして、国内に資金を還流しなくてはいけません。そのために米国と交渉する政治家の覚悟も必要です。
お金にまつわることでもあるので、公共事業がらみの話というのはどうしてもドロドロとしてしまうし、実際に事件が起きたりもします。それが不要な誤解を招く元凶でもあるのですが、国民の生活がかかった、まさに生命線でもあるのです。
人間が生きていくというのはきれいごとだけではありません。むしろ泥臭さが付きまといます。華やかな産業がある一方で、それだけでは仕事や雇用を提供するには不十分で、公共事業に頼って暮らしていかなければならないという事情もあるのです。そこもきちんと理解しておく必要がありますね。
また、日本では、「国土の均衡ある発展」が国是のように言われてきましたが、もちろん都市部への集中、過疎などの問題を抱えてはいるものの、日本は比較的、格差の少ない社会を実現してきました。公共事業の果たした役割は大きいでしょう。
小泉政権以降、公共事業に対する風当たりが厳しくなり、予算も大幅にカットされたため、地方の疲弊が激しくなっていますが、それでも日本の地方は諸外国と比べると余裕があり、自助努力で活性化しようという動きも活発で、地方の力は侮れないものがあります。それも、長年、公共事業によって所得の再分配がされ、地方にもお金が回り、蓄積してきたものがあったからこそでしょう。
日本に限らず、どこの国も国民に広く富が行きわたるようにするには、どうすればいいのかは課題です。国土のどこを掘れっても石油が出るみたいな状況であれば別ですが、自動車、ハイテクなど稼ぎ頭の産業があったとしても、すべての国民を養っていくのは至難です。
普通に衣食住を満たすだけの経済活動をしていても、なかなか豊かにはなれないのです。だから、欧米では、定期的に外国に戦争を仕掛け、軍需産業をけん引役に経済を活性化させたり、他国の資源や権益を奪い取って自分のものにすることで、経済を下支えしてきました。世界恐慌から世界経済が立ち直ったのは、第2次世界大戦で、派手にドンパチをやって、街という街を破壊しつくした後に、再建したのが大きいですね。
それは極端にしても、米国は戦争経済をすることによって、景気を浮揚させ、なんとかここまでやってきました。欧州もすました顔をしていますが、米国ほど露骨でないにしても、米国に追従したり、海外でちょこちょこといろんなちょっかいをかけて、せこく利益を得ています。
日本も戦後、急速に復興したのは、朝鮮戦争やベトナム戦争による特需が大きいですが、一応、「平和主義国家」なので、積極的に戦争に参加することはできません。代わりに公共事業に活路を見出すようになりました。中国も日本のモデルをよく研究していますね。
海外で人を殺したり、資源を奪ったりするより、公共工事をした方が誰も傷つけないし、多くの人の役にも立つではありませんか。しかも、広範囲に恩恵を与えることができます。国民の所得を底上げするには賢いやり方なのです。一部の利権屋が暴利をむさぼる欧米のやり方より、民主的でもあります。
ただ、公共事業批判にも一定の理があります。東海道新幹線とか東名、名神高速道路といった、経済効果の高い、筋のいい事業が少なくなる一方、効率の悪い事業にも乗り出さざるを得なくなりました。それに、右肩上がりの時代が続いてコスト感覚が失われ、分不相応で不必要な役所の庁舎、ホールの類や、国道と並行する農道、林道、必要とされないダムなんかもつくられるようになったのです。
産業を育成したり、企業や優秀な人材を誘致するという観点も欠けていましたね。空港や港湾に戦略性もなく金がつぎ込まれ、韓国や中国など近隣の国との競争に敗れるという事態も起きました。
小泉政権が発足した当初、何も知らなかった私は、こうした状況が是正され、効率よく公共事業が再編されるものと期待して、「改革」を支持したこともあります。多くの有権者も同じような思いを持っていたのではないでしょうか? ただ、その先に待っていたものは米国への国富の献上でした。
公共工事の経済効果は大きいですが、従来の延長上ではなく、時代やニーズに合った、戦略的なインフラ整備が求められるでしょう。やるべきことはまだまだたくさんあるはずです。リニア新幹線なんか、さっさとつくってしまえばいいのです。完成が遅くなることによる経済的損失の方が大きいです。震災に備えて、人の移動や物流を円滑にするための最低限の道路網もまだまだ必要です。
そして現実問題として、これからも地方を食わせていかなければなりません。なりふりかまわず泥臭く公共事業を続けていかなければならないのです。それには、米国に搾取される金を減らして、国内に資金を還流しなくてはいけません。そのために米国と交渉する政治家の覚悟も必要です。
お金にまつわることでもあるので、公共事業がらみの話というのはどうしてもドロドロとしてしまうし、実際に事件が起きたりもします。それが不要な誤解を招く元凶でもあるのですが、国民の生活がかかった、まさに生命線でもあるのです。
人間が生きていくというのはきれいごとだけではありません。むしろ泥臭さが付きまといます。華やかな産業がある一方で、それだけでは仕事や雇用を提供するには不十分で、公共事業に頼って暮らしていかなければならないという事情もあるのです。そこもきちんと理解しておく必要がありますね。
幻滅
何年も金融市場にかかわっていると、人間の本質(自分自身のエゴも含めて)が見えてきて嫌になってきますが、マーケット以外の世界で、他人に期待していたことや思い抱いていた好印象が裏切られると、本当にショックを受けます。自分の身勝手な思い込みにすぎないし、はたからみれば言いがかり、いちゃもんのレベルなのですが、人間というのは幻想とか錯覚にだまされやすい生き物なのでねぇ。悲しい性です。
先日、大学時代の友人と久しぶりに集まったんですよね。親しい間柄で2、3人集まって、ご飯を食べるぐらいのことはあったのですが、みんな海外勤務とか地方に転勤とかあって、本格的に一堂に会するのは10年ぶりぐらいで、結構、テンションが上がりました。
で、今回は、仲間内でも“マドンナ”的存在で、誰もが知っている有名企業(本当に人物が特定されてしまう可能性があるので、どの業界かも言えません)に勤める女の子が忙しい中、参加してくれるということで、さらにさらに期待が高まりました。
彼女、学生時代は結構、私に対して好意的にみていてくれたんですよね。それとなくメッセージを送ってくれることもあった。その当時、私は鈍感だったし、別の女子大の女の子に熱を上げていたので、あまりまともに受け止めませんでした。
某ファッション誌のモデル(まさに読モ)を務めたこともあって、本当に美人(瀧本美織さんをやや昭和風のテイストにした感じ)で、私なんかまともに相手にしてくれないだろうとも思っていたし、実際に付き合ったら、プレッシャーで、彼女の要求を背負い込めないだろうなとも思っていました。
そんな彼女なのですが、まだ独身なのだそうで、今回、再会して、もし意気投合すれば、ご飯を一緒に食べる間柄からでもスタートしてもいいかな、なんて、勝手に思っていたわけです。我ながら馬鹿だねぇ。まったく。
それでいざ、集まりの当日、用事があって、私は会場のエスニックレストランに、1時間ほど遅れて到着したのですが、「仕事で遅くなるので、もしかすると2次会から参加するかもしれない」と言っていた彼女がすでにいて、しかも、彼女の前の席が空いていたんですよ。
その日はこの冬一番の寒さを記録した日。ダイエットで痩せてしまい、本当に寒さが身に染みる私は「寒いよね~」とか言いながら、そして、思いっきり中年太りの周りの連中から「そうかぁ?」とか声を掛けられながら、クールな表情で、彼女の正面に座りました。
さすがに歳には勝てませんね。彼女のメークはやや厚塗り感がありました。まあ、人間誰しも歳を重ねるわけで、それを細かく詮索するのは野暮ってもんでしょう。でも、モデルだっただけあって、今会っても美形でした。
この日参加できなかった仲間の話やなんかでちょっと盛り上がって、冷えた体も少しずつ温まって、私も徐々にエンジンがかかってきました。
ふと、誰かが私に「お前まだ独身だよな」みたいな話を振ってきて、ぼそっと「そうだよ」って答えたら、彼女も「え~!私も~」って、こちらが驚くほど、食いついてきてくれて、しかも、彼女はかいがいしく、ビールをついでくれたり、料理をとってくれたりと、かいがいしくしてくれ、いい雰囲気になってきました。
30分後くらいして、別のまさにキャリアウーマンの女の子(外人と結婚した後、バツイチ)が遅れて参加して、私の隣に座ったのですが、子供の話になって、子持ちのこのキャリアウーマンは「放射能って不安だよねぇ。なんか重大な事実でも隠してるんじゃないかしら」と話しだしました。
私の放射能に対するスタンスは皆さんもお分かりでしょう。「危ない時期は事故があった最初の半月で、あとは全然大丈夫だよ。安心して子育てして」と言ってあげました。世間一般の人は理解がある人ばかりとは限らないので、もちろんかなり抑えた口調でです。
そうすると、向かいに座っていた、マドンナの彼女が突然、表情を変え、「そんなことないわよ」と厳しい口調で一言。「えっ」? 虚を突かれた、私は何が起きたのか事態をのみこめませんでした。
さらにヒートアップし、「放射線はDNAを傷づけるから体にどんな影響があるかわからないのよ」「勝手に安全をあおるのって私は違うと思う」とまくしたてられました。
やがて、やや突っ走りすぎたことに気付いた彼女は、すっかり気おされて引いてしまったしまった私と、会話の発端となったキャリアウーマンを前に、ややばつが悪そうな表情を浮かべました。
学生時代は、結構、お嬢さんキャラで、おバカっぽさも持っていた彼女だったのですが、社会に出ると、キャリアが人を変えてしまうのですね。あんなに熱い人だとは思いませんでした。私は、たわいもないグータン・ヌーボーっぽいガールズトークをするのが楽しみだったのですが。
世間の人が放射能に過敏になるのは分からなくないのですが、私は、必要以上に怖がる感覚が理解できません。ラジウムがあると知らずに暮らしていた世田谷の一家は深刻な健康被害があったとは認められていないじゃないですか、宇宙飛行士の古川聡さんは、福島原発の除染作業員よりも高いレベルの放射線を浴びているじゃないですか。
政府をただ批判したいだけの運動ゴロとか、放射能ママとか、私の軽蔑する人たちと同じような(さすがにそこまでひどくはないですが)発想を持っているということが悲しかったですね。
彼女に告白したわけではないですが、ふられたような気分になりました。というよりも、私の中の(勝手な)彼女に対する幻影が消えてしまい、むしろ何となく、嫌悪感を持ってしまいました。
人と人との関係は難しいですね。でも、彼女のありのままの姿を見ることができてよかったのかもしれません。いつも言っている通り、「これもまた現実」です。粛々と受け止めなければなりません。
でも、やっぱりちょっとショックだったなぁ。結構、へこみましたよ。はい。こういうのまじキツいっす。
先日、大学時代の友人と久しぶりに集まったんですよね。親しい間柄で2、3人集まって、ご飯を食べるぐらいのことはあったのですが、みんな海外勤務とか地方に転勤とかあって、本格的に一堂に会するのは10年ぶりぐらいで、結構、テンションが上がりました。
で、今回は、仲間内でも“マドンナ”的存在で、誰もが知っている有名企業(本当に人物が特定されてしまう可能性があるので、どの業界かも言えません)に勤める女の子が忙しい中、参加してくれるということで、さらにさらに期待が高まりました。
彼女、学生時代は結構、私に対して好意的にみていてくれたんですよね。それとなくメッセージを送ってくれることもあった。その当時、私は鈍感だったし、別の女子大の女の子に熱を上げていたので、あまりまともに受け止めませんでした。
某ファッション誌のモデル(まさに読モ)を務めたこともあって、本当に美人(瀧本美織さんをやや昭和風のテイストにした感じ)で、私なんかまともに相手にしてくれないだろうとも思っていたし、実際に付き合ったら、プレッシャーで、彼女の要求を背負い込めないだろうなとも思っていました。
そんな彼女なのですが、まだ独身なのだそうで、今回、再会して、もし意気投合すれば、ご飯を一緒に食べる間柄からでもスタートしてもいいかな、なんて、勝手に思っていたわけです。我ながら馬鹿だねぇ。まったく。
それでいざ、集まりの当日、用事があって、私は会場のエスニックレストランに、1時間ほど遅れて到着したのですが、「仕事で遅くなるので、もしかすると2次会から参加するかもしれない」と言っていた彼女がすでにいて、しかも、彼女の前の席が空いていたんですよ。
その日はこの冬一番の寒さを記録した日。ダイエットで痩せてしまい、本当に寒さが身に染みる私は「寒いよね~」とか言いながら、そして、思いっきり中年太りの周りの連中から「そうかぁ?」とか声を掛けられながら、クールな表情で、彼女の正面に座りました。
さすがに歳には勝てませんね。彼女のメークはやや厚塗り感がありました。まあ、人間誰しも歳を重ねるわけで、それを細かく詮索するのは野暮ってもんでしょう。でも、モデルだっただけあって、今会っても美形でした。
この日参加できなかった仲間の話やなんかでちょっと盛り上がって、冷えた体も少しずつ温まって、私も徐々にエンジンがかかってきました。
ふと、誰かが私に「お前まだ独身だよな」みたいな話を振ってきて、ぼそっと「そうだよ」って答えたら、彼女も「え~!私も~」って、こちらが驚くほど、食いついてきてくれて、しかも、彼女はかいがいしく、ビールをついでくれたり、料理をとってくれたりと、かいがいしくしてくれ、いい雰囲気になってきました。
30分後くらいして、別のまさにキャリアウーマンの女の子(外人と結婚した後、バツイチ)が遅れて参加して、私の隣に座ったのですが、子供の話になって、子持ちのこのキャリアウーマンは「放射能って不安だよねぇ。なんか重大な事実でも隠してるんじゃないかしら」と話しだしました。
私の放射能に対するスタンスは皆さんもお分かりでしょう。「危ない時期は事故があった最初の半月で、あとは全然大丈夫だよ。安心して子育てして」と言ってあげました。世間一般の人は理解がある人ばかりとは限らないので、もちろんかなり抑えた口調でです。
そうすると、向かいに座っていた、マドンナの彼女が突然、表情を変え、「そんなことないわよ」と厳しい口調で一言。「えっ」? 虚を突かれた、私は何が起きたのか事態をのみこめませんでした。
さらにヒートアップし、「放射線はDNAを傷づけるから体にどんな影響があるかわからないのよ」「勝手に安全をあおるのって私は違うと思う」とまくしたてられました。
やがて、やや突っ走りすぎたことに気付いた彼女は、すっかり気おされて引いてしまったしまった私と、会話の発端となったキャリアウーマンを前に、ややばつが悪そうな表情を浮かべました。
学生時代は、結構、お嬢さんキャラで、おバカっぽさも持っていた彼女だったのですが、社会に出ると、キャリアが人を変えてしまうのですね。あんなに熱い人だとは思いませんでした。私は、たわいもないグータン・ヌーボーっぽいガールズトークをするのが楽しみだったのですが。
世間の人が放射能に過敏になるのは分からなくないのですが、私は、必要以上に怖がる感覚が理解できません。ラジウムがあると知らずに暮らしていた世田谷の一家は深刻な健康被害があったとは認められていないじゃないですか、宇宙飛行士の古川聡さんは、福島原発の除染作業員よりも高いレベルの放射線を浴びているじゃないですか。
政府をただ批判したいだけの運動ゴロとか、放射能ママとか、私の軽蔑する人たちと同じような(さすがにそこまでひどくはないですが)発想を持っているということが悲しかったですね。
彼女に告白したわけではないですが、ふられたような気分になりました。というよりも、私の中の(勝手な)彼女に対する幻影が消えてしまい、むしろ何となく、嫌悪感を持ってしまいました。
人と人との関係は難しいですね。でも、彼女のありのままの姿を見ることができてよかったのかもしれません。いつも言っている通り、「これもまた現実」です。粛々と受け止めなければなりません。
でも、やっぱりちょっとショックだったなぁ。結構、へこみましたよ。はい。こういうのまじキツいっす。